彼女の一部
俺が、彼女のヘアゴムを盗んだ数分後、彼女が戻ってきた。手にはスポーツドリンクのペットボトルを持っている。彼女は自分の席に着くと、すぐに机の上にヘアゴムがないことに気づいたようだった。きょろきょろと、不思議そうに机の上や床を探している。
俺は、顔を上げることができなかった。スケッチブックに視線を落としたまま、鉛筆を握りしめる。背中に、彼女の戸惑う視線が突き刺さるような気がして、冷や汗が流れた。
やがて彼女は諦めたのか、カバンから予備のゴムを取り出して、無造作に髪を結び直した。そして、何も言わずに、また参考書に視線を落とした。
俺は、安堵と、それから得体の知れない罪悪感と、そして倒錯的な満足感に、全身が震えるのを感じていた。
家に帰ると、俺はすぐに自分の部屋に閉じこもった。ポケットから、盗んだヘアゴムを取り出す。ただの、使い古された紺色のゴムだ。ところどころ、繊維が毛羽立っている。
俺はそれを、机の引き出しの奥に、宝物のようにしまった。
その日から、俺の日常は一変した。彼女と目が合うのが怖かった。もし、「あの時、私のヘアゴム見なかった?」なんて聞かれたら、俺はまともに答える自信がなかった。
だがそれでも俺は図書室へ行くのをやめられなかった。
俺は彼女から逃げるように、図書室では壁際の席を選び、うつむいて過ごすようになった。彼女の気配を感じるだけで、心臓が痛いほど締め付けられた。
俺は毎日、夜に自室で一人になると、引き出しからヘアゴムを取り出した。指でそっと撫でてみる。そして、我慢できずに、それを鼻に近づける。
甘い、シャンプーの香り。そして、その奥にかすかに、彼女自身のものと思しき匂いがする。それは、俺が想像していたよりもずっと生々しい、人の匂いだ。汗と、皮脂と、彼女の体温が混じり合った、生命の匂い。
その匂いを嗅ぐと、頭がくらりとした。俺は、いけないことをしている。これは、窃盗だ。変質者のやることだ。分かっている。分かっているのに、やめられない。ヘアゴムを握りしめると、まるで彼女自身の一部を手に入れたような、歪んだ全能感が湧き上がってきた。