8話
翌朝、またしても窓から射し込む光に目を焼かれ、目が覚めた。霞んだ視界の中、カホが、まだ夢の余韻の中にいるようなぼんやりとした顔で、目をこすりながらこちらを見ていた。私は静かに起き上がると、昨日手に入れた服を身にまとった。粗末ではあるが、いつまでも制服を着ているわけにはいかない。
「ユーカちゃんは今日、予定とかある?」
唐突に私に向けられた言葉は、一瞬だけ思考を泳がせた。
「特に。外には出ようと思ってるけど」
「一緒に洋服、見てくれる?」
「……いいけど」
他人と出かける機会などほとんど無かった。そもそも、同年代の誰かと並んで歩くような記憶自体が殆ど無かったことに今更ながら気づいた。かすかに残るのは、幼いころ、誰かの手を引かれて歩いたような曖昧な記憶だけ。魔王だった頃の記憶がいまだに鮮明に残っているというのに、今の人生は、砂のように隙間から零れ落ちていく。
朝食を終え、私たちは街へと足を運んだ。日差しはやけに眩しく、昨日と何一つ変わらぬ町の賑わいが目の前に広がっていた。幸せそうに手を繋いで歩く二人、道端での談笑、乾いた風。平和そのものの風景だ。
私が何気なく手に取ったのは、ごくありふれた露店に置かれた布の服だった。だが、カホは通りの端にある、しっかりとした店構えの店へと目を向けていた。
「あれ可愛い……幾らなんだろう?」
そう呟いたカホの視線の先には、上質な生地に繊細な刺繍が施されたワンピースが飾られていた。装飾は控えめで、それでいて清楚な存在感を持つその服は、彼女の雰囲気によく似合っているように思えた。
彼女は店員に向かって、たどたどしくも身振り手振りで価格を尋ねていた。言葉が通じなくとも、購入の意志は通じるものらしい。店員は少し戸惑いながらも、やがて金貨を一枚ずつ指で示し、四枚であることを示した。
「金貨四枚なら、もう何着か買えるかも」
この世界のお金の価値を知らないカホは、あっさりと小袋から金貨を取り出し、店員に差し出す。店員の表情は明らかに変わった。さっきまでの無愛想な顔が一瞬で営業用の笑みに塗り替えられ、声色すら一段高くなるのが分かった。
「これでお願いします」
カホは満足げに服を抱え、私の方を振り返った。その顔は、昨夜の陰りが嘘のように晴れていた。
「いい買い物ができた~。ユーカちゃん、一緒に来てくれてありがとう」
「私は別になにもしてないよ」
「ううん。実はね、一人で外に出るのがちょっと怖かったから。ユーカちゃんと一緒なら安心できる気がして」
その笑顔はあまりに無垢で、私にはそれがどこか痛々しく見えた。
「ここ、なんだろう?」
ふらふらと歩きながら、私たちは自然と街の奥へと足を向けていた。目の前に現れたのは、石造りの大きな建物。人々が静かに出入りしており、その多くが顔色を悪くしていた。
「病院……みたいな場所、かな」
私は壁の文字をさりげなく読み上げる。カホは周囲の様子から、それを納得したように頷いた。
「病院か……何か、手伝えることあるのかな?」
「どうだろう、医療関係は大体人手不足だから、この世界も例外じゃないかも」
カホはしばらく黙って、病院の建物をじっと見つめていた。彼女の中に芽生えたものが、希望なのか、それとも責務なのか、私には判断できなかった。ただ、その横顔にはほんの少しだけ覚悟の色が浮かんでいた。