77話
「この傷痕……剣で魔石を一突きですか」
私はアメリアの身体に深く刻まれた傷痕を見てそう呟いた。
「アメリアの魔法耐性を知っていて、剣を選んだのか……それとも」
剣で魔石を貫く、言っていることは簡単に思えるが、常人にできる芸当ではない。それも周りに私たちが居ながら、気付かれぬうちにそれをやってのけるとは、明確な殺意と、技量と、迷いのなさがあるように思える。敵は相当な手慣れだ。
「ユーカ様、ご無礼であることを承知で教えてください。あなたと悪魔くんの間に、何か特別なことがあったのではありませんか?」
フウが死んだときのユーカ様の取り乱し方と、今のユーカ様は少し違うように思える。ユーカ様がフウを悪魔くんだとして認識していたとしたら、アメリアと同じ立場だし、少しお世話になった程度であそこまで大切そうにするだろうか。
私の質問に対して、ユーカ様はゆっくりと視線を落とし、短く息を吸った。
「悪魔とは配下として……」
言葉がそこで途切れた。——本当に上司と部下の間柄だけだったのだろうか?悪魔くんを抱き締めていたユーカ様の腕。あの時の表情。あれが、ただの主従関係に見えるだろうか。
こんなことなら、悪魔くんに聞いておくべきだった。ユーカ様と何かあったのかと。
「以前、私にも大事な人がいると言いましたね。——私の命を救ってくれた恩師がいます。あなたと悪魔くんの間には……そんな雰囲気がありましたから」
ユーカ様の身体が少し強張った。私はそんなユーカ様を見る度に胸が締めつけられた。今抱いているのは悪魔くんであると言いたい、でも、悪魔くんはユーカ様には伝えるなと言っていたし、それは何が何でも守るべき事柄であると理解している。
「ツキの恩師は——どういう感じだったの?」
「今から……千三百年以上前の話です。まだユーカ様の前の魔王様が君臨される前のこと——」
私は大して面白味もないからと語ってこなかった身の上話をユーカ様にしていた。
◆
私は、生まれつき、魔法の才能が、全くと言っていいほどありませんでした。
ホワイトドラゴンという種は、魔族の中でも特に魔法の才に優れています。光属性と土属性を操り、幼い頃から魔法を当然のように扱える。それがホワイトドラゴン種の普通でした。
けれど、私はその普通からことごとく外れていました。同じホワイトドラゴンであるはずなのに、見た目すら異なっていたのです。
禍々しい角が生え、翼は二対。白い鱗は他の者と同じなのに、そこに明らかに異質な物が紛れているように光に当てると様々な色を放っていました。
他のホワイトドラゴンが持たぬ特徴、それは、私が明らかな異物であるという証拠でした。
ホワイトドラゴンの子は、生まれた瞬間から魔王に仕えるための力を叩き込まれます。異質である私も例外ではありませんでした。
けれど、同世代のドラゴンたちが次々と魔法を覚えていく中で、私だけは何も身につかない。年上のドラゴンの話を忠実に守って再現しているはずなのに、私は体に流れる魔力の流れを感じることさえできませんでした。
日数が経つにつれ、私と仲間たちとの実力差は明確に広がっていきました。そんな私を、年上のドラゴンや同世代のドラゴンたちは面白半分に弄びました。
「ツキは体も小さいし、本当弱っちいよな」
「しかも、見た目が気持ち悪いし」
「お前にホワイトドラゴンを名乗る資格なんて、一生手に入らないぞ」
彼らはそう言っていつも、私を笑っていました。私を嘲る声は、いつまでも耳に残り、毎日が地獄のようでした。
私の父は次期四天王と期待され、母は里で最強とまで謳われたドラゴンでした。そんな間にできた子供であるという重圧、そして長老にも気に入られていた私を、良く思わない者は多かったのでしょう。
嫉妬なのか、軽蔑なのか、単なる憂さ晴らしなのか……今となってはもう分かりません。ただ一つ確かなのは、私には同世代や少し上のドラゴン達の間に味方などどこにもいなかったということだけでした。
そして実践訓練が始まった頃、私は魔法が全く使えないにもかかわらず、無理やり戦闘訓練に参加させられました。相手は同世代の子ら。皆、魔法を自在に操り、幼いながらも戦闘の形を成していました。
私は、ただ、その的にされたのです。何度も、何度も。
雷が鱗を裂き、土の塊が身体を叩きつけ、骨も何本折れたか分からないというのに、私は無理やり立たされては、彼らの餌食となっていました。
身体は同年代よりはるかに小さく、成長も遅い。ただそこに立っているだけで、格好の標的だったのでしょう。周りに止める人は誰一人いませんでした。私が痛みに顔を歪め、悲鳴を上げるたび、彼らの表情は愉悦に染まっていきました。
魔法が使えない、他のホワイトドラゴンと姿が少し違う、私は一体何者なのでしょうか。幼い私は、この世界があまりにも残酷すぎて、息をするのさえ苦しかった。家に戻っては、両親が私に優しくした。その優しさが、私にはつらかった。
優秀な二人から生まれた醜い子。この二人の評判を下げるようなことはしたくない。況してや、父は次期四天王、その座を下ろされるなんてことはしたくなかった。だから、私は誰にも逆らうことが出来ませんでした。
そして、それは、本当に突然のことでした。
訓練の最中、土属性の魔法で叩きつけられた岩塊が、私の翼を何度も打ち据えました。私は当然のように地面に突っ伏すと、痛みで悶えました。それでも彼らは飽き足らず、今度は光属性の魔法で雷を起こし、私は体がズタズタになるまで、彼らの玩具として、ただひたすらに魔法を受け続けていました。
翼は千切れかけ、白かった体全体に血が滲みました、いつからか痛みも感じなくなるほど、私がボロボロになっていた時、とどめを刺すように、誰かが私の身体を転移させたのです。視界が白くなると、気づけば私は知らぬ場所の地面に転がっていました。
最後に聞いたのは、笑い声でした。軽蔑と嘲りの混ざったとても、不快な笑い声です。
私は転移魔法を使えません。翼も思うように動かず、空を飛んで帰ることすらできない。魔族は魔石さえ無事ならいくらでも再生する。だから、ここで死ぬことはない。……それは私も理解していました。
私は砂漠の中を彷徨いました。乾いた風は肌を裂き、太陽は容赦なく体力を奪っていきました。歩くたび、折れた翼が背中で揺れて痛み、何度も倒れ、砂に顔をうずめ、そのまま眠ってしまいたい衝動に何度も飲まれました。
それでも、故郷に戻るために、私は必死に歩きました。ここがどこであるかも分からないというのに。そして、唐突に、それは目の前に現れたのです。
荒れ果てた砂漠の中で、まるで幻のように、木々が生い茂る一角が見えたのです。整えられてもいない、ただ鬱蒼としただけの荒れ地でしたが、当時の私にはそれがオアシスに見えました。
木々を掻き分けて、中に入ると、中心に一本の大木が立っていました。幹はひび割れ、葉も枯れかけていました。それでも私は、その木からあふれ出る不思議な魅力に憑りつかれたかのように、背を預け、久方ぶりの休憩をしたのです。
視界はかすみ、とても頭がボーっとしていて、何も考えられない。そのときでした。どこからともなく、人影が現れたのです。
気配は全く感じませんでした。私が、その存在に気づいたときには、もう私の目の前に立っていましたから。
「君、こんなところでどうしたの?」
その声を聞いた瞬間、私は自分がどれほど限界だったかを思い知らされました。
「少し……疲れてしまって」
生まれてからずっと、終わらない悪夢を引きずってきたのです。それが何だか終わるような気がして、私は咄嗟にそう答えていました。
私が顔を上げようとすると、その人影は慌てたように手で顔を覆い隠しました。
「こっちを見ないでくれ。私は……醜い顔をしているんだ。それより、その姿は、ドラゴンか?」
「はい。でも……私はドラゴンを名乗る資格なんてありません」
「ホワイトドラゴン種だな。聞いたことがあるよ。四天王になって、ようやくホワイトドラゴンとして名乗れる、と」
彼は淡々とそう言いました。その後、彼は私の翼と身体を見て、ふと私に問いかけました。
「ずいぶん……傷ついているじゃないか。何があった?」
そして彼は私の隣に腰を下ろすと、私の身体は瞬く間に癒えていきました。先ほどまでボロボロだった翼は白さを取り戻し、砕けた骨は元に戻ったように、痛みを感じなくなっていました。
「あなたは」
「だから、見ないでくれと、言ってるだろう」
「ごめんなさい。でも……目を見て、お礼を言いたいんです。あなたは私の命の恩人です。治してくださって……本当にありがとうございます」
「君は、こんな私の顔を見ても、気持ち悪がらないのか」
「はい。私は……容姿で虐められ続けてきました。ホワイトドラゴンに角なんて生えないし、翼も、こんな形なのは私だけ。だから……人に見た目を貶される辛さは、誰より分かっているつもりです」
しばらく沈黙が落ちた。初対面の人に何を話しているのだろうと思いながら、でもその人には不思議と安心感がありました。やがて、彼はわずかに肩を揺らして言った。
「……君みたいなのが増えてくれると、嬉しいんだけどね」
その言葉には、どこか寂しさを感じました。
「私はただ、自分のことを言っただけです。私のことは……ツキと呼んでください」
その日から、私は名も知らぬ恩人——恩師と少しの間、一緒に過ごすことになりました。恩師は自分の過去をほとんど語ることはありませんでしたが、その代わり、私にはさまざまなことを教えてくれました。
文字の読み方も、古代魔法の話も、故郷では聞いたこともない話ばかりで、とても楽しかったのを覚えています。
ある日、恩師はふと手を伸ばして言いました。
「少し、鑑定魔法で君のことを調べてもいいかな?」
「はい」
恩師は深く息をついて呟いた。
「……なるほど。君は光属性に適性があるらしい。逆に土属性の適性は無い。土魔法が使えなかった理由も、これで納得だ」
「そうだったんですね」
「それだけじゃない。魔力量もかなり低い。これでは普通のホワイトドラゴンのようには戦えないだろう。詠唱魔法を試してみるか」
「詠唱……人間が使う魔法ですよね?」
「人間だけじゃない。魔族以外は、魔法を放つとき大抵詠唱を用いる。たまたま人間が有名なだけだよ」
この人が一体何者で、どこから来たのか。なぜ、こんな場所で私を助けてくれたのか。それは分からないまま、私は恩師から魔法を教えてもらい、ようやく目くらまし程度の光属性の魔法が扱えるようになったんです。
魔法が発動した時は、二人で喜んだのを覚えています。
「次は土属性の初級魔法……ロックブラストを使えるようにしてあげよう。ただし、覚えておいてほしい。魔法が強ければ強いほど良い、というわけじゃない。たとえば、剣——。魔族で武器を扱う者は多くないが、魔法の適性が乏しいのなら、別の道を探してもいいと、私は思うんだ」
そう言うと、恩師はどこからともなく、白く輝く一本の剣を取り出した。ひと目で分かる。凡庸な剣とはまるで違う、剣に対して知見が無くても、これは私なんかが貰っていい代物ではないと。
「こんなもの、私には……頂けません」
震える声でそう言うと、恩師は困ったように笑いました。
「いいんだよ。月のように白く、柔らかく光るこの剣は、きっと君に似合う。それに、私には——」
恩師は、収納魔法でどこからともなく、黒い剣を出すと、私に見せた。先ほどの剣と対を成すように、綺麗な剣でした。しかし、その剣からは禍々しいのに、どこかひどく孤独で、恩師自身の気配とよく似ていたものを感じていました。
「さてと、ロックブラストに取り掛かろうか……君は土属性の適性が無いと気にしていたね。だけど、古代魔法は適性を問わない。前にも教えたはずだよ」
「古代魔法は戦闘には向かないと——」
「確かに術をいちいち書いていたら、とてもじゃないが、戦闘なんて出来ない」
そういうと恩師は何やら細々とした作業をし始めていた。
「見た目の事も気にしていたね。ならば、擬態魔法を付与しておこう」
恩師はそう言って、銀色に光るアンクレットを差し出しました。
「……アンクレット、ですか?」
「ああ。これを身につけて、なりたい姿を思い浮かべるんだ。そうすれば、その形に変わる。そしてこれを付けた状態でロックブラストと唱えれば、ロックブラストは必ず発動する」
「ありがとうございます。何か……私からも、お渡しできれば——」
今の私に渡せるものは無いけれど、せめて何かお礼がしたかった。しかし、私の言葉を遮るように、恩師はゆっくりと首を振りました。
「それじゃあ、君が強くなって、いつか私を守れるほどの存在になってくれれば、それでいい。私がここまで心を開いて、話せたのはツキ、君だけだった」
そう言って、恩師は最後に小さな袋を私に渡しました。マジックバッグというもので、闇属性の収納魔法を模倣した魔道具の一種です。
「中には食料を入れておいた。私にはもう必要ないものばかりだ。君が食べて、力にしてほしい」
言葉の端々に、この関係がもう終わってしまうのだと感じました。
「……ありがとうございます。必ず、強くなります。あなた様を守れるくらいに」
それから、私は里へ戻った。恩師の言葉だけを拠り所にして、ただひたすらに努力を重ねました。魔法を使ってきたら、その魔法を避ければいい。
私は他の者のように防御魔法ができない。それならそもそも当たらなければいいのだから。剣で間合いを詰めるには、魔法の発動よりも速く動いて詰めればいい。恩師が私を救ってくれたのだから、私はそれに見合う立派な『ホワイトドラゴン』になりたい。
守れるほどに強くなってほしい——その願いだけが、身体を押し動かしていました。恩師はおそらく、私に渡したアンクレットの擬態魔法で、私を普通のホワイトドラゴンと同じ姿に近づけたかったのでしょう。けれど、私は違う道を選びました。
剣を扱うなら、人の姿の方がいい。飛ぶための翼だけを残して、ドラゴンの姿は動くのには少し厄介ですから。そうやって頭の中で形を整えていくうちに、私は——気付けば、あの恩師に似た姿になっていた。恩師の顔をはっきり見た記憶はない。
ただ、黒い翼があったのを覚えています。その対を成すように、私はホワイトドラゴンの証でもある白い翼を持っている。この白い翼とこの白い剣で、私が恩師を守ると。
あの日から、数百年が過ぎた頃でしょう。気が付けば私はホワイトドラゴン最強と謳われ、次の四天王の座は確実だと囁かれるようになりました。ですが、その頃、魔族領全土で魔王の暴虐が囁かれていました。
魔王様が君臨したのは、私が恩師と別れてわずか数日後のこと。私は、あの恩師こそが魔王様であるのではないか……そんな淡い想像を抱いたこともありました。
しかし、四天王の座に位置した父にそれとなく尋ねても、返ってくるのは決まって同じ話でした。歴代最強で冷徹。魔族も人間も容赦なく殺し、失態すれば即死が待っていると。
そして語られるのは、死んでいった魔族や冒険者の話ばかり。恩師の面影など影も形もありませんでした。
魔王様に仕えることは、本来ホワイトドラゴンとして当然の務めです。けれど、耳に入ってくるのは今の魔王様には仕えたくないという声ばかり。四天王でさえ、魔王様の名を出すときは、どこか怯えた影を背負っていました。
そんな噂に触れるたび、私の中の魔王=恩師という淡い推測は、打ち砕かれていきました。そんな人物像のはずがない。私の恩師は、孤独で、どこか寂しげで、そして何より——優しかったから。
血も涙もない者などとは、どう考えても結びつきません。
ある日、突然、四天王だった父が死にました。理由は誰も教えてくれませんでしたが、死体の胸にはぽっかりと穴が開いていました。おそらく語れないほどの何かがあったのでしょう。近頃では勇者が現れたという話も聞いていましたし、勇者がやったのではないかという話も出ていました。
その直後、同じように唐突に魔王が死んだという知らせが広がりました。歴代最強を屠った勇者は、どれほどの力を持つ存在なのか。そんなことを考えながらも……私は胸のどこかで安堵していました。暴虐の魔王様に仕えずに済んだと。
同時に、私は思いました。恩師は今どこで、何をしているのかと。一時、あの暴虐な魔王様こそ恩師なのではと疑った自分を恥じながら、——そんなはずはない、と。恩師が死んでいるはずがない。私がまだ、恩を返していないのだからと自分に言い聞かせました。
恩師には及ばずとも、私はあの頃より強くなりました。今ならあなた様を守ることも出来ると。
そして、今に至ります。私がここへ向かう道中、正確には吸血鬼に会うための道の途中で、私は魔王様から魔法を受けました。そして私が木々に引っ掛かりながら、空から墜ちて、どこかの地面に叩きつけられた、その時でした。
どこからともなく、懐かしい声がしたのです。
柔らかくて、静かで、私の名を呼ぶたびに胸の奥を温かくした、あの声でした。
千三百年、経っても、忘れようがない。
私を救ってくれた、あの孤独な人の声でした。私が目を覚ます頃には、吸血鬼がその場に居て、他に誰もいなかったと言っていましたが。
◆
「ユーカ様……あなたが勇者様だった頃、魔王様と何かあったのでしょう」
「これは……おせっかいかもしれないけどね」
ユーカ様は視線を落とし、フウの頭を撫でた。
「私、なぜだか、フウとは初めて会った気がしなくて。でも、人間が三百年も生きているなんてあり得ないし……きっと見間違いなんだろうけど。だけど、この人が死んでしまったら——私は、ひどく悲しいと思った。アメリアや仲間が死ぬのも辛い。けれどそれとは何か違ったものをフウには感じていて」
「……そうですね」
私はフウの手をぎゅっと握った。悪魔くんがこんな簡単に死ぬとは思っていませんでしたから。
「どのような状況に置かれようとも、まずは周囲を把握し、自分を客観視し、感情を捨てて冷静に分析すること。私の恩師も、そう言っていました」
「その言葉……どこかで聞いたことがあると思っていたんだけど」
ユーカ様はそういうと、私の方をじっと見ました。
「ユーカ様の勇者時代に恩師と会っていた……だなんて、考えたくありませんが」
ユーカ様はどうやら勇者時代の記憶は欠落しているようで、全く覚えていないと言っていた。しかし、今の魔王様の話によれば、勇者の成れの果ては魔王様であるといいます。
それが嘘でないのなら——。あの暴虐な魔王を倒したのは紛れもなくユーカ様だ。ユーカ様が戦う姿など見たことは無い。しかし、相当な魔力を保持していたのもまた事実で、倒したと言っても納得がいきます。
「でも……剣を持つ魔族だなんて、まるで——前世が人間だったみたいじゃないか」
「それは、そうですが……」
「人間が魔族になるケースは、もしかしたら魔王だけじゃないのかもしれない。……ツキの話を聞く限り、その恩師はそこらの魔族ではないと思うけどね」
「ですが……私の恩師は私を助けてくれました。そんな方が、魔族を皆殺しにしたり、人間を殺すなど……考えられなくて」
「それはツキの目線だよ」
ユーカ様は静かに告げました。
「他の者からは……そう見えていなかったのかもしれない」
「そう……ですよね。アメリアは、あの時代の魔王を恨んでいましたし」
「もしも、今回の犯人が……ツキの恩師だとしたら、ツキは——どうする?」
ユーカ様の声は穏やかだった。私は一瞬だけ目を閉じ、胸の奥で揺らぐ何かを押し殺すように呼吸を整えました。
「そう……ですね。私は——恩師に刃は向けられません。ですから……結果的に、ユーカ様の敵になってしまうかもしれません」
ユーカ様はほんのわずか視線をそらした。恩師とユーカ様を天秤にかけることは出来ない。けれど、もしこの二択を迫られたら、私の命の恩人である恩師を見捨てることは出来なかった。
「……今の話は、無かったことにしてくれ。ツキがそこまで慕う者が、こんなことをするはずがないからな」
「はい……」
私は『もしも』のことであろうとも、主を見捨てるような発言をしてしまったことを反省し、深く頭を下げました。
そして、私はアメリアの身体をそっと抱え、できるだけ丁寧に、壁際の影へと移した。ユーカ様は血を見るのが得意ではないから、出来るだけ遠ざけたかったというのもありました。
私が所定の位置に戻ろうと、ユーカ様に近づくと、アメリアが倒れていた床の血溜まりが、ある一点で不自然に途切れていることに気付きました。
「……これは?」
血は、不自然に、まるで誰かがそこにいたように形を歪めていた。踏み跡のようにも見えたが、それ以上に、生々しい何者かが存在していた痕跡でした。
「何者かが……ここに居た証拠……」
ユーカ様も近づき、わずかに眉をひそめました。
「もしかしたら……何者かはアメリアの血を浴びている……」
アメリアが最期に振り絞った抵抗。犯人に血を浴びせたのなら——その血は、その者の服か肌に、まだ残っているはずです。
「ツキ——」
その時、どこからともなく、私を呼ぶ声がしました。私はその声の主を探すように辺りを見渡していると、私の背後から気配を感じました。
「——お待たせ致しました」




