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67話

 俺は昼下がりのギルドへと足を向けた。ギルド内はまだ昼下がりであるはずなのに、明るい雰囲気とは裏腹にどこか重たい空気が漂っていた。


 カウンター前では何やら言い争う声が聞こえ、それを取り囲む野次馬達で肝心の争っている奴らの顔は見えない。


 俺は、偶然居合わせていた別の冒険者に声を掛けた。


「この騒ぎ……何かあったんですか?」

「ダンジョン攻略の件でさ。ちょっとおかしなことがあったみたいなんだ」


 冒険者は苦い顔で言葉を続けた。


「報告書を書くはずだったヘスさんが、どうも様子がおかしいらしい。ダンジョン攻略中の記憶が混濁してるらしくて、『気付いたら、あの剣を持つ魔族のいる場所にいた』って……言っているんだ」

「いつの時点から記憶がないんだ?」


 思わず声が荒くなった。自分でも驚くほど、声に圧が籠もっていたのだ。その声に驚いたのか、周囲の冒険者が一瞬だけ俺を見た。


「さあな。詳しくは分からねえ」

「ダンジョンでは、ヘスたちのパーティーが先頭を歩いていた。もしあいつが誰かに操られてたなら……あの場所に誘導することもできたってわけか」

「でも、あのダンジョンは一本道だったろ?」


 俺らの話を聞いていた別の冒険者が、訝しげに口を挟んだ。言われてみればそうだ。誰が先頭に歩いても、迷うことなく、あの場まで辿り着いただろう。


 なら、誰が、何のために……?

 俺の胸の奥で、嫌な予感が膨らんでいった。


「確かに……」


 例えば、どこか壁が見えないようになっていたとか、一本道に思わせていただけという可能性もあるが、そんな簡単に騙せるものだろうか?誰かが壁を魔法で壊したりすれば、他に通路があることがバレてしまう。そんなリスクを追ってまで隠したい道があるのなら、最初からそのような経路にすればいい。


 こうなってくると、ダンジョン攻略に参加していた冒険者、全員が怪しくなってくる。俺が怪しんでいたアメシストの冒険者だけではないんじゃないかと。


「ヘス、本当に覚えていないの?」

「面目ない。その辺の記憶に靄が掛かったように抜け落ちているんだ。ただ、背中に鈍い衝撃を受けて、その時目が覚めて、気付いたら、紫髪の子がホワイトドラゴンと言っていて……」


 まるでホワイトドラゴンがダンジョン内で目を覚ましたのと同じ状況である。


 俺はゆっくりと呼吸を整えた。怒っても意味がない。ここで感情に流されれば、ただの愚か者だ。冷静になれ。分析しろ。ユーカを守ると決めたんだろ。俺はヘス達の方へと歩み寄り、静かに言葉を投げた。


「おそらく魔族でしょう。精神干渉で一時的に体を操ることくらい、造作もないでしょうから。ヘスさんを操った理由は分かりませんが、魔王は、こうして人間が疑心暗鬼になることを楽しんでいるのかもしれません。今はただ、仲間を信じてください」


 ここで魔王の掌の上に転がってはいけない。奴の描く筋書き通りに行かせるものか。


「君は確か、あの魔族と互角に剣を交えていた冒険者だな」

「はい。フウと申します」

「フウか……」


 その瞬間、胸の奥で違和感が広がった。なぜ今俺はヘスに対して名乗ったのだろう?それも、何も考えずに自然とその言葉を発した。


 俺はヘスとダンジョン攻略の前日に話をしている。相手がそれを覚えていなくてもおかしくはない。だが俺は、確かにその会話を覚えている。それなのに、今の俺はまるでヘスと初めて言葉を交わすような気分だった。


 見た目は同じである。だが何かが違ったんだ。俺は鑑定魔法で鑑定するが、ダンジョン攻略当日に見た鑑定結果とまるで同じだった。


 言葉にできない違和感——ただ、背筋を撫でる寒気だけが、確かな現実として残っていた。もしヘス本体を精神干渉の類で操っていたのなら、この結果にも納得がいくが、精神干渉の類は長い間持続するものではない。


 ダンジョン攻略だって五日はあったわけだ。ホワイトドラゴンと対峙したのは四日目だが、少なくともその四日間もの間、まるまる体を乗っ取ることなど可能なのだろうか?


 単に擬態魔法で姿を偽っているのなら簡単な話だった。だが、偽っているとしたら『記憶喪失になっていた』なんて話はしないはず。今頃、本物のヘスはとうに死んで、魔族が入れ替わって、魔族に都合の良いように報告書を作成するだけだ。


 だが目の前のヘスに対して、仲間たちも誰一人、違和感を抱いていないし、こんな大事になるほど、自分の記憶が混濁していることをアピールするだろうか?つまり、このヘスは偽物の可能性は低い。となると、やはり体を乗っ取られていたという説に行きつくわけだ。


「いつから記憶が混濁しているか分かりますか?」

「フウは、この原因に心当たりでもあるのか?」

「分かりません。ただ……いつ頃から魔法が掛けられていたのかが分かれば、いくつか絞り込めるかもしれません。まずは、ダンジョン攻略の前日。何をしていたか、覚えていますか?」


 するとヘスのパーティーの一人が口を開いた。


「その前日の夜に急に、明後日から攻略を始めるってギルマスに言われたんだ。だから、その日はそれぞれ自由に過ごしてたよな」

「そういえば、そうだったな。その時の行動、覚えているか? ヘス」

「——確か、ダンジョンとは何か、今一度知るために朝早く図書館へ行ったんだ。それで……」


 そこで、ヘスはふいに顔を歪め、頭を押さえた。額から汗が一筋、床に落ち、沈黙が場を支配した。


「それで……俺は、何をしたんだ?」


 掠れた声、思い出そうとするたび、脳の奥が拒絶しているように何度も何度も言葉を出そうとするが、言葉が続くことは無かった。


「そこから先の記憶が曖昧ということは……その図書館の前後で、魔法を掛けられた可能性が高いな」

「そうですね。私もそう思います。図書館なら管理人がいます。その方に話を聞いてみましょう。ヘスさんが実際に訪れていたなら、その後に襲われたということになりますし……」

「あの老婆のことか」


 ヘスが答えたその瞬間、ギルドの職員が、まるで会話の流れを断ち切るように口を開いた。


「あれ?最近、若い男を雇ったんじゃないんですか?ダンジョン攻略の件を皇帝から直々に言われた後、ギルマスと図書館で歴史の書を閲覧しに行ったんですよ。あの図書館、本がずらりとあるから探すのに手間取っていたら、若い男の人が親切に教えてくれて。その後、本の整理をしていたから、てっきり図書館の管理人かと」

「聞いたことがないな。俺は依頼の前日には必ず図書館に立ち寄って、魔族や魔法の書物を読んでいるが、若い男の管理人など見たことはない」


 その言葉を聞いた瞬間、俺は凍り付いた。古代魔法の本の場所を教えてくれたのも若い男だ。てっきりあの図書館の管理人とばかり思っていたが、ヘスがそんな部分で嘘を吐くはずが無いし、どうやらヘスのその行動はパーティーのメンバー全員が知っているようで、頷いていた。


 まさか、あれは……魔族だったのか。俺は息を呑んだ。


「分かりました。私はその線で調べたいと思います」

「俺も行こう。万が一、戦闘になった場合、一人よりも二人の方が安心だろう?」

「いえ、大丈夫です。もし危険だと判断した場合は転移魔法で逃げられます。ヘスさん達は他の可能性を探ってください。もしかしたら何か思い出すかもしれませんから」


 もし、あれが魔族なら話を聞いてみるしかない。俺だって元四天王。そこらの魔族に力負けするわけがない。


 俺は転移魔法で、図書館の前に降り立った。冷たい風が頬を撫で、体にまとわりついた。俺は扉に手を掛け、思い切って扉を開けた。


 誰もいない。


「人が居なくてよかったのか?」


 俺は館内をゆっくりと歩いた。そして気付けば、あの絵の前に立っていた。ダイヤモンド帝国の城——全属性の魔法に耐えるといわれた、あの城が描かれたものだ。そしてこの絵に触れると謎の部屋に転移するというオマケつきである。


「逃げたか。それとも……」

「どうかされましたか?」


 その時、俺の背後から声が聞こえた——気配は全くなかった。空気が揺れたわけでも、足音が響いたわけでもない。だが、後ろを振り向かなくても分かる、俺のすぐ後ろに誰かいると。


「いつからここの管理人になったんですか?あまり見かけない顔だと思いまして」

「もう長い間、この図書館におります。正確な日は覚えておりませんが、三百年はいると思いますよ」


 三百年。人間の寿命では到底ありえない。魔族であることを自白している様だ。


「お前……人間じゃないな。何者だよッ!」


 俺は思わず、声を荒げていた。


「ンフフ。お忘れですか?——悪魔」


 なぜ、俺が悪魔だと断言できるんだ?俺は今、人間に擬態しているはずだ。擬態魔法を見破る手段は限られている。光属性の心眼魔法、あるいは、ホワイトドラゴンのように行動の端々から察する者である。


 だが俺は何もしていない。ただ館内を周って、ここで立っていただけだ。つまり、後者ではない。


「……光属性の心眼魔法か。俺は今、神話級の擬態魔法を使ってる。鑑定魔法でも人間と出るようになっているんだがな」


 神話級の擬態魔法を見破れるのは、同じく神話級の心眼魔法だけ。光属性の適性を持つ人間は少ないとよく言われるが、それは魔族も同じだ。光属性を扱う魔族など、俺の知る限りでは、全属性に適性を持っている魔王を除けば、ホワイトドラゴンと光龍、そして吸血鬼くらいのものだ。


「ですから、お忘れですか、と言っているのです」


 急にその声は、俺の知っている声へと変換された。管理人の男の声ではない。


「え?」


 俺は咄嗟に振り向いた。そこに立っていたのは、蒼白な肌と紅い瞳、金色の髪に黒い角と黒い翼を持つ男——吸血鬼だった。


「脅かすなよ……吸血鬼か。無事、ホワイトドラゴンと会えたんだな」


 そう言いながら、俺は一拍遅れて気づいた。

 ギルドの職員が言っていた若い男の管理人、あれは、ダンジョン攻略の前に図書館で出会ったと言っていたはずだ。


 つまり、吸血鬼はダンジョン攻略以前から、この図書館にいたことになる。


「お前、ホワイトドラゴンとは会ったんだろうな?」


 吸血鬼がたまたま人間の地にいる時、ホワイトドラゴンがあの村に向かっているとしたら、すれ違っている可能性が高い。


「いえ、会っていませんね」

「……すれ違いになったか。まぁ、奴のことだ、いないと分かったら戻ってくるだろう」


 ホワイトドラゴンは、一日で戻ってこなければ吸血鬼に会いに行け、と俺に託していた。まさか、ここで出会うとは思っていなかったが、無事吸血鬼と合流出来たのならそれでいい。奴には、後で詫びでもしておこう。


 俺は吸血鬼の手を取り、ダイヤモンド帝国の城へと転移した。一応吸血鬼の姿は見られるとマズいので隠密魔法を掛けている。そして俺は吸血鬼に対して今までの事を簡単に説明した。


「——それで一つ聞いていいか。古代魔法のことを知っているか?」

「ええ、知っていますよ」

「もし、古代魔法が掛けられた場合、それを解除するには、どうすればいい?」

「術を壊すか、術者を殺すかのどちらかです。……図書館で、読まれたでしょう?」

「それは、本当か?本当に、それしか方法はないのか?」


 声が震えた。あの本に書かれていた二つの方法が、すべてではないはずだと思いたかった。どこかでそれ以外の方法があるんじゃないかと思っていた。


「本当ですよ。その二つだけです」

「……そうか。まだ古代魔法って決まったわけじゃないが」


 俺たちは音もなく城の中へと踏み入れた。本来ならユーカのもとへ行くべきだろう。だが、ホワイトドラゴンが不在の今、吸血鬼が単独で動けば、ユーカは不安に思うはずだ。何故ホワイトドラゴンと一緒ではないのかと。


 それならば、あの連れの女の容体を確認し、吸血鬼が治せるのかどうかを確かめてから次の手を打っても遅くはない。幸い、ダイヤモンド帝国の城は魔法で壊すことが出来ない強固な造り。これ以上に安全な場所は無いだろう。


「(それにしてもダイヤモンド帝国の城は大きいな)」

「(そうですね)」


 吸血鬼の念話が微かに響く。俺たちは、長い廊下を歩き続けた。

 磨かれた石床には二人の影すら映らない。これが最高位、神話級の隠密魔法だ。


「どこにもいねえ」


 空き部屋の扉を開けて、俺は息を吐く。吸血鬼が肩をすくめた。


「どこか、医務室のような場所はないのかよ……」

「さあ?この城の構造までは知りませんが、あなたがその子の顔を知っているのなら、私の転移魔法で転移できますよ」

「最初からそうすればよかった。お前の念話で俺の記憶を見れば、お前の転移魔法で転移できる」


 俺は目を閉じ、女の顔を思い浮かべた。黒髪、黒い瞳。どこか真面目そうで、寡黙な印象を与える顔だった。正直言ってあまり顔をまじまじと見たわけではないが、ユーカの事を陰から見ていたおかげか、少しは覚えていた。


「……それでは、行きましょうか」

「便利だな。本当に」


 普段滅多に笑わない吸血鬼がわずかに笑ったような気がした。次の瞬間、眩い光が俺らを包み、俺たちは白光の中へと飲み込まれていった。そして瞬きもしないうちに、広い空間に俺らは立っていた。


 この力を使えば、ユーカの記憶を読み取って、ユーカを元の世界に戻すことだってできるんじゃないんだろうか?そっちの方がユーカは嬉しいだろう。今の身体は魔王では無くてユーカなのだから。


 ただ、俺はこの事を誰かに言う気にはならなかった。もし、ユーカが戻ってしまったら、もう二度と会えないかもしれないから——。


「彼女ですか」

「そうだ。何の魔法が掛けられているか分かるか?」

「この特徴的な黒い靄、古代魔法の一種ですね。確か、掛けられた者を内側から徐々に壊していき、永遠の眠りに落とす魔法です」

「よく知っているな。見たことがあるのか?」

「ええ、実際に見たことがあります。ですから間違いありません。ですが妙ですね。古代魔法を魔族が使うなど聞いたことがない」

「苦しませたいんだろうよ……ん?」


 俺は視線を壁へと向けた。そこには一枚の花の絵が掛かっていた。

 その絵のタッチはどこか見覚えがあった。そしてキラリと光る宝石のような石。俺はその石に目を奪われた。


「これって……!」


 思わず手を伸ばし、指先が石に触れた瞬間、世界が白い光に包まれた。


 そして次に目を開けた時、俺は見知らぬ部屋に立っていた。

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