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72話

 ※第Ⅰ編-第3章 41話の続きです。


「……ここは」


 気がつけば、私たちはダイヤモンド帝国の城の部屋ではない場所に立っていた。ショウゴが部屋に来て、ハルトが赤魔導士であったことを聞いた。


 そして私も今までの事を全て告白した。私が魔王だったこと、それでいてカホに掛けられた魔法が何なのか知らないこと。話したら何だか心が軽くなったのを覚えている。


 次にハルトが入ってきた。ハルトは、私を何故転生したのか多くは語らなかったが、この世界を平和にしたいという願いは嘘偽りなかった。そんな話を聞いていた最中、光が世界を呑み込んだのだ。


 あの白い光が収まったあと、目の前に立っていたのは——初日に見たあの絵とそっくりの角が生えた男だった。男は静かに笑った。


「あれが、赤魔導士か」


 その声音は、底の見えないほど冷たかった。


「改めまして」


 男は微笑み、ゆっくりと頭を垂れた。


「私は、魔王です」


 ハルトは魔王の方をギロリと睨む。魔王はハルトを欲しがっていたが、ハルトは魔王の事を嫌っている様だ。二人に何かあったことは明白である。


 そういえば、ショウゴが魔王との取引で要求されたのは『ハルト』だった。ハルトを差し出せば全てが丸く収まる、カホも無事に呪縛から逃れられる。果たして本当だろうか?それが真実かどうかは分からない。


 だが、軽率に魔王を刺激すれば、カホを殺されてしまう可能性だってある。カホに掛けられた魔法の正体を、魔王が知っていなければ、あんな発言は出来ない。いや、もしかすると——その魔法を掛けたのも、この魔王自身かもしれない。


 だからこそ、ここまで余裕を見せられるというわけか。


「ハルト。行けよ」


 沈黙を破ったのはショウゴだった。ショウゴはハルトの命よりもカホを優先させたというわけか。二択だとしたら、確かにハルトは私たちをこの世界へ転移させた張本人であるし、ショウゴとカホは巻き込まれた側である。恨むのは当然だ。


「お前は転生してまで魔王を殺したかったんだろ」


 ハルトが魔王を殺したい?二人の間に何かあったのは分かるが、魔王という存在を魔法も無しで殺せると思うほど、ハルトは馬鹿ではないはずだ。


「ああ。だが——」

「待つのじゃ」


 アメリアがハルトの言葉を遮った。声は鋭く、決意めいた何かを感じさせる。


「我はユーカの願いを叶えるためにいる。お主が欠けてしまえば、四人全員で元の世界に帰るという、ユーカの願いは潰える。魔王。我が相手じゃ。四天王でも誰でも呼ぶがよい」


 その背は、ほんの少しだけ震えている。それでも、アメリアは私たちを本気で守ろうと一歩一歩、魔王の方へと歩み寄った。


「一秒もあればあなたを殺せます。ここで戦っても意味はないでしょう?」


 魔王は淡々と告げた。残酷だが、それは事実であると思う。魔王とアメリアでは圧倒的な力の差がある。それは覆りようのないほどの大きな差だ。


「それに、吸血鬼がいない今のあなたには、回復手段がない」

「アメリアっ!」


 声が裏返った。回復手段がないという発言の真意は分からない。だが、普通に受け取るなら、魔石を壊さないと死なない魔族に対して、敢えて魔石を壊さず痛めつけることだって可能であるということだ。


 ——それでも、アメリアは魔王の目の前から逃げることなく、悠然と立っている。


「戦ってみないと分からぬのじゃ!」


 アメリアは叫び、次の瞬間、魔王の周囲に、幾重にも水の魔法が展開される。水の渦、どこからともなく襲ってくる、嵐のように荒れた波、それらすべてが魔王を取り囲んだ。


 しかし、次の刹那、それらは全て跡形もなく消えていた。それどころか、あらゆる属性の魔法がアメリアの方へと襲いかかった。アメリアは魔道具を床に放り捨て、擬態を解くと、私たちを守るように魔法を受けた。


「はぁ……はぁっ……」

「りゅ、龍!?どうなってんだよ!!」


 ショウゴが叫び、腰を抜かした。無理もない。たった今まで少女だった者が、二十メートルを超える龍に変わったのだ。


 魔王の影が微かに揺れる。元魔王だからこそ、今の魔法が手を抜いているものだと分かる。確かに派手に様々な魔法を一気に放っているのだから一見、最大出力に感じるが、魔王や勇者は一度に数百もの魔法を発動できるのだ。だが、今放たれていたのはせいぜい数十個くらいだ。それでいて、アメリアは押され気味である。


「アメリア、大丈夫?私が魔法を使えないばっかりに……」

「あの龍、強いのか?」

「あれは紫龍という種だ。龍属の中でも最も強い種で、魔法の耐性も高い」

「ガーネット王国を襲った赤龍より強いってことか」

「一応そうだと思うけど。あれじゃあ紫龍は勝てないね。防戦一方だ」


 ハルトは呆れた声を出した。そもそもアメリアが身体を張っているのは、彼を助けるためだ。それでも彼はどこか醒めた目をしていた。


「欠伸していても勝てますね」

「まだ、我は……負けて」


 魔王は退屈そうに欠伸をしながら、幾度もアメリアに魔法を撃ち込んだ。瞬殺することもできるだろうに、敢えて魔法を外したりして楽しんでいた。


「なぜじゃ、なぜそこまでこの者たちに恨みを抱いているのじゃ!お主は四カ月前に君臨したはずじゃ」

「四天王でありながら、何故気付かないのですか?はぁ……。自分の主にも聞いてみてください。元魔王なのでしょう?——さぁ、さっさと赤魔導士を渡してください」


 理解できない言葉だった。私に何か関係している?私は目の前にいる魔王とは一度も会ったことが無いというのに。


「そうやって魔族が死んで、いちいち悔やんでいるから死んだのですよ。元魔王さん」

「どういう意味?」


 その時、ハルトが驚いたような顔をして私を見た。


「俺がお前を転生させた手前、言いたくねえけど——お前、本当に元魔王なわけか?それなら知っているだろうし、覚えているだろ?魔王は、勇者の死後だ。今、目の前にいる奴こそ、お前を殺した勇者だよ。そして、俺の大事な人を殺した……」


 ハルトはそう言って、冷徹な目で魔王の方を見た。


「私は……魔王になる前の記憶なんて無い。目覚めたら魔王城にいて、吸血鬼に手引きされて、魔法も吸血鬼が持っていた魔導書を元に覚えたんだ。だから、魔王になる前のことは何も」

「は?」


 魔王とハルトが、同時にこちらへ視線を向けた。そんな話を聞いたことはないという顔をしている。勇者と魔王がどちらも全属性に適性を持つ魔法の天才であることは知れている。だが勇者が死んだら魔王になる、という類の話は、全くを持って聞いたことが無い。


「そんな話は魔族の間でも聞いたことがないのじゃ」


 アメリアが辛うじて絞り出すように言った。もしも、本当に勇者が死後魔王として蘇るということが知れ渡ったら、魔族をまとめることなんて不可能だろう。少なからず、魔族は勇者に対して良い感情は持っていないはずだ。


「そうでしょうね。知っていたら、魔王は務まらないですから」


 私はその話を聞いて、あることを思い出した。かつて私の臣下だったホワイトドラゴン、ツキを解雇した理由だ。彼は魔族の中でも選りすぐりの実力者であり、勇者パーティーと互角に渡り合った数少ない存在の一人である。


 そして、ツキは一度戦った相手の癖や戦い方などを覚えている。もしツキが魔王の正体が勇者であることに気づいたとしたら。


「そうか。だからツキを解雇したのか」


 誰に言うでもなく、私は口にしていた。


「ツキは、魔王の正体に気付いてしまったのだ。魔王が、元勇者であるということに」

「そうです。ンフフ、驚きましたよ。赤龍が少し戦ってみたいと言ったから、サービスで戦ってあげたというのに。まさか、それを見ただけで正体がバレてしまうとは」


 今の魔王はかつての勇者。その事実は理解した。だが、それでも疑問は残る。歴代の魔王も元は勇者だったというのなら、私も例外なく、勇者だったというのか?


 確か、私の前の魔王は暴虐と恐れられていて、魔法の才も歴代屈指と聞く。それを討ち取った勇者——それが、私だったというのか?


「さてと、遺言でも残してください。赤魔導士さん?」


 魔王の声が、冷たく響いた。アメリアは先ほどの魔法を受けて、もう戦える体力は残っていないだろう。


「俺が何故、ユーカを転生させたか分かるか?もちろん、お前の後釜に就かせるためでもあるが……ユーカには、お前には出来ないことがあるからだ」

「黙れ!」


 怒声と同時に、空気が張り裂けた。幾重もの魔法が発動されると、それらは瞬く間に私たちの方向へと向かってきた。私は反射的に頭を手で押さえ、身をかがめた。防御魔法が使えたのなら、この魔法だって凌ぐことができるというのに。


 魔王が放つのは上級でも帝王級でもない、いわゆる神話級魔法だ。人間と違って魔力不足なんか気にせず魔法を打つことが出来るから。つまり、その一撃一撃が致命傷になるレベルの魔法である。


「ん?」


 しかし、いつになっても、体に痛みは走らない。私は恐る恐る頭を上げると、目の前には紫色の鱗があった。


「アメリアっ!」


 アメリアは、己の身体を広げ、私たち三人を包み込んでいた。二十メートルを超える龍の鱗が、魔法の衝撃を受けて次々と剥がれ落ちていくのを音で感じる。


「アメリア、私たちは大丈夫だ。お願いだから、死なないで。私を置いてでもいいから、逃げてよ」

「……ダメじゃ。我はお主を守れることだけで幸せなのじゃ。あの日、勇者パーティーが来ると分かっていながら、我らはお主の言葉に甘え、安全なところに居た。……この十七年、ひと時だって、お主を忘れたことは無かったのじゃ」


 その声は、かすかに掠れていた。アメリアの血が滴り、床には血が広がっていた。そしてそれは、私の腕を伝って、服を赤く染める。


 アメリアの魔石が砕ければ、彼女は——死んでしまう。幾ら魔法に耐性がある鱗を持っていようとも、魔王の前でそれは意味をなさない。


「あっ……あ……」


 声にならない音が漏れた。アメリアの身体から滴る血は、明らかにかすり傷程度なんかではない。血の匂いが鼻を掠めた瞬間、胸の奥がきしむように痛んだ。


 私は、魔法以外でこの場面を切り抜ける方法が分からない。ハルトを差し出せば——魔王は怒りを鎮めて、助けてくれるのか——?そんな悪魔めいた発想が頭に過ってしまうくらいには。


「ユーカ、この龍……大丈夫なのかよ?」


 ショウゴの声が遠くに聞こえた。だが私は答えられなかった。


 私は、血が嫌いだ。見るのも、嗅ぐのも、触れるのも。でも、どうしてこんなに嫌なのだろう?私が前世で戦ったのは勇者との一戦だけで、それ以外血を見る機会なんて無かったはずだ。


「死に際の記憶、ないんだっけ、ユーカ」


 ハルトの低い声が、その囁きを現実に引き戻した。


「あ……ああ」

「ハルト、今の状況分かってんのか?全部お前のせいなんだよ!」


 ショウゴは、私の震える体を支えながら言った。


「ユーカは自分の命を差し出したんだよ」


 しかし、そのショウゴの言葉に対して反論することもなく、私の方だけを見て言い放った。


「勇者と言いつつ、あの時の奴は化け物だった。奴は魔族の赤子を十数体捕らえて、魔王城に乗り込んだ。そして、屈するか、死ぬかを選べと迫った。見せしめに一匹の赤子を殺してな。ユーカはすぐに屈して、懇願したんだ。『赤ん坊には手を出さないでくれ』って。それで——赤子の血が付いた剣を振り下ろして、ユーカは死んだ」


 その言葉と同時に、私の頭の中でその光景がフラッシュバックする。朧げになっていた記憶が鮮明になるように、私は自分が死んだ日の事を思い出した。


「ああ……そうだ……私、どうして忘れていたんだろう……」


 涙が零れた。私が転生して目覚めた時、不思議と何もかもから解き放たれたような気がした。そして、人間同士が戦っているのは遠い国の話で、今自分が居るところは平和であるということに安心していた。


『まずは周囲を把握し、自身を客観視し、感情を捨て冷静に状況を分析すること。戦場において最も重要なことだ』


 誰の言葉だったのか、もう思い出せない。


 感情を捨てる。そんなこと、私には出来なかった。本来ならば、目の前の赤ん坊など意に介さず、魔法で勇者パーティーを殺す、これが魔王としての責務だった。なのに、私は勝負せずに逃げたんだ。


 血の匂いを嫌うように、私は、ずっと戦うことを嫌っていた。これはきっと、抜け落ちている魔王になる前の私に関連しているのだろう。


 ただ共通するのは、『女子高生』である今の私も『魔王』であった頃の私も争いが嫌いで、逃げてばかりの人生——きっと魔王になる前の『勇者』である私は、心の底ではそういう人間だったんだろう。


 人と交流するのが怖い。いつか、前世を知られて怖がられたくなかったから。

 争いなんてしたくない。争いが無くなれば平和になると本気で思っていたから。



 血を見たくない。血が流れている時は誰かを失うことだから。

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