65話
俺は帝都の中心部にある図書館を訪れていた。おそらく、この図書館は世界でも指折りの規模を誇るだろう。内部には、貴重な魔導書がずらりと並んでいる。どれも鎖で棚に固定されているが、管理人に頼めば鎖を外し、机の上でじっくりと閲覧することができるみたいで、管理人が本の手入れをしていた。
魔族はそもそも魔導書など見たことが無い奴の方が多いだろう。だが、人間の間では、魔導書は魔法を学ぶための手段のひとつとして用いられている。書かれている呪文を暗記したり、木板や蝋板に書き写して復習したりと、学び方は様々だ。
俺も目覚めたばかりの頃は、魔導書を頼りに魔法を習得していた。そのおかげか、風属性の詠唱だけは今でも一字一句、正確に覚えている。
俺は本を手に取り、ペラペラとめくっていく。どれも普通の魔法の事しか書かれておらず、俺が既に知っているものばかりだった。書物は丁寧に属性ごとに分けられていた為、探す労力は減っているが、それでも流石は最大級の図書館。風属性の魔導書だけで百冊近く置かれている。
そういえば、魔族でありながら、吸血鬼は人間の地に赴いて魔導書を読んで書き写すのが趣味とかいう変わった奴だったな。ホワイトドラゴンの話からも吸血鬼はおそらく古代魔法の事を知っていそうだし、連れの女の方は何とかなりそうだ。
俺が気になっていたのは、あのダンジョンのことだった。ホワイトドラゴンの話によれば、目を覚ましたときにはすでにダンジョンは崩壊しており、それ以前の記憶が一切ないという。
確かに、精神を操る類の魔法はいくつか存在する。強制的に催眠状態へと陥らせ、命令に従わせるものや、記憶そのものを書き換えるものもある。だが、それらはいずれも一時的な効果に過ぎない。
理論上、永続的に掛け続けることも不可能ではないだろうが、その魔法自体に強い強制力はない。何らかの条件が揃えば、あっさりと催眠が解けてしまうようなもので、実用的ではないのだ。
「何かお探しですか?」
ふと、声をかけられて我に返った。図書館の管理人の男がこちらを見ている。
「古代魔法の書物を探していまして」
「古代魔法ですね。古代魔法の関連書はこちらでございます」
「ありがとうございます」
今頃、ホワイトドラゴンは吸血鬼と接触し、事情を説明したうえでユーカのもとへ戻っている頃だろう。行きは九時間かかるとしても、帰りは吸血鬼の転移魔法を使えば一瞬だ。
俺はそう思いながら管理人に案内された棚の前に立ち、俺は一冊の古代魔法の書を手に取った。
そもそも古代魔法とは、人間によって生み出された魔法体系の一種である。人間が詠唱によって魔法を発動させる、いわゆる詠唱魔法を確立する以前に存在していたとされるため、現在一般に広く用いられている魔法よりも古い形式であることから『古代魔法』と呼ばれるようになったそうだ。
古代魔法の発動には、発動させたい術式を魔石で描くことによって成立する。今の魔法体系のように、個人の適性や魔力量に依存せず、術式が正確に描けていれば、必ず魔法は発動するらしい。
この魔法を阻害する為の方法は二つあり、描かれた術式そのものを破壊するか、術者を殺すことだそうだ。但し、魔法の発動と同時に描かれた術式は見えなくなる。故に前者をする場合は、書いている最中に、その術を破壊しなければ防ぐことは不可能であるようだ。
あのダンジョンに掛けられていた魔法も、おそらくは壁や天井にどこかに術式が描かれていたのだろう。そして紫龍がそれを破壊したことで、魔法の効果が失われた。
それならば、崩壊の瞬間にホワイトドラゴンが正気を取り戻し、その後、風や光の魔法を再び行使できるようになったことに説明がつく。
だが裏を返せば、術を破壊しない限り、永続的にその魔法が発動されているわけだ。ということは、ユーカの連れの女に回復魔法を幾らかけても、古代魔法が掛けられた時点で、無意味である。
俺は、古代魔法に関する書物を読み進めた。
一見すると強力な魔法体系に思えるが、古代魔法には致命的な欠点があった。術式を描いているあいだ、術者は完全に無防備となるうえ、術そのものが極めて複雑な構造をしており、容易に描けるものではないのだ。この非効率さに加え、戦闘向きではないことから、古代魔法は次第に失われていったとされている。
それでも、古代魔法は完全に途絶えたわけではない。現在でも主に魔道具を制作する際に古代魔法が使われているという。しかし、古代魔法の術式に関する文献はほとんど現存しておらず、一部の職人しか作ることが出来ない魔道具も少なくない。
また、古代魔法の術を描くには魔石が必要とされる。魔石は魔族を殺すことでしか得られないため、当然ながら希少である。
冒険者向けの魔道具店では、マジックバッグのような旅で活躍する物しか取り扱われていないが、街を見渡せば、魔道具は至るところで使われていた。街灯や調理場の炉に至るまで、古代魔法の名残は今も人々の暮らしの中に息づいているみたいだ。魔道具は冒険者固有のものだと思っていたが、ここまで街の発展に寄与しているとは思ってもみなかった。
魔族にとっての三百年の平和は、人間にとって、本当に平和だったのだろうか。魔道具の高騰も、おそらく俺たちが冒険者と争わなくなったことで、魔石の流通が滞った結果だ。蓄えられていた魔石を細々と使い回し、やがて尽きていった。ただ、それだけの話。
「平和なんて……最初から無理だったんだ」
思わず零れた言葉が、静かな図書館の空気に溶けて消えた。俺らが平和だと思ってやってきたことは、人間を苦しめていた。魔族と人間、両者は相容れない存在だと分かっていたはずなのに。両者が争わない桃源郷をずっと夢見ていた。
でもそれは、魔族側が押し付けた理想だ。人間は少なくとも魔石を必要としていて、そのためには魔族を殺す必要がある。魔族と戦いたくないと思っていたとしても、魔族を殺さないといけないのだ。
俺は手にしていた古代魔法の書を、ぱたりと閉じる。この事はユーカに知られてはいけない。きっとユーカが悲しむから。
だが、この本を読んで分かったこともある。連れの女に掛けられた術が古代魔法なら、それを解くには、もう術者を殺すしかないということだ。どこに術が刻まれたか分からない以上、闇雲に傷つけるよりは、其方の方が遥かに早いだろう。
あの女がいたのはガーネットの病院。そして、あの場にいたのはブラッドウルフだけ。古代魔法は人間の魔法、まさか、あの群れの中に、俺のように人間の記憶を宿す者がいたというのか?
本を棚に戻し、次の書を探そうとしたとき、ふと一冊の背表紙が目に留まった。何かに引き寄せられるように、俺はその本へと手を伸ばした。
『全属性に対する対魔法耐性を持った建造物の建築』
ダイヤモンド帝国の城のことだろう。あの城は、全属性の魔法に耐性を持つ。そんな噂があった。
その言葉に、ふと別の記憶が蘇る。そういえば、魔王城にも似たような話があった。どんな魔法をぶつけても壊れないし、傷一つ付かないと。
確かに、俺が紫龍と模擬戦をしたときもそうだった。いくら魔法を放とうと、城壁には傷一つついていなかった。それでも、魔王様が死んだあの日、あの城は炎に包まれ、崩れ落ちたのだが。
書物に描かれた城のデザインスケッチを見つめる。どこか、魔王城に似ている気がした。偶然かもしれない。建築様式など少しくらいは似てしまうものだ。確か、あの魔王城はユーカの前の魔王が建てたと聞いている。ならば、誰かがダイヤモンド帝国の城を見て模倣した、という可能性もあるか。
……いや、それは考えにくい。
紫龍もホワイトドラゴンも言っていた。ユーカの前の魔王は、歴代でも屈指の力を持っていて、千年もの間君臨していたのだ。ダイヤモンド帝国の城が千三百年も前に建てられた建物だというなら話は変わるが、そんなに歴史がある建物なのだろうか?
「うわ、複雑な術……」
ダイヤモンド帝国の城に使われていたという術式の絵が載せられていた。実際に描く場合には直径十数メートルにも及ぶ巨大な魔法陣になるという。それを描くには、莫大な量の魔石が必要だ。重量にして十キロを超えるそうだ。スライム一体の魔石がわずか二グラムほど。つまり、それだけの量を集めるには、数千、数万の命を狩る必要があるわけだ。
流石に魔王城は、そんなふうに作られてはいないはずだ。魔王が魔族を殺してまで、魔法耐性のある城を建てるなんて考えたくもない。俺はそっと本を閉じた。
そして図書館の奥の椅子に腰を下ろした。古代魔法——それは人間の魔法であり、魔族とは縁のない魔法。人間の魔法と言っても、一般的には使われていないし、この図書館でも、専用の棚は歴史資料と化し、詠唱魔法の書籍よりも冊数が明らかに少なかった。
ふと、壁面に掛けられた一枚の絵に目を留めた。ダイヤモンド帝国の城だ。国の象徴として描かれたその姿は、荘厳だったが、あの書籍を読んだ後のそれは、多くの魔族の命によって作られたものだと思ってしまう。
そのとき、絵の片隅で何かがかすかに光った。まるで宝石のような輝きだ。だが、主張が強いわけでもない、不思議な光だ。
気づけば、俺は立ち上がっていた。手を伸ばし、指先がその光に触れた。
触れてはいけないと分かっていたのに、抗えなかったのだ。
次の刹那、眩い光が、視界を呑み込んだ。




