12.変化②
「秀弥」
この光景を見てると桜ちゃんと初めて会った日のことを思い出す。
俺も最初は怯えて隠れられたな。最近のことなのに懐かしく感じる記憶に笑みが溢れた。
そう考えると気を許してくれてると思っていいのかな。
「ぁ……ごめんな。俺は悠叶の親友でクラスメイトで部下の秀弥。秀ちゃんって呼んでくれてもいいぜ?」
「し、秀ちゃん……?」
「おー、秀ちゃんだぞー」
京香にやるのと同じようにワシャワシャと雑に彼女の頭を撫でそうになる秀弥の手を止める。
「桜ちゃん女の子だから。あとお前は俺の部下じゃない」
「副部長は部長の部下だろ?」
「お前みたいな部下は嫌だ」
「そんなこと言わないでよ。は・る・ちゃん」
甘えるような声を出し擦り寄ってくるその様はなんとも気持ち悪い。
鳥肌立つかと思った。
「二度とその声出すなよ。あとその__」
〝呼び方も〟と続くはずだった言葉はか細い不安気な声に打ちとめられる。
「悠叶くんは秀ちゃんのこと嫌いなの?」
「えっ!? 嫌いではないけど……」
秀弥のことは嫌いじゃない。
なんだかんだいいながらも勉強は手を抜かないところとか、周囲をよく見れる器用さとか、尊敬はしてるけど好きとはまた違う気がする。
「違う違う、こいつ俺のこと大好きだから」
桜ちゃんの質問にうまく答えられないでいれば、秀弥が俺の代わりに答える。それも見当違いな答えを。
誰が、いつ、お前を大好きだと言った。
桜ちゃんが変な誤解したらどうしてくれるんだ。というか、そもそもなんで桜ちゃんはこんな質問を?
「そんな顔すんなよ、安心しろって。俺もお前のこと大好きだから」
「いやそうじゃなくて……」
「わっ、私のほうが悠ちゃんのこと好きだもん」
俺の手を小さな手でぎゅっと握り一生懸命張り合っている。張り合ってはいるけれど、語尾に向かうにつれ小さくなる声と泳ぐ目線が彼女らしい。
きっとこんなふうに誰かと張り合おうとしたのも初めてなんだろうな。
その要因が俺なのが嬉しいななんて。
「俺も桜ちゃんのこと好きだよ」
「ほんとう?」
「本当」
「兄ちゃん、僕はー?」
さっきまで秀弥にベッタリだった京香が期待を込めた瞳を向けてこちらを見つめてくる。
その表情から俺の答えなんてわかりきっているだろう弟を力一杯抱きしめて「もちろん大好きだよ」と答えた。
満足気にはしゃいだ声が聞こえる片隅で秀弥が何か文句のようなものを言っているような気がしたけれど反応したら面倒くさいことになりそうなので放っておいた。
***
「特別扱いが過ぎると思いまーす。俺にももう少し優しくしてもいいと思いまーす」
「秀弥うるさい。寝かせろ」
桜ちゃんと京香と一緒に来ていた母さんと一度別れ、バスで学校へと戻る途中。
一番最後に社内へ乗り込んだ俺たちは必然的に隣同士かつ一番前の席になったのだが……。
そこまではよかった。けれど、隣に座っている秀弥がさっきからうるさい。ぶつぶつ俺にしか聞こえない声で文句にも似た要望をぼやき続けてくるのだ。
他の部員に迷惑をかけないように小音なのがまた腹立たしい。
そんな気遣いができるなら俺にも配慮してくれないかな。
強制的に黙らせるために掌を秀弥の顔面に押し付ければ、ぐぇっと妙な鳴き声があがった。
「……これで黙るから、一つだけ」
「……なに?」
「………名前、いいのかよ」
怪訝な顔をして尋ねるのは、俺があの呼び方で呼ばれることを嫌うと知っているから。
朝日奈悠叶。男なのに女みたいな名前。物心ついた時からずっとこの名前に苦手意識を持っている。
なにも最初からこの名前が苦手だったわけではない。むしろ小学校低学年頃までは気に入っていたと思う。けれど、ある日を境に揶揄われるようになってから自分の名前は周りとは少し違うのだと理解した。そこからはだんだんと違和感に変わっていき、嫌悪感を抱くにはそう時間はかからなかった。
男から「女みたいだ」と揶揄われ、女の子たちからは「可愛い」と言われ続け、今ではさ正直他人から名前で呼ばれることも抵抗がある。ちゃん付けなんてもってのほかだ。
けれど、桜ちゃんになら。何よりも先にこの名前を綺麗だと言ってくれた彼女になら呼ばれてもいいかなと思ったんだ。
「正直びっくりはしたけど…」
まさか桜ちゃんに呼ばれるとは思わなかった。
いきなり呼ばれても嫌悪感を抱かなかったのは、彼女の言葉に表裏がないと知っているからだろうか。
「……そうだね。桜ちゃんは特別かな」