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60話

 奴がここにいるということは、最悪のシナリオが現実味を帯びている。おそらく奴は俺や紫龍と違って、魔王様が討伐されたからという理由で四天王を辞めるタイプではない。現行でも四天王として君臨しているはずだ。


 奴は少し口角を上げる。笑みとは程遠い、獰猛さを含んだその笑みは、周囲の冒険者たちを恐怖の底に落とすには十分すぎた。動揺が波紋のように広がり、皆死を覚悟しながら、魔法を詠唱し始める。


 やはり、このダンジョンは何かがおかしいと思っていた。


 高ランクの冒険者を一箇所に集め、転移魔法を封じたところで、まとめてホワイトドラゴンが潰す。


 俺は即座に周囲を見渡した。おそらく道中で殆ど魔法は使っていないから魔力は十分にあるはず。もしここで転移魔法が使えたら今すぐにでも逃げるべきだが、やはり風属性と光属性はここでも封じられているみたいだ。


 ここから出るには、まず目の前にいるホワイトドラゴンと戦うしかない。


「……どうやら、このダンジョンのボスみたいだな」


 神話級の魔法が、矢継ぎ早に放たれていった。火属性の魔法が大地を焼き、土属性の魔法が地面を裂き、水属性の魔法が大きな渦を巻く。だが、それらは空を切るだけだった。ホワイトドラゴンは、魔法の軌道そのものを読み切った上で全て避けているのだから。


 しかも、守りに徹しているだけではない。次の瞬間、白光が走った。刹那に閃いたその軌跡は、剣だった。目で追えぬ速度で振るわれた刃が、冒険者の間を縫うように走る。先ほどまでそこに立っていた冒険者は壁に叩きつけられると、そのまま動かなくなった。


 俺は何とか剣で断ち切られる前に、闇属性の魔法を展開し、冒険者の身体を無理やり捻じ曲げ、致命傷となる軌跡を外したが、それでもかなりの深手であることは間違いない。骨の何本かは折れてしまっただろう。彼の悲鳴が重なった。だが、悠長に考えている暇などない。もし遅れていたら、今頃あの冒険者はあの世行きだっただろうし、これが最善策だった。


 それでも限界がある。


 俺が同時に展開できる魔法は数個がやっとだ。一度に十も二十も斬り伏せられれば、到底全員を救いきれない。今は奇跡的に間に合っただけに過ぎない。


「……っ」


 喉の奥で声が詰まった。

 どうする。このままでは、ただ時間を稼いでいるだけ。いずれ必ず、俺の手が回らなくなり、全滅の未来が待っている。


 駄目だ。このまま受けに徹していては全員が殺される。


「速い」

「……やばいだろ、あれ」

「転移魔法……使えないなんて」


 ホワイトドラゴンは四天王の中で唯一、勇者と真正面から刃を交え、互角に渡り合った化け物だ。ただの魔族ではない。


 魔王を除けば魔族最強とも謳われる、それがアイツだ。


 そんな相手に勝てるはずがない。幾ら精鋭を集めた冒険者だろうが、俺や紫龍といった元四天王が加わっていようが、関係ない。


「不可能じゃ。奴を倒せるのは勇者くらいなのじゃ……」


 紫龍もホワイトドラゴンの存在に気付いたらしく、ぽつりとそう漏らした。紫龍も俺も、かつて仕えた魔王様の意向で動いている。


 魔族も人も傷つかない世界を築くこと。それは例え魔王様が討伐されても俺の心の中でずっと灯っている。


 だがホワイトドラゴンは違う。奴は忠義に篤い奴だ。もし今の魔王に仕えているのなら、魔王の命に従って動くだろう。つまり、かつて共にした味方であった奴は、今の俺たちの敵であり、ユーカの敵でもある。


 おそらく、ユーカが紫龍を冒険者にした理由の一つに、あの連れの女を救うことが含まれているのは自明だ。俺は彼女の症状を詳しく見たわけではないが、何らかの魔法が作用しているのは間違いない。


 治癒系魔法を得意とする吸血鬼なら、助けられる可能性が高い。


 だが問題はそこにある。もし吸血鬼が今なお四天王の地位にあるのなら、必然的に魔王城に居座っているはず。アイツは基本事務作業ばかりやっているからだ。本来なら魔王城に俺が転移すればいい話なのだが、生憎新しく建築された魔王城の場所を俺は知らないし、魔王城の中に入れば魔王と直接対決なんてことになりかねない。


 そんな吸血鬼とコンタクトを取るには、魔王城に自由に出入りできる存在、他の四天王に接触する以外に道はない。その中で最も現実的なのは、かつて同じ主に仕えていたホワイトドラゴンだ。奴ならば、俺と紫龍の名を覚えている可能性はあるし、状況を説明できれば道が開けるかもしれない。


 ……だが、それは理屈の上の話だった。今のホワイトドラゴンがどれほど忠実に魔王の命に従っているかを考えれば、対話の余地などあるはずもない。


 冒険者を殺せと命じられているならば、奴は一歩も退かず、全員が息絶えるまで矛を収めることはないだろう。ましてや、かつての魔王様は転生して人間になったなどという真実を口にしたところで、誰が信じるのだろうか。


 現実はいつも容赦ない。

 ふと視線を横にやれば、紫龍はまだ諦めを知らぬ顔をしていた。


 ——そうだ。幾らあのホワイトドラゴンが強大であろうと、初めから敗北を決め込むのは違う。悲観して頭を垂れるのは、戦う前に己を殺すのと同じだ。


 紫龍の眼差しがそれを教えてくれる。俺一人ではきっと諦めていた。だが、こいつはまだ勝利を諦めていない。ユーカを助けると決めたのに、今度こそ恩返しをすると決めたはずなのに。どうして自分はいつもマイナスなことばかり考えてしまうのだろう。


 ここで俺が折れたら、それこそ今の魔王の思うつぼだ。

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