2.初めまして
4月6日、春休み最終日。
明日から中学3年生になる俺は、課題も終わり暇を持て余していた。
友達の秀弥に連絡をしてみれば、まだ課題が終わっていないらしく「裏切り者!!」とご丁寧に電話で罵られるはめに。
だから俺はあれほど前もってやっておけと言ったのに。
その度に「大丈夫」と適当に返事をしていたのは誰だ。
ふぅ、とため息にもにた息を吐き出しながらソファーに寝転がる。今日一日何をして過ごそうか考えていれば、庭で花壇をいじっていた母さんに呼ばれた。
なんだろ。ゴミ袋とってきて〜とかかな。
「何?母さん」
リビングの大窓をから顔を覗かせれば、こっちと手招きをする母さんと、その場にいる見覚えのない一つの家族。
ソファーに寝転がっていたせいで少しよれた服を整えてから外へ出る。
「お隣に引っ越してきたんだって。わざわざ挨拶にきてくれたみたい」
隣……? あぁ、最近建ったこの大きな家か。
この辺り一体は所謂高級住宅街(ウチは半分見栄みたいなもの)と呼ばれる場所で、それなりに大きな家が並んでいる。けれど、隣の家は建築当初から広大な敷地と完成していく大きな邸宅に近所で度々話題になっていた。
「隣に越してきた涼白です。よろしくお願いします」
俺に向けられた言葉と笑顔に背筋が伸びる。
「初めまして。朝日奈悠叶です」
「悠叶くん、ね。しっかりしてるのね」
「ありがとうございます」
愛想のいい笑顔を浮かべ挨拶を返せば目の前の女はじっと俺を見据える。
ねっとりとしたどこか品定めをするかのような居心地の悪い視線が不快だ。他人の子供を、しかも初対面でそんな視線を向けてくる人間がまともなわけがない。
今まで父さんに連れられてたくさんの大人と挨拶を交わしてきたけれど、ここまであからさまなのは久しぶりだ。
それでも表情を保ち続けることは慣れている。
「桜も挨拶しなさい」
父親に催促され後ろからひょこっと顔を覗かせたのは小さな女の子。
ミルクティーブラウンのふわふわとした長い髪の毛に、同じ色のクリっとした大きな瞳。その周りは長いまつ毛が囲っている。
白いフリルが裾にあしらわれた桜色のワンピースが彼女の儚さを引き立てる。人形みたいな子。
父親のズボンの裾を握ったまま口を開かず、チラリとこちらを伺って。視線が絡むとすぐに下を向かれてしまった。
まぁ、こんなに人に囲まれていたら緊張数よなぁ。
可愛らしい姿にクスリと笑みが溢れる。
あま見つめ続けるのも可哀想かと彼女から視線を上げれば、この子を見る二人の目がとても冷たくて。
それはもう、本当に親子なのかと聞きたくなるほどだった。
あ、これダメなやつだ。
直感的にそんなことを思った。
けれど、気の利いた言葉が咄嗟に出てこない。
「そうだ。お茶はお好きですか?」
グルグルとした思考から俺を引き戻したのは母さんが鳴らした手のひらの音だった。
穏やかな声音と笑顔が場の空気を和らげる。
「え? えぇ、よく飲みますけど……」
「よかったぁ。実はこの間親戚からお土産で紅茶の茶葉を貰ったのだけど沢山あって困ってたんです。よければ貰ってくれませんか?」
「……いただきます」
話しながら母さんに背中をそっと押されて、まだギュッと握った手を緩めないでいるままの少女に近づき目線を合わせるように屈んだ。
「こんにちは。よかったらお兄ちゃんと少しお話ししてくれる?」
できる限り優しい声色を心がけて問い掛ければ、ゆっくりと頷く。
「ありがとう。お名前は?」
「すずしろさくら……」
「さくら…、お花の?」
「……うん」
「桜ちゃんか。可愛いね、似合ってる」
名は体を表すとはこういう子のことを言うのだろうか。
ふわりとした笑顔を見せてくれた目の前の少女はまだ幼いのに大人びていて、咲いてはヒラヒラと散ってしまう桜のような儚さを持つ子だった。
「お兄ちゃんは? おなまえ……」
「俺は朝日奈悠叶。よろしくね、桜ちゃん」
まずは握手からと手を差し出すけれど、伸ばした俺の手は宙へ放置されたまま。
急に距離詰めすぎたか? ズボンを握る力が緩んでいたし、俯いていた顔は上がって瞳は俺を捉えていたから緊張も解けて大丈夫かと思ったんだけど。
これは、どうするのが正解なのか…。
「はる……と……さくら」
それぞれの名前の時に人差し指を向ける桜ちゃん。
はる? さくら? あぁ、そうか。
何度か同じ単語を頭の中で繰り返せばようやく彼女の言いたい事がわかってふっと笑いが溢れた。
「春みたいな名前だ! お揃いだね」
「おそろい!!」
残されたままの俺の手を小さな量の手で握ってキャッキャと喜ぶ桜ちゃん。
なにこの子、めっちゃ可愛いんですけど。