7.気がかり
桜ちゃんがうちに初めて泊まってから数週間。その間にも何度か彼女を京香と一緒に連れて帰ってきてはこの家でご飯を食べて眠っている。時折、仕事が早く片付いたのか既に降園している日もあるけれど、本当にごく稀だ。
今日は珍しくお迎えに来ていたみたいで、学校から帰ってきて出迎えてくれたのは弟1人だった。
「お帰りなさい。ご飯できるまでもう少し時間かかるから京香と一緒に先にお風呂入っちゃって」
「ただいま。わかった」
「兄ちゃんいこ!」
「荷物置いてからなー」
京香の頭を撫でてやってから自室へと向かう。
階段を降りている途中でふと気になった。あの日と同じように階段の窓を開け駐車場を見る。車を2台止めてもまだスペースが余りそうなほど広い駐車場には車が一台。
よかった、今日は誰かと一緒に過ごせているらしい。
ごくたまにの本当の両親のお迎え。最初は良かったと思っていた。
けれど、桜ちゃんがうちに居ない日は決まって19時頃に車が発進する音がする。まさかと思って確認すればそこに車は一台も止まっていなくて。
あの親はまた仕事へと向かったのだろう。
休日だって一日車が止まっているところを見たことがない。朝早く、それか前日の夜から家を出て、日が暮れる頃帰ってきたかと思えばまた出ていく。
一体、彼女はあの家の中でどんな生活をして、どんな表情をしているのだろうか。
どれだけの寂しい思いを……。
ただの隣家の子供。普通ならここまで干渉するべきではないのだろう。むしろ向こうの両親からすれば迷惑な可能性だってある。
それを理解しているから俺たちはギリギリのラインを探ってそこを超えないようにしている。
本当はずっとこの家に置いてあげたい。寂しさを感じないように、ずっと隣にいて甘やかしてあげたい。
けれど、それを本人が望んでいなかったら? 彼女が望まないことをして傷つけたくない。
一般の常識の範囲で、も十分な理由ではあったけれど、桜ちゃんの本心を無視したくないというのが一線を越えられない一番の理由だった。
「兄ちゃんまだぁ?」
「悪い、今行く」
今日も彼女の家に車は止まっていなかった。
彼女たちが引っ越してきて、一日中車が止まっていたことがあっただろうか。
俺の知っている限りでは一度もない。
親は心配になったりしないのだろうか。
怪我だったり事故だったり、家の中だからといって絶対に安全とは言い切れないだろう。
だからほとんどの家庭が子供を保育園やベビーシッターにお願いをしたりするのだ。
あの家は所謂育児放棄というものに近いのだろう。
「__なんですけど……、朝日奈先輩聞いてます?」
「……えっ」
部活の昼休憩。名前を呼ばれたことでハッとする。
俺の顔を覗き込むようにして心配の表情を浮かべる後輩がいた。
さっきまで一人でお弁当を食べていたはずなんだけど……。誰かが隣に来たことにも気がつかないとか。
しかも会話の流れや雰囲気的に所々返事はしていたらしい。
めっちゃ失礼じゃん。
「ごめん、少し考え事してた」
「ですからぁ、部活のことで相談したいことがあって……今日の部活終わりお時間ありませんか?」
「……今日は予定があるからごめんね」
「ほんの少しでいいんです!」
断っても食い下がる彼女。その必死さに深刻なことなのではと考えがよぎる。
ならば早いこと話を聞いてあげたほうがいい。手遅れになってからじゃどうしようもないから。
本当のことを言えばこの後予定はない。以前の俺なら迷うことなく了承していた。
けれど今は……。桜ちゃんがどうしているか気になってしまう。
でも、部長としての仕事も大切で。
優先するべきはこっちか。
「わかった。あんまり時間とれな__「お、いたいた。探したんだぞ〜」」
悩んだ末に出した俺の決断を突然聞こえた声が遮る。
その方向へ顔を向ければ、そこにいたのは友人の秀弥だった。
「なぁにしてんの?」
「佐藤さんが部活のことで相談したいことがあるらしくて。放課後に時間があるか聞かれてたんだ」
「ふーん、相談…ね」
どこか含みのある言い方だな。何かを探るように静かに相手を見据える秀弥。
彼女の方は居心地の悪いような表情をしていた。
「今日こいつ親に頼まれた用事あるって言ってたし、俺が聞くんじゃだめ?」
「え……でも……その」
愛想のいい笑顔を浮かべる秀弥とチラリと俺の顔を見る彼女。
「部活の相談なら副部長の俺でも構わないだろ? じゃあ終わり次第部室で待ってるから」
「っ……」
ほとんど一方通行で会話を終わらせた秀弥は俺の背を押しその場を後にする。
彼女が最後にどんな表情をしているか分らなかったけれど、後日時間がある時に様子を伺おう。
「俺お前に予定あるとか言ったっけ?」
「んや、なんも。ただ、今日ずっと難しそうな顔してっからなんかあったんかなって」