75話
魔王の声音は驚きと困惑が入り混じっていた。その表情もまた、嘘をついているようには見えない。
だが、それならどうしてガーネット王国が崩壊したのか。魔王の指揮なしに、赤龍が単独で街を襲ったとは到底考えられない。
赤龍は気性の荒さこそあるものの、基本的には魔王に従順だった。紫龍と双璧を成す強さを持ち、前任の魔王にも仕えていた時期があるという噂を聞いたことがあるほどには、強大で、誇り高い魔族だったはずだ。
そんな赤龍が、魔王の意図もなく独断で王国一つを焦土にするだろうか。
「病院襲撃で、一体どれほどの人間が死んだと思っているんだ!」
私は魔王に対して言った。あの場に居たからこそ、私には分かる。布にくるまれた死体の列。壁にこびりついた血飛沫。壁や床に深く刻まれた爪痕。どれもが悲惨な状況を物語るには十分すぎる物だった。
対して、魔王は本当に何もしていないとでもいうように、困惑した顔を浮かべた。
「何を言っているんですか?私は確かに、配下のブラッドウルフを一匹連れて病院の一室に転移しました。そして、ブラッドウルフが見たという赤魔導士の少女に魔法を施しましたが……周りにいた子供たちには手を出していません。それに、他の階や部屋にも行っていません」
魔王の話を信じるのなら、あれらすべてをブラッドウルフ一匹と魔王でやったとは到底考えられない。魔王が民衆を殺すなら、魔法で一撃だ。骨すら残らないかもしれない。
それに、現場にいた観衆たちは確かに言ったのだ。ブラッドウルフの群れが現れた、と。群れというからには、少なくとも三、四匹はいたはずだ。
「ありえないのじゃ」
アメリアが低く、押し殺した声で言った。その声音には震えが混じり、怒りとも恐怖ともつかない感情が滲んでいる。
「我は、そこのフウという冒険者から聞いておる。ブラッドウルフの群れが病院内に居て、それを転移魔法でまとめて転移させたと!」
フウの言葉が嘘だとは思えなかった。フウは、病院に入って夏帆たちを助けてくれたし、あの場で出来る最大限の事をしてくれた。ブラッドウルフは確かに複数匹いたのだ。見間違えるはずがない。
魔王は、しばらく沈黙した。自分の知らない所で何か別の思惑が動いているのではないかと、考えを巡らせているようだった。
「……今さら、私の言葉を信じるのは難しいかもしれません。しかし、本当に私はやっていないのです」
言い訳をしているというよりも、本当に理解が追いついていない者の声に近かった。
「確かに……ソルフィの魔法をどうにかしたいという焦りはありました。ですが、病院を襲撃した覚えはありません。況してや、ブラッドウルフの群れを引き連れてなど」
では、あの日あそこで、ブラッドウルフを連れてきた奴は誰なんだ?闇属性の魔族であるブラッドウルフ単体では転移することは不可能だ。誰かが手引きしないと、あんなことは起こせない。
この魔王の反応が嘘だとは考えられないし、魔王は本当に何も知らなそうな口ぶりだ。
魔王は前世の仲間に掛けられた魔法をどうにか解除したくて、手当たり次第に人間を実験材料にしていた、とあっさり認めていた。
もちろん許される話ではない。だが同時に、仲間が未知の魔法に侵され、古代魔法の解除方法では歯が立たないと知ったなら……誰だって正気でいられるかどうか分からない。
私は視線をショウゴへと向け、ゆっくり問いを投げた。
「——魔王。この男と会ったことがある?」
自分の中で密かに渦を巻いていた違和感を拭うように、私は投げかけた。
ショウゴから聞かされていた魔王とは、何かが根本的に噛み合わない。姿形ではない。振る舞いや声でもない。言葉にはならない何かが圧倒的に違うのだ。
魔王はしばらく私を見つめ、静かに首を振った。
「会ったことは無いですね。ここ最近で人間の地へ行ったのは、二回です。病院に行った時と——それから二日前、ダイヤモンド帝国の城に赴いた時だけです。最も、魔王として目覚めたばかりの頃は何度か行きましたが」
「ショウゴ、二日前に魔王と会ったんだよね?」
「……ああ。二日前、カホの様子を見に行って。その時に魔王を見た」
「魔王は二日前のいつ城にいたんだ?」
「夜ですね。皇帝は、まあ今さら隠しても仕方ないが、勇者パーティー時代の仲間で、ソルフィの兄のジルです」
おそらく、目覚めてすぐに皇帝に正体を明かして、一緒に古代魔法の手掛かりを探していたのだろう。
しかし、ショウゴが会ったという魔王が偽物だとすると、皇帝が真っ先に気付くはずだ。皇帝にとって魔王は勇者パーティー時代の仲間で、その本人を、見間違えるはずがない。
この矛盾の根にあるものを突き止めなければ、私たちはもう一歩も先に進めない。
「今の情報を整理すると──」
私はゆっくりと言葉を紡いだ。
「ショウゴは二日前に魔王と名乗る男に会った。だが、魔王本人はショウゴと会っていないと言っている。どちらかが嘘をついているとは考えにくいし、この場で嘘を吐く理由もない。となれば……二日前、あの日、魔王に化けた何者かがいたということになる」
魔王は下を向いた。
「だが姿形は魔王そのものだった。つまり──今の魔王を実際に見たことがある者がこの一連の事件に関与している可能性が高い」
擬態魔法か、それとも魔道具か、どちらにせよ、相手は相当手ごわいはずだ。それに気づいたのか、魔王が私の話に付け加えるように言った。
「闇属性の魔法を扱える魔族となれば、かなり絞られるのではないでしょうか。魔道具は人間の土地でないと手に入りませんし」
「確かに、魔道具も高騰しているみたいなのじゃ。魔族が仮に人間の地に紛れ込めても、手に入らないじゃろう」
そしてアメリアは小さな声で言った。
「お主の配下であるブラッドウルフくらいしか思いつかないのぉ」
名を出された瞬間、魔王はかすかに眉を寄せた。
「彼とは病院襲撃以来、会っていないのです。裏切るとは考えにくいのですが」
アメリアが静かに首を振る。
「お主の前世が、ユーカを殺した勇者だと知ったら、裏切る可能性も十分あると思うのじゃ。ブラッドウルフは勇者に対して相当の恨みを持っていたのじゃ」
「魔王を倒した時に殺したあれか……」
ハルトが低く呟く。アメリアは即座に言い返した。
「勇者の使命は魔族を殺し、魔王を討伐することじゃ。お主がやったことは勇者としては当然のこと、今更そのことを糾弾するつもりも、咎めるつもりもない」
「そうですね。人間がこちらを攻めるのは、歴史的な流れとして当然でしたし、魔族がその人間を殺していたのもまた事実です。この負の連鎖を止めた、彼女が異常なだけなのですよ」
どこまでも残酷な事実だ。当然という言葉の裏に、積み重なった死がある。その死の上で歩いてきたのが、勇者であり魔族であり、そして私たち自身だ。幾ら一方が平和を願っても、もう一方がそう思っていなければ成し遂げることは出来ない。
その時だった。
どこからともなく、男の身体がふいに空間から現れ、私たちの目の前へ落下した。
胸の中心──心臓の位置にぽっかりと穴が開いており、そこから溢れた血が冷たい床に薄く広がっていった。誰が見ても、既に事切れていると分かる。
「ジル!」
魔王が駆け寄る。膝をつき、崩れ落ちるようにその亡骸を抱きしめた。ジル、そうか、彼が皇帝の中身であり、かつての勇者パーティーの一人か。
ハルトも静かに、しかしどこか祈るように両手を合わせた。
魔王が震える手を抑えながら、唇を噛みしめながら言う。
「ありえません。ジルは風属性と闇属性に適性がありました。つまり──転移魔法が使えた。逃げる間もなく襲われたと推定すると……彼に勝る魔法の使い手が、この一連の事を行っているとしか考えられません」
自分の理解が世界に追いつかないとき、人はこんなにも脆い声を出すのだと改めて知った。それほどまでに、今の魔王は見えない何かに怯えていた。
「相当強かったのじゃな、我はまぁ、お主の魔法で一撃じゃったから、あまり覚えておらんけど」
アメリアの声には威勢の影はなく、この状況が異常であると察していた。
「ええ。ジルは勇者パーティーに入る前は、Sランク冒険者パーティーのリーダーを務めていました。特に妹のソルフィとのコンビネーションは──」
魔王はゆっくりと首を回し、周囲を見渡した。この部屋には、私たち以外の気配はない。だからこそ、この死体がどこからか転移されてきたという事実が、逃げ場のない恐怖となって胸に刺さる。
「この場所は、外部から完全に隠れた空間です。光属性の転移魔法を使い、この中の誰かの位置を座標にして、ジルを転移させたのでしょう」
「姿が見えないなんて、勝てるわけないのじゃ……」
アメリアは震える手を握りしめ、必死に立っていようとするその姿は、先ほどまでの威圧感とは別人のようだった。自分が一度敗北した勇者パーティーの一員が、こんな惨たらしい状態で転がっているのだ。
その死体が告げるものの重さには計り知れないだろう。ツキも下を向いている。
「この部屋、本当に大丈夫なのか?」
「ショウゴ。隠密魔法で隠れているとしたら、心眼魔法で見破ることが出来る。だけど、あの魔王がこの部屋には他に誰もいないと言っているのだから、ここにはいないとしか言えないんだよ」
「そうか。もしも、佐藤が前世みたいに魔法を使えたら、どうしていた?」
「私なら……きっと今の魔王と同じことをしていた。心眼魔法と索敵魔法で敵を探して……それでも見つからないなんてことは無かった」
「それじゃあ、見つかっていないっていうのは……」
「相当ヤバい状況だよ、ショウゴ」
ハルトはそう言うと、魔王の方へと歩み寄っていった。私は段々と温度が失われていくフウの身体を必死に温めながら、自分に出来ることを考えることしか出来なかった。
「カホは大丈夫なのかな——」




