64話
「カホのことは、この城の医師に診てもらっている。良い報告はまだないが、今日一日は休め」
「分かりました。明朝には出発いたします。それまではユーカ様に甘えさせていただきます。ですが、女性の部屋に泊まるのもあれですから、どこか格安の旅籠を探して泊まりますね。それでは」
すると、ホワイトドラゴンは翼を布でしっかりと巻き付け、服の下に隠すと、そのまま窓枠に足を掛けた。……まさか、魔法も翼も使わずにこの高さから飛び降りるつもりか?
俺の予想通り、ホワイトドラゴンは何の躊躇いもなく窓から身を投げ出した。四階ほどの高さから落ちたというのに、地面に軽やかに着地すると、そのまま闇夜に消えるように駆けていく。まるで誰もいなかったかのように土煙ひとつ立っていない。
確かに、奴は体術に関しては群を抜いている。だが、それにしたって常識の範疇を軽々と超えているだろう。
「う、うわ……絶対、敵にしたくない」
俺は思わずそう呟き、急いでホワイトドラゴンの姿を追った。奴が一人でいるところを、もしあの魔道具屋の連中に見つかれば、厄介なことになる。
ホワイトドラゴンは魔法がほとんど使えない。そのため戦うとなれば、必ず剣を抜くだろう。そもそも魔法を人に向けて放つだけでも問題なのに、町中で抜刀だなんて、考えられない。どうやらそのことを分かっているのか、人と鉢合わせしないように、ホワイトドラゴンは人通りの少ない裏道を選んで走っていた。
だが——そんな道こそ、待ち伏せするにはうってつけだ。まるで、自分から獲物になりに行くようなものだ。
「あんた、金貨二十枚持ってるだろ?それに、そのマジックバッグ。上物だって話じゃねえか、最近は魔道具が品薄になって結構売れるって話でヨォ」
おそらく、あの魔道具屋の店員が適当に雇ったのだろう。いずれもCランク冒険者程度。この国では底辺に位置する程度の魔法の才しか持たない人間が三人、ホワイトドラゴンに絡んでいた。
「金貨二十枚で手を打ってほしい。このマジックバッグは私にとって大切な物なので」
「そんなのは通じねえッ!」
男は血走った目で叫び、炎を纏ったナイフを振り上げた。火属性の魔法を刃に付与したのだろう。そのナイフがホワイトドラゴンへと投げ放たれる。しかし、奴は身をひらりと翻し、容易くかわした。あの程度で奴に当てられるとでも思っていたのか?
男は一瞬驚いたようだったが、すぐに怯まず詠唱を始めた。だが、ホワイトドラゴンは無詠唱魔法ですら簡単に回避してみせる奴だ。今更、詠唱を伴うような魔法など、目を閉じていても避けられるだろう。
ここまでホワイトドラゴンは、守りに徹しているが、このままではらちが明かない。おそらく、ここで大騒ぎを起こしたくないのだろう。攻撃の意志は微塵も感じられなかった。だが、これでは一生攻撃されるだけだ。先ほどの男の叫びを聞いた街の奴らが集まり始めている。
仕方がない。
俺は男とホワイトドラゴンの間に割り込み、先ほど男が投げたナイフを拾い上げた。
「おい、どこに目掛けてナイフ投げてんだよ。あと一歩で民家が丸焦げになるところだっただろうが」
「ひ、ひえっ……なんだ、このオーラ……」
俺は道端に転がっていた木の棒を手に取ると、転移魔法で男たちの背後に回り込んだ。次の刹那、三人の背中を一閃。乾いた音を立て、三人は地面に崩れ落ちる。
ホワイトドラゴンは静かに俺の方を見つめていた。周囲に集まっていた人々がどよめき、やがて歓声と拍手が広がる。俺は長居するとマズいと思い、そそくさとその場を離れ、裏路地に入り込んだ。その時、俺を追ってきたのか、背後からホワイトドラゴンの声が飛んできた。
「ちょっと、待ってください」
「なんだ?」
「なんですか、その恰好は。まさか、私が見逃すとでも思ったのですか……悪魔くん?」
俺はホワイトドラゴンの方を振り返る。
完全に、バレた。
擬態魔法で顔も声も変えている。十七年ぶりの再会だというのに、まさか気づかれるとは思ってもみなかった。転移魔法を使う時だって、わざと詠唱を入れた。俺だと断定できる要素なんてどこにも無かった。
それでも、ホワイトドラゴンの目は、確信の色を帯びていた。あの冷徹な瞳が、俺の擬態などとうに見抜いていると告げていた。
「助けてやったのに、お礼も無しかよ。ホワイトドラゴン」
こんなにもあっけなく正体が露見するのなら、一番に気づいてほしかったのは、魔王様だった。ユーカに出会った時、開口一番に『悪魔?』と言ってくれたら、俺は今ユーカの横に居たのだろうか?
いや、それは、俺が否定した。人間であるユーカの横に居られるのは僅かな時間で、きっといつかいなくなってしまう。それなら、最初から遠くで見ていることを選んだ。迷惑を掛けず、遠くで、彼女をサポートすると。もう二度と、後悔したくない、失いたくないと誓っただろう。
「先ほどはどうもありがとうございます。生きていたなら、生きていると教えてくれても良かったと思いますが?」
「別にお前らに教えたところで、何も変わらんだろう。魔族領にホイホイ行く意味もないしな。それと今は『フウ』だ。ツキさん?」
「やはり全部見ていたのでしょう?城での一件を。視線を感じるとは思っていましたが……。それなら、何故ユーカ様や紫龍に正体を明かさないのですか」
神話級の隠密魔法を掛けていたはずだ。気配はおろか、音も消していた。そこに誰かがいると感じ取ることなど、本来ありえない。一体どんな目をしていたら、あの場で俺の存在に気づけるというのだろう。
「別に俺にとって紫龍はどうだっていい。だがユーカにだけは、絶対に言うなよ」
「何故です?」
「どうだっていいだろ。……お前、宿に困ってるんだろ?こっちこい」
俺が泊っている部屋に着くと、互いに、この十七年の間に何をしていたのかを語り合った。
ホワイトドラゴンは、俺の予想通り現在四天王ではないという。今の魔王が即位したその日に、四天王の座から降ろされたらしい。理由も告げられず、ただ一方的に『四天王から降りろ』とだけ言われたのだという。
そして、次に目を覚ました時には、あのダンジョンが瓦礫と化していたそうだ。
さらに奴の口から語られたのは、吸血鬼のことだった。あいつは、魔王が君臨する前に自ら四天王を辞し、北方の地で小さな村の村長として静かに暮らしているらしい。つまり、ユーカに仕えていた四天王たちは、誰一人として、もう四天王ではないということだ。
「ふーん、吸血鬼はそんな北の地にいるのか。お前なら半日で行けるんだな、早いな」
「あなたの秘密を隠すついでに、私の願いを聞いてくれませんか?」
「なんだよ」
「もし私が一日以内に戻ってこなかったら、おそらく、今の魔王に殺されています。その時は、あなたが吸血鬼を呼んでください。転移魔法と風属性の魔法を駆使すれば一日で辿り着けるはずです」
確かに、魔族領の北部へ転移し、風属性の魔法で飛行するか、あるいは走っても、一日もかからずに辿り着けるだろう。
だが、ここでわざわざ保険を掛けるということは、今の魔王と何らかの確執があるということだ。普通、一方的に解雇を言い渡されたとしても、殺したいほどの理由はないはずである。あのダンジョンに閉じ込めららていたのも、魔王の意志だとしたら、あそこで冒険者に殺させるつもりだったとも捉えられる。
「つまり、あのダンジョンに居たのはお前の意思じゃなかったんだな」
「ええ。あの時の記憶は一切ありません。紫龍に聞いて、ようやく知ったのです。私が人間を襲ったことを」
「本当に危なかったんだぞ!いきなり急所を狙ってくるから、俺がどれだけ苦労して冒険者たちを宙に浮かせて避難させたと思ってるんだ。転移魔法で逃がすこともできたが、それじゃ後々冒険者どもに詮索されるのは目に見えてたしな。でも、魔王がお前を四天王から外した理由、なんとなく察しがついたぜ。おそらく魔王は、お前の力を逆手に取ったんだ。精神を錯乱させる魔法か何かでお前を操り、ダンジョンの主として据え置いてSランク冒険者どもを皆殺しにするつもりだった」
四天王を解任させ、魔王の側近から外し、ダンジョンに幽閉。ダンジョンを嗅ぎつけたSランク冒険者たちと戦い、いくつかの命を喪わせる。ホワイトドラゴンが集まった冒険者に倒されれば、魔王の障害となる邪魔者は一気に片付き、魔王側には願ってもない結末になる。まぁ、その目論見は残念ながら失敗に終わっているが。
「だが、どうしても腑に落ちないことがある。紫龍が天井を崩落させた時、お前は正気を取り戻していた。しかも、巻き込まれかけた冒険者まで助けていただろう」
魔王がホワイトドラゴンに対して魔法を掛けて、そのように仕向けていたとしたら、天井の崩落くらいで魔法を解く必要が無い。
「私は、あの瞬間に目が覚めたのです。もしかすると、私に掛けられた魔法については古代魔法が使われていたのかもしれません」
「古代魔法?なんだそりゃ、聞いたこともねぇぞ」
俺はフウの記憶を思い出す。それでも古代魔法だなんてワードは聞いたことが無かった。
「意外ですね。あなたは一時期、人間たちと共に暮らしていたのでしょう?多少は耳にしているかと思いましたが」
「あのな、お前は千年以上生きているらしいが、俺はまだ三百年ちょっと。同じにするなよ」
「……そうですね」
俺は、自分がこの世に存在する魔法の大半を把握しているつもりでいた。だが——古代魔法というのは初耳だ。ダンジョンに掛けられていた風属性と光属性を阻害する魔法、そしてユーカの連れの女に掛けられた魔法。いずれにせよ、調べてみる価値はある。
「そういえば、翼が怪我してるんだっけ?このポーションでも飲んどけ。これは上級回復魔法に相当する治癒草から作ったポーションだ」
「これ、人間族の地ではかなり高い代物ではありませんか?」
「ああ。鑑定魔法を使わず見た目だけで判別できる奴は少ないだろうな。本来なら一瓶で金貨数十枚は下らない代物だぜ」
「ありがとうございます。ありがたく頂戴いたします」
「変なことを聞くけどよ……お前、ダイヤモンド帝国の皇帝と一戦交えたのか?鑑定魔法で見たあいつの魔法適性や魔力量は、Sランク冒険者に匹敵してた。だからギルドで会った時、冗談半分に言ったんだよ。それならお前も一緒に行けばどうだ、ってな。そしたら一瞬で顔が真っ青になった。あれは、お前の実力を知ってる顔だ」
俺は皇帝に対して抱いていた疑問を投げかけた。
「いえ。私が人間と剣を交えたのは、勇者パーティーと今回の一件だけですから」
「もしかしたら、皇帝は元勇者パーティーの一人だったりして、なんてな」
「あり得るかもしれません。人間の寿命は四十から五十ほど。当時二十から三十だった勇者パーティーの面々が、まだ生きていても不思議ではありません」
「だが俺も勇者パーティーと戦った。だが、あんな見た目の奴は見たことねえ。せめて心眼魔法があれば、擬態しているかどうか見破れるんだが……。お前、光属性の適性があるんだろ?なんで心眼魔法が使えねえんだよ」
「心眼魔法は、そもそも高位の魔法です。私の魔力量、あなたも知っているでしょう?」
冗談だ。
最初からホワイトドラゴンに魔法など期待していない。ここで大事なのは、心眼魔法があれば擬態を見破れるということ。つまり奴が光属性の使い手である吸血鬼を連れてくれば、解決できるというわけだ。
「あの皇帝が何かを隠しているのは事実だ。気をつけろよ」
「分かりました。あなたもお気をつけください」
「ああ」
翌朝。
ホワイトドラゴンの姿は、すでに消えていた。もう少し休んでもいいと思うが、奴はそういう性分なのだ。少しでも早く、吸血鬼をここに連れてくるということで頭がいっぱいなのだろう。
俺は朝日が差し込む街路を歩きながら、俺は図書館へと向かった。——古代魔法を知るために。




