19話 現実 犬派と猫派 Fight!
朝の光がカーテンの隙間から差し込み、まぶたを撫でていった。ゆっくりと身体を起こし、着替えを済ませる。帽子を深く被り、ランニングシューズの紐をきゅっと締め上げると、不思議と心が軽くなる。
走る時間だけは、嫌なことを考えなくて良くなる。思い出すと憂鬱な出来事も、胸の奥に隠し続けている嫌なことも少しずつ形を失っていくからだ。
だから、目の前の道をとにかく走る。余計なことを考えなくていい。だから、とても気が楽だ。
角を曲がった先に人がいる、と感じて、その方向を見つめる。同級生の女の子が、ボクサー犬を連れて歩いていた。あのイカついボクサー犬のジローによく似た犬だ。
同級生のあの子は昨日と同じく頭の後ろで髪をまとめて、光が当たってやや茶色に見える髪の毛が尻尾のように揺れていた。
淡いグレーのパーカーに黒のハーフパンツ、白色のスニーカーを履いていた。
確か、名前は……たちばな、さん、だったかな?
その姿を捉えた瞬間、胸がきゅっと縮む。
目を合わせるのが怖い。変に思われるのも怖い。
そんな自信の足りない自分を隠すように、帽子をより深く被り、僕は視線を落とし、スピードを上げて彼女の横を抜けようとした。
ジローによく似た犬が、また今日も遊んでくれないの?、と悲しそうな顔をした。イカつい犬の悲しい顔は、すごく深刻そうに見えるのでずるい。
そのとき、視界の端で白い影が動いた。
「……ん?」
すぐそばを通った、低く刈り込まれた針葉樹の生垣から、急に小さな白い子猫がひょいと飛び出した。鼻先だけが薄茶で、どこかで出会ったような、変な感じがした。
その瞬間だった。
ボクサー犬が、猫に気づいたとたん、その体から発したには高すぎるような声を出して、後ろに跳んだ。そのイカつさで怖がりかよ。
すると彼女が手に絡まらせて持っていたリードが、彼女を急に後ろに引っ張る形になった。
「あ!」
バランスを崩した彼女の身体が、大きく傾く。
僕は地面を強く蹴った。新しく買ったシューズが、僕の足の動きを邪魔しない。道をしっかり捉えてくれる。
そして、筋肉の中を何かが電流みたいに走った。
彼女が地面に倒れる前に体を支えた。
「だ、大丈夫ですか?」
「あ……はい! ごめんなさい。ご迷惑をおかけしました」
彼女は本当に消え入りそうな顔をしてすぐに僕から離れて頭を下げていた。
クラスメイトにするような言葉づかいではないな。つまり、彼女は僕の格好に気がついていないということか。
安心したような、少しガッカリしたような不思議な気持ちになった。
ジローによく似た犬は、今日はやっぱり遊んでくれるの?、みたいな超絶至極嬉しそうな顔をして僕の足元によってきた。全然違うよ。
僕はそそくさとその場を離れた。
彼女の視線が背中に刺さっているのを感じながらも、振り返る勇気はなかった。
ーーー 橘 こはる ーーー
幼稚園や保育所での思い出を聞かれたら何も思い出せない人が多い。私もその一人だ。
でも、いくつかは思い出せる。
引っ越ししてきて、前まで遊んでいた友達と離れて、別の幼稚園に通うことになって友達がいなくなった。
引っ込み思案の私は、なかなかうまく同じ年齢の子に声をかけられなかった。
そんな時、天使みたいな子に声をかけられた。
ただ、一緒に遊ぼう、と声をかけられただけ。でも、不思議とその子について行ったら大丈夫のような気がした。
また、一人で他の子に混じれないでいると、その子に同じように声をかけられた。
だんだんとその天使のような子を目で追うようになり、いつの間にかその子に私から声をかけるようになった。その子とよく遊ぶ子とも話すようになった。
その子のおかげで幼稚園の中に馴染めたと今ではそう思う。
家が近くて、その子の家族も優しくて、公園でよく遊んだ。
確か、その子にそっくりな妹ちゃんもいた。おめめがくりくりして、すごく可愛かった。多分、きっと今ごろ何人の男の子を初恋の相手になっているのだろう。
あの子……かなり後になって女の子じゃなくて男の子だと知ったんだよね……。小学校の学区がギリギリで分かれていたから、合わなかったけれど、中学校は同じはずなんだよなあ。
すごくかっこいいか、可愛くて守りたくなるタイプのイケメンになってるはず。
絶対目立つはずなのに、全然見かけない。
そういえば……名前、なんだったっけ?
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私は犬になりたいです。




