八日目
ここは盛岡駅の近くにある温泉旅館。規模の大小はあるが日本には温泉が各地にある。温泉街を持つ有名な温泉もあれば秘湯と呼ばれるような人目につきにくい場所にある温泉もある。温泉利用の宿泊施設がある場所の事を温泉地と呼びそのような宿が一軒でもあれば立派な温泉地である。日本には無数の温泉地が存在しており温泉地を巡るだけで日本中を旅する事が出来るだろう。
昨日の昼過ぎからここの温泉を堪能した吉岡と橋本の二人だが、今朝も朝食前から温泉に入ってのんびりと過ごしていた。
「やっぱり温泉は最高だなぁ。何というか、心身ともにリフレッシュできるぜ」
そう言う橋本に吉岡が応える。
「本当にそうだな。今日は十時発の東北新幹線に乗るんだが、二時間もすれば北海道に上陸!あとは特急を乗り継いで目的地の函館に午後一時頃に到着って感じかな」
「なるほど。今日は出発時間に少し余裕があるから、こうやって朝風呂してても良いってことか」
橋本はそう言って露天風呂の湯船から見える絶景を眺めている。
朝風呂を堪能した二人は朝食会場へ足を運ぶ。まだ朝の七時だというのに結構混雑していた。
「朝から温泉に入ったからお腹がペコペコだぜ」
橋本は早速和食ビュッフェを取るために席を立った。
程なくして戻って来た彼のお盆には、昨日新記録を打ち立てる程食べたというのにお椀に入った蕎麦もしっかりと鎮座している。
「橋本チャンピオン!またお蕎麦ですか?」
インタビュー風に問いかける吉岡に橋下が答える。
「チャンピオンたるもの、常に鍛錬ですから。来年も新記録を狙うぞー」
そんな他愛もない会話を楽しみながら朝食をすませた二人は部屋へと戻ったのである。
部屋で支度をしながら吉岡は旅のしおりを再確認している。そのしおりには彼らの予定がかなり詳しく書かれている。今日はまず盛岡駅十時発の東北新幹線で岩手県から青森県へ入り、そのまま海底地下トンネルを通って北海道へ上陸。北海道に上陸して直ぐにある新函館北斗駅で東北新幹線を下車し、午後十二時三十分発の特急はこだてライナーに乗り換えて二十五分後には函館駅へ到着。そこからタクシーで十五分のところにある函館五稜郭が本日の目的地である。
午前九時半。出発準備を整えた二人は温泉旅館を後にして盛岡駅へ向かったのである。
予定通りの午前十時に東北新幹線に乗り込んだ二人、橋本が窓の外を眺めながら吉岡に話しかける。
「今日も天気がいいなぁ」
「そうだな...」
吉岡の返事が冴えない。
「どうした?何か物思いに耽っているようだけど」
「昨日からずっと考えているんだよ。最初は山口県の錦帯橋で赤木が転落。次に長野県の松本城でカオリちゃんが転落。その次は千葉県の九十九里浜の落とし穴でチヒロちゃんが。そして福島県の猪苗代湖でアカネちゃんが吹き矢で。どう考えても、犯人はオレたちアウフ・ライズンの行動を先回りしているとしか思えない...」
「確かにそうだな。でもどうやって?今回の旅程は、ヒロト、お前が詳しい事は誰にも言わずに一人で計画したんだろ?」
「ああ...だから不思議なんだよ。オレの考えた旅程は少なくともみんなに旅のしおりを渡すまではオレしか知らないはず...」
そう吉岡が言った瞬間、彼の表情が驚きに変わる。
「そうか!!もしかしたらしおりかも知れないぞ!」
そう叫ぶ吉岡に橋本が問いかける。
「犯人が旅のしおりを誰かから盗んだって言いたいのか?オレは自分のやつは持ってるけどお前はどうだ?」
「オレも持っている。取り敢えず、真鍋警部に連絡して赤木やカオリちゃん、チヒロちゃんにアカネちゃんの遺留品に旅のしおりがあったかどうか聞いてみよう!」
早速吉岡は携帯をとし出して真鍋警部の番号に掛ける。
「もしもし、吉岡です。真鍋警部、すいません突然連絡して。一つ確認して頂きたい事がありまして...」
「...なるほど、吉岡君。そういう事であれば、今直ぐ各所に連絡して確認してみよう!ちょっとそのまま待ってもらえるかな?」
保留音が流れて五分ほど経った時、不意に真鍋警部の声がした。
「お待たせしたね。今連絡が入ったんだが、全員の旅のしおりの存在が確認できたそうだ」
「そうですか。ご確認ありがとうございました」
電話を切ったその時、車内アナウンスで新幹線が北海道へ上陸した事を知った。それから程なくして新函館北斗駅へ到着し特急へ乗り換えたのであった。特急に乗り換えた後も二人はまだ先程の話の続きをしていた。
「なぁヒロト、これでオレたち全員の旅のしおりが手元にある事がハッキリしたって事だよな?」
「ああ、そういう事だな」
「ちなみに、旅のしおりの予備は作ってないのか?」
「念の為に作ってるぜ。今はオレのカバンの中にあるよ」
そう言って吉岡は自分のカバンの中をゴソゴソと探り始める。
「あれ?!おかしいなぁ、予備の旅のしおりがないぞ... もしかして...どこかに落としたのかも知れない...」
「じゃあ、もしも犯人がそれを拾っていれば...オレたちの行動は筒抜けの可能性もあるな...。ヒロト、一応真鍋警部にも伝えておいた方がいいんじゃないか?」
その後、吉岡は二回目の電話を掛けて状況を伝えたのであった。
「これからは犯人がオレたちの行動を把握しているという前提で慎重に行動しよう」
吉岡がそう言った時、ちょうど函館駅に到着したのである。
函館駅から車で約十五分程の距離に函館五稜郭がある。函館五稜郭は日本で初めて建設された洋式の城郭であり日本の城郭と同様に軍事要塞である。現在は五稜郭公園として整備されており、年間を通して多くの観光客が足を運ぶ様々なイベントが行われる函館を代表する観光スポットの一つである。函館五稜郭の特徴は何といっても星型の五角形というその形である。星型の周りには堀があり水が引き入れられて外敵からの侵入を防ぐ構造となっている。正面口から五稜郭へ行くには、一の橋、二の橋という二つの橋を渡る事になる。
吉岡と橋本は函館駅で五稜郭へ向かうためにタクシーに乗り込んでいた。
「タクヤ、オレにはもう一つ気になる事があるんだ。アメリカで発表されたばかりの毒物が使われたって真鍋警部が言ってただろ?尚更、オレたちと接点がないように思えるんだ」
「確かにそうだなぁ。アメリカの研究者に知り合いはいないしな...」
その橋本のコメントを聞いた吉岡の表情が何かに気が付いたように一瞬だけ変わった。
「まさかな...」
その吉岡の小さな声は橋本には聞こえなかった様である。
その時タクシーが不意に止まる。遂にこの日本縦断の旅の最終目的地である函館五稜郭がある公園に到着したのであった。