9.気がかり③
薄暗い道を駆け足で進んでいく。
京香の迎えを除いて、通学路を走って帰るなんて何年振りだろうか。
桜ちゃんの家の前に着いたのは18時頃。やっぱり車は止まっていなくて、リビングであろう大窓にはシャッターが下ろされていた。
もしかしたらもうすでに母さんがウチに呼んでいるかもしれないが、声をかける分には良いだろう。
インターホンを押し、声が聞こえるのを待つ。
「こんばんは、悠叶です。桜ちゃん出てこれる?」
…………。
まぁ、出てこないよなぁ。留守番してる時にチャイムが鳴っても出るなって俺も言われてたし。
やっぱり、もう俺の家にいるのか?
もう一度チャイムを鳴らして音沙汰がなかったら帰ろう、とインターホンに手を伸ばしたその時、玄関の扉が僅かに開いて、その奥から「はるかくん?」と小さな声が聞こえた。
「うん、そうだよ。今ってお家に1人?」
「うん。パパもママもお出かけしてる」
重たい扉を小さな体で押して、彼女の姿が現れる。
「そっか。今日ね、良かったらウチで一緒にご飯食べないかなってお誘いにきたんだ」
「いっしょに?……でも…」
戸惑いながら俯く彼女。
「嫌……かな?」
「イヤじゃないよ! いっしょがいい…1人は、さみしい…」
キュッと小さな手で自身のワンピースの裾を握る彼女の手は少し震えていた。
こんな、まだ5歳の子にこんな表情をさせるあの両親に虫唾が走る。
「じゃあ一緒に行こうか」
俺が差し出した手を握り返してくれたのを確認して歩き出した。
「今日はパパとママはずっとお出かけしてるの?」
「うん…」
「……お迎え遅くなってごめんね」
今日は母も京香を連れて出かける用事があったから彼女を1人にする他なかった。
フルフルと首を横に振っているけれど指先には微かに力が込められていた。
あの人たちは何が目的でこの子を産んだのだろうか。
過去に一度でも彼女に対して愛情を向けたことはあるのだろうか。そして、この先にもその可能性は……。
成長していくにつれ、彼女は現実を知りやがて最後には全てを諦めるのだ。
両親に愛されることも、認めてもらうことも、必要とされること全てを。
あの泣きたくなるほどの綺麗な笑みを浮かべて。
こんなこと、全て俺の妄想で終わればいい。なんて、隣で幸せそうにオムライスを頬張る彼女の姿を見て思った。
「はい、好きなの選んで」
小さな箱の中に並んだ四種類のケーキを見て子供たちは目を輝かせる。
「ボクとママで選んだんだ! さくちゃんお先にどーぞ!」
二人で出かけた帰りに見かけたケーキ屋に立ち寄ったらしい。
いちごのショートケーキにチョコレートケーキ、チーズケーキとフルーツタルト。
どおりで京香が好きそうなケーキばかりだと思った。
京香に促されて、ちらりと俺や母さんの表情を伺った彼女はおずおずと目当てのケーキを指さす。
「いちごの……」
「はぁい」
「ボク、チョコ!」
「悠叶は?」
「フルーツタルトがいい」
母さんが一人一人の要望を聞きながらお皿に移していく。
それぞれのケーキが行き渡って夕食の時のように「いただきます」と声を合わせた。
「……!!」
一口食べた途端、音にならない感動の声が聞こえた。大きな瞳が溢れそうなほど開かれていく。
「おいしい?」
問いかけに首がもげそうな勢いで頷く彼女を見て思わず笑ってしまった。
プリンの時も思ったけれど……。
「甘いもの好きなの?」
「だいすき!」
今までにないいくらいの笑顔を向けられて心臓がダメージを負う。
危ない、可愛すぎて抱きつくところだった。これが京香だったら躊躇わず抱きしめていただろう。
よく耐えた、俺。
まぁ、抱きしめることは耐えられても、頭を撫でることは耐えられなかったのだけど。
「俺のも食べる?」
まだ手を付けていない自分のケーキを彼女の前に差し出すけれど、首を横に振られてしまう。
「みんなでいっしょにたべたい」
一緒……。そうだったね。
俺が一緒って言ったんだった。
「一緒に食べよっか」
みんなで一緒に食べたケーキはいつもよりも数段甘く感じた。