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15話 現実 妹とデートできる悦び(※現金と忍耐が必要)

 夏休みに入ると、ランニングの時間は休みの日と同じ朝起きてすぐの時間帯にすることにした。夏の暑さは日が照ってくるとどうしようもない暑さで、むわっとした熱気が足元から立ち上がり、道路のアスファルトで目玉焼きが作れそうなのだ。

 まだ比較的涼しい時間のうちに走った方がいい。その方が無駄に疲れない。暑さで出た汗で痩せたことなんてないのだから。


 爽やかな日差しの中、歩道を駆け抜ける。駆け抜けると言っても、のっしのっしとデブの僕が走るだけなのだが。家から500メートルくらいの場所に外周一キロメートルの公園があり、その公園の外周を3周走り、家の帰り道の残り500メートルを走れば4キロメートルとなる。前にクールダウンのウォーキングをしないと、疲れが重いような気がした。ランニングの本では、走った後は急に休むよりも歩いた方がいいと書かれていたので、家の周りを100メートルくらいを歩いてから家に入る。

 距離を伸ばした直後は少し苦しかったが、だんだんと慣れてきた。次はまた距離を伸ばそう。4.5キロメートルにしよう。帰りの道を完全歩きにして、公園外周を4周にしよう。

 前より少し楽に走れるようになると、なんだか自分が変われる気がした。


 公園から家に帰る道、信号を待っていると、犬の散歩をする少年がいた。いかつい犬の顔と少年の人懐っこい顔は覚えていた。


「あ、ジローを探すの手伝ってくれたお兄ちゃん!」


 手を振ってくれる少年に、僕ははにかむ。


「おはよー。朝早くから犬の散歩、すごいね」


「うん、でも、本当はお姉ちゃんがするって約束していたのに、寝坊してるんだ」


「大変だね」


 そんなふうに話していると歩行者信号が青に変わる。僕は少年に手を振って離れた。




 家に戻ると、家の中の時間が動き出していた。

 両親と妹は起きており、朝食が出ていた。

 僕は顔を軽く洗い、水を飲む。爽やかな涼しさに生き返るようだ。そして、テーブルにつく。

 今日の食事は食パンにハムエッグ、切ったトマトだ。母が僕の前にキンキンに冷えた牛乳を置いた。


「最近早起きして頑張っているね、パンもう一枚増やす?」


 そして、父が、


「走るのはいいけど、もし続けるならランニングシューズ買った方がいい。マコトの使っている運動靴は、毎日ランニングするようの靴じゃない」


 そう言って、財布から一万円札を二枚取り出した。


「えっ、こんなに!?」


 胸がざわっとする。嬉しいのに、落ち着かない。

 お父さんもお母さんも高いものはあんまり買わないし、むしろ半額シールの商品やネットでの買い物もポイントがつく日を狙って買い物する人だ。

 僕の靴のために、こんなにお金を与えていいのだろうか。


「足首を守りつつ、クッション性能の高いやつを買う方がいい。トレーニング用のランニングシューズも意外と高いからこれくらい持っていけ。高いものにはそれなりの理由がある」


「ネットで買った方が……」


 母が微笑んで、2万円をさらに僕の方に寄せて、メモ紙を渡した。


「お父さんがね、このメーカーのなんという製品がいいか、いくつかを調べているの。それをお店で実際に見せてもらって、履いてから、しっくりするやつを買った方がいいって」


 お父さんも仕事で忙しいのに、よく調べるよ……


「えー、お兄ちゃん、靴買ってもらうの!? いいなあー」


 妹が僕の席の後ろからぴょこっと顔を出した。寝ぐせがぴんっと跳ねていて、本人は気づいてないらしい。


「そうそう、お兄ちゃん、ちょっと汗くさいから、おでかけするならシャワー浴びた方がいいよ」


 少し汗ばんだ服からは、確かに少し不愉快な臭いが漂っていた。

 着替えるだけじゃなくてシャワー浴びよう。

 夢みたいに生活魔法のクリーンが使えるといいのにな。




 買い物に行く前に、課題や勉強をやっておこう。どうせお店はまだやってない。

 学校の課題の最低限やらないといけない部分を終えると、体の止血点を探すことにした。たしか5箇所だ。直接止血ができない時にやるんだったよな。


 腕の付け根と肘の中間、二の腕の内側。

 鎖骨のすぐ下。

 足の付け根の鼠径部。

 膝の裏の中央。

 こめかみの前方。


 本当にこんなところで止血できるんだろうか。

 動脈が通っているから血が止まるのか。

 じゃあ動脈を外していたら止まらないってことか?

 血管なんて見えないのに……。そういえば血管ってどういうふうに伸びているんだろう。

 インターネットを使いながら、血管や止血点を調べた。不思議と、興味あることだから頭にスルスル入って行った。




 昼ご飯を食べ終えた頃、妹が僕の部屋をひょいと覗き込んできた。


「ねえ、兄ちゃん。暇。靴買いに行くんでしょ? 連れて行って」


 夏休み初日で暇って、夏休みの宿題終わらせた方がいいんじゃないかな、と思ったけれど妹のお願いにはなかなか嫌だとは言えない。


「ランニングシューズ、見るだけだよ?」


「私は駅前のショッピング街、行きたいなあ。あそこにアシダスとアソックスのショップあるし、ショップの人が合うやつおすすめしてくれるよ」


 さあさあ、準備してと押し切られ、僕たちは地下鉄に乗って街へ向かった。

 人が増える度に息が詰まる。でも、妹が隣にいるだけで、張り詰めるはずの感情が薄れていく気がした。

 電車の振動に合わせて、妹のポニーテールがぴょこぴょこ揺れる。


「今日は暑いから、八葉パーラーのパフェ食べたいなあ」


 暑い日差しの中や電車の中でも妙に機嫌が良かってのはそういうことか。


「それが目的かい!」


「兄ちゃんに奢ってもらった、というのが大事なの」


 よくわからないことを言うなあ、と思うが、ニコリとしている妹の笑顔に怒る気持ちにもなれない。

 それに、僕一人だったらこんなところまで来ないだろう。あまりに自分の許容できる空間にしか出歩かない僕を、妹が引っ張って来てくれたようなものだ。

 そうか、妹もずっと僕のことを気にしてくれていたのか。


 ショッピング街に着くと、人の波が一気に押し寄せた。その時に数人見知った顔がいた。クラスメイトの男子達だ。

 うわ、よりによってこのタイミングで。


「あれ、マコトじゃん」


 ひとりがニヤッと笑った。


「妹とデート? そうだよな。こんな可愛い子、妹じゃなかったら一緒に歩けないよな」


 周囲の子たちも、くすくす笑い始める。

 僕は歯を食いしばる。妹の前で僕を馬鹿にするのは……やめろよ。


 視線を地面に落とした僕が返事を探していると、横から妹が一歩前へ出た。


「デートって……あなたたち家族と買い物したことないの?」


 淡々とした声だけど、妹の声はとても鋭い刃のように刺さる言い方だった。


「兄と出かけるの、普通じゃない? ……変なの」


 同級生たちが一瞬だけ押し黙る。


「いこ、兄ちゃん」


 妹は僕の袖をつまんでぐいっと引っ張った。

 その背中は、なんだか誇らしげだった。


 残された同級生たちを後にして歩き出すと、しばらく歩いて妹がふっと笑う。


「あれ、兄ちゃんの同級生なの? 精神年齢低くない?」


「……ありがと」


「あの人たち普通におかしいよ。それに、お兄ちゃんは馬鹿にされるような人じゃない」


 その一言が、感謝してもしたりない、妹の僕に対する優しさだった。

 汗でべたつく夏の空気の中、少しだけ風が通ったように感じた。




 アソックスの専門店に入り、ランニングシューズの棚を見て回る。

 店内のひんやりした空気が、汗ばんだ肌に心地いい。


「これどう? めっちゃ軽くない?」

 妹が手に取ったのは、ネオンカラーの派手なモデル。


 僕は商品名を見て、お父さんの書いてくれたメモを見る。


「うーん……これは違うみたい。……レース用なんだって」


「お父さんのおすすめは?」


 僕は棚に書かれた商品名を探すと、それはトレーニング用のランニングシューズの棚に置かれていた。

 それは、黄色いランニングシューズで、少し重みも感じた。ランニングシューズなのに普段の靴とあまり変わらないかも。


「綺麗だけど、兄ちゃん、この色好き?」


 僕は首を横に振った。


「履いてみるだけでもどうですか?」


 ショップの店員さんが音もなく後ろに立っていた。


 僕と妹は少しぶるりと震えた。

 痩せ気味の男性の店員さんに勧められて、履いてみる。普段の靴とあまり変わらない。なのに、足首がしっかり守られているし、一歩一歩の足の重みも柔らかく感じた。


「サイズはいいですね。中学生だったよね? 成長期だから、大人みたいにピッタリのサイズはやめた方がいい。だいたいこんな感じに1センチメートル余裕がある感じがいい」


「いいと思うんですけど、色が……」


「マジか……めっちゃいいと思うんだけど……去年のモデルでもいい?」


 僕の返事を待たぬまま、お店の奥に店員さんが引っ込み、少し埃が被っていた箱を持ってきて封を開けた。

 赤っぽいオレンジ色の、同じような感じの靴だ。

 夕日を見ているようだ。

 僕は預かって履いてみる。

 先ほどの靴と同様にすごくしっくりくる。


「これがいいです」


 何かを考えるよりも先に声が出た。

 値札がちらりと見える。17800円。親から貰ったお金では余裕で買える。でも、勇気のいる価格だ。


「これ去年のモデルだから、2割引きにしてくれますか?」


 妹が大胆にそんなことを言うので、僕は目をぱちくりして妹の方を見て、店員さんが機嫌を悪くしてないか心配になり、目を向けると、店員さんはニヒルにニヤリと笑った。


「これ、うちのホームページで3割引きで売ってるけど、2割引きでいいの?」



 妹が、えー!、と悲鳴をあげて、僕と店員さんは失笑した。


 会計をすませて店の外に出ると、じわりと熱気が押し寄せてくる。

 だけど、買ったシューズが入った袋は不思議と軽かった。


「次どこ行く?」


と妹が尋ねる。


「暑いし、八葉パーラいくか」


「兄ちゃん、わかってるぅー!」


 妹の笑顔は無邪気で、どこかちょっと抜けていて、でもまっすぐで。

 その横顔を見ながら、僕は安らかな気持ちになる。


 夏休み初日の午後。

 ただ妹と買い物しただけの時間なのに、不思議と気持ちが楽になった。


 新しい靴の袋を振りながら、僕は心の中で、明日走るコースを少しだけ長くしてみよう、そう思った。

 読んでいただきありがとうございます。

 感想、ブックマーク、評価等励みになっております。


『高いものには理由がある』

 悔しいけど、これは本当であることが多いですよね。

 ランニングシューズはピンキリで存在してますが、初めて2万を超えそうな靴を買って練習した時は、地面からの反発が増えたり、しっかり足首をホールドされている感じがあるとか、少しだけ自分がアスリートに近づいたような謎の高揚感を覚えました。

 とりあえず、高いので買うのは勇気が必要なのは間違いないです。


 次回も21時に更新予定です。

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― 新着の感想 ―
ウォーキングですけどMIZUNOのウェーブレガシーっての使ってます。アマのセールでうまくやれば一万切って買えるやつ。毎日走るとホント靴は消耗品でしか無いですよね
妹ちゃん、めっちゃ良い子。 というか、妹ちゃんの言う通り、クラスメイトの男子たち、普通におかしいよね。
妹ちゃんの優しさにほっこりしました。^_^ そうだよね。ちょっとポッチャリだからって、今までの優しいお兄ちゃんじゃなくなるわけじゃないし、もちろん嫌ってるわけでもない。馬鹿にされたら言い返すくらいには…
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