29話 現実 約束
朝、目覚めて、鏡をのぞいた。
鮫島に殴られたはずの目の周りに青アザはなく、腕にもアザはなかった。
夢の中で使った回復魔法のおかげなんだろうか。
とりあえず、怪我が大したことではなくて良かった。
新しく買ったジャージと白いTシャツを着て決めたルーティンをこなしていく。昨日よりも軽くなった体だから、ランニングがぐっと楽になった気がする。そして、距離と時間が長く走れるようになり、ぶっちゃけ乳首がヒリヒリする。どうにかならないかなと思いながら、ランニングを終えた後、木刀で素振りをする。
素振りの動きは昨日に比べて、とてもスムーズで、本当に何ヵ月も頑張ってきた人たちのように、すり足と木刀の動きが合ってきているような気がした。夢の中での訓練が、現実世界の僕に良い影響を与えているに違いない。
まあ、父さんに比べれば全然ダメだけど。
それでも、昨日の自分から何歩も先に行けたような気がして嬉しかった。
リビングに入ると、妹のハルカが僕の姿、特に胸のあたりを見て
「ひっ……!」
と息を呑んだ後、お腹を抱えて爆笑し始める。
「兄ちゃん、ちょっと鏡見て!」
言われて確認すると、白いTシャツの胸元が赤く染まっていた。
ようやく、乳首から血が出ていたことに気づく。
「もげてない? それ」
「もげてない!」
慌ててシャツを脱ぐ僕を見て、ハルカはさらに笑った。
「シャワー浴びてきなよ。薬、用意しとくから」
笑いながらも、ちゃんと心配してくれる。
そういうところは、素直にありがたい。
シャワー後、ワセリンを塗りながら、対策をインターネットで調べる。
ワセリン、ニップレス、コンプレッションインナー……
画面を覗き込んできた母さんが言った。
「ちょっと高いけど……ワゴールのコンプレッションインナー。必要なら買おっかー。学校の課題、今日の分やったら、駅前のスポーツ店に行ってみたら?」
そう言って、母さんは四万円も渡してきた。
「これって、上下で買った方がいいでしょ?」
「いや、こんなにお金もらえないよ!」
「故障防止の効果もあるみたいだし、たかだか二万円を追加して怪我も防止できた方がいいでしょ」
お金の使い方が思い切りが良すぎて、思わず引くレベルだ。スーパーで半額のシールのお肉を目ざとく狙う母さんなのに。
「ありがとう、母さん」
お金を受け取ると、チャイムがなり、玄関に走る。
「こんにちは、橘です」
橘と名乗られて、クラスメイトの橘こはるを思い出すが、もっと大人っぽい声であった。
玄関のドアを開けると、橘さんと弟の颯太君、そしてどこかで見たような女性がいた。
「あら、誠君じゃない? ほら、こはるとよく遊んでくれていたでしょ。それにしても、大きくなったわね。見違えちゃったわ。息子の颯太のことで迷惑かけちゃったわね、頭叩かれたって聞いたけど大丈夫?」
矢継ぎ早に言葉を紡ぐ、おそらく橘さんと颯太君のお母さんだろう人が僕に近づき色々な角度から頭を見ていた。
「橘さん、お久しぶりです。急にどうしたの?」
「もしかして、誠君から何も聞いていない? うちの颯太が不良に絡まれたところを助けてくれたんだけど」
「えっ! 誠がですか?」
なんでそういうことを言わないの、と少し怒りながら、でも、少し嬉しそうな母さんの横顔が見えた。
「そうなんだよ! アニキが僕と悪い奴らの間に入って殴られて、そいつらをギッタンバッタンに倒したんだよ!」
「それ本当なの?」
母さんの顔がこわばっていた。
「平和的に解決してます。うまく言いくるめて帰らせました。もし、喧嘩していたなら怪我しているはずでしょ」
僕の母さんと橘さんのお母さんは僕の顔をじっと見て、納得しない顔だった。
「さすがアニキだね、殴られても怪我しないなんて! いててて!」
橘さんが颯太君のお尻をつねり
「もう! ややこしくなること言わない! それにいつから誠君の事、いつからアニキだなんて言うようになったの?」
「そりゃあ、アニキが悪い奴をギッタンバッタン、いてぇーー!」
橘さんは咳払いしながらまた颯太君のお尻をつねった
「とりあえず、玄関先で話すのもなんだから上がってください」
そう、母さんが橘さんをうちに招き入れた。
母さんが橘さんのお母さんと話をしている間、橘さんと颯太君を僕の部屋に連れて行った。そして妹のハルカもついてきた。
「東屋君って、もしかして、幼稚園一緒だった?」
「ひまわり幼稚園?」
「そうそう。年長の時の担任の先生は、ツバキ先生」
ツバキ先生と言われて思い出したのは、ショートカットの細身の優しいお姉さんだ。今思えば、あの人ピアノ、上手かったなあ。
「ツバキ先生ね、懐かしいなあ。あの人、ピアノで色んな曲を弾いてくれたなあ。でも、よくわかったね」
「さっき、お母さんが、東屋君のことおっきくなったねー、て言ってたじゃない。どこかで頻繁に会ってたのかな、と思っていたら、東屋君やハルカちゃんの顔よくみたら見覚えあるなって感じて」
「太っていたから気づかなかったでしょ」
「えっと……、6年も会っていなかったから普通わからないよ。東屋君だって、私のこと気づかなかったでしょ。でも……」
橘さんは一度息を飲み込んだ,
「颯太を体を張って助けてくれたのを聞いて、私と昔よく遊んでくれた子を思い出したの。その子と東屋君が同じだってわかって、なんかしっくりした」
そう言われると、凄くむず痒い感じがした。
「というかさ、東屋君、前にあった時よりも痩せたような気がするけど、大丈夫?」
橘さんの声が少し裏返りながら話題を変えた。
夢の世界でのランニングの効果はやっぱり異常だな、と気付かされる。
大丈夫などと言って誤魔化して、みんなを僕の部屋に入れた。
変なもの落ちてないよな、とか部屋を見渡し、ベッドのシーツの上にやや太いとうもろこしのヒゲを見つけて、ゴミ箱に入れた。妙に新鮮で金色が残っており、絹糸のように艶のあった。
昨日の夜ごはんに食べたとうもろこし、こんなところまで出張してきたか。橘さんに食いしん坊だと思われるじゃないか。
クラスメイトの女の子と何を話せばいいかわからなく、とりあえず対戦の出来るゲームをつけた。排水管掃除をする兄弟がゴーカートで走り合うやつだ。
会話が詰まっても、ゲームがそれを補ってくれた。程よくバナナの皮や火の玉が当たってスリップしては海に落ちた。その度に笑い声や罵声が響き合う。
「兄ちゃん、なんで私にだけ赤コーラ投げるの!? こはるちゃんや颯太君には、やらないじゃない」
「普通お客さんに本気出さないだろ!」
「颯太君めっちゃ上手いじゃん!」
「それはそれ」
「アニキ、今助けるよ!」
「あー! 颯太! もう許さない! リアルファイトよ!」
颯太君の星アタックに、妹のハルカの動かすキャラクターがスリップして、本来のコースではない半周遅れするところに落とされた。
ハルカは立ち上がり颯太君を組み伏せる。
「ちょっと! アニキ! ハルカさん止めて! あーっ!」
両足を掴んで、股に足を差し込んで振動させる通称電気あんまだ。
それを見て橘さんは腹を抱えて笑っていた。
「もうそこまででやめてあげて……、ヒィーヒィー。私が息できなくなる」
「姉ちゃん、僕のこと心配してよ! あーっ!」
いい加減にしなさい、と母さんの声がかかるまで僕の部屋でわいわいと騒ぎ合いが続いた。
橘さんたちが帰る時、
「アニキも明後日の夏祭りいくでしょ? 一緒にまわろうよ」
と颯太君が言った。
近所の大きい神社のお祭りだ。
出店も色々あるけれど、子供が参加できる出し物に有名なお笑い芸人さんがきてコントをしてくれて、その後にカラオケ大会に、盆踊り、そして花火大会。
しばらく行っていなかったから、どうしようと考えてハルカの方を見た。
ハルカは何かを察したようで、ぽそりと、大丈夫、私に任せて兄ちゃん、とつぶやき、
「そうね、いつも兄ちゃんと私で行っているけど、じゃあ四人で周りましょう。ね、ハルカさん! ハルカさんの浴衣見たいなー、一緒に着て行きませんか?」
「えっ、私も浴衣?」
きゃっきゃ話し合う妹と橘さん。
「お母さん、アニキやハルカさんと一緒に祭りに行きたいんだけど、いい?」
どうしようか、と母さんたちが目を交わす。
「大丈夫ですよ。花火が終わるころまでには帰ります」
「そうねぇ、じゃあ誠君にうちの子たちを任せちゃおうかしら」
「それじゃあ、お昼ご飯食べたらこっちに颯太と来るね」
橘さんがそう言うと、颯太君がバイバイと手を振り、玄関から出ていった。
すると、ハルカが笑顔から急に真顔になった。
「私、できる妹でしょ。中学生、夏祭り、浴衣、何も起こらないわけがないでしょ?」
そして、母さんも真面目な顔をして、財布から一万円札を数枚を取り出した。
「デートに行けるような洒落た服を買って来いとは言わないわ。清潔感とサイズ感のしっかりした物を買ってきなさい。誠が選んじゃダメよ。ハルカが選びなさい」
「イエス、マァム!」
ハルカが何故か母さんに敬礼をした。
「そもそも、誠の服、運動着以外全部ブカブカで、お外でこはるちゃんの横なんか歩いたら恥かかせるわよ」
そんな風にして今日の昼から夕方にかけて、服選びに走り回ることになった。
いつも読んでいただきありがとうございます。
感想、ブックマークなどのリアクションがあると、作者としてまだ頑張ろう、と気持ちが溢れます。
本当にありがたい限りです。
昔、外国人の英語の先生に「Yes」のつもりで「Affirmative(了解、ラジャー)」と言ったら、「ソレハ軍隊グライデシカ、使ワナイヨ」とケラケラと笑われたことがあります。
今も私の英語力は英検5級です。
翻訳アプリに足を向けて寝られません。
明日も21時に更新します




