57話
俺が部屋で少し横になっていると、外からどよめきが伝わってきた。怒号ではない叫びが聞こえてくる。何かあったのだろうか。胸の奥に嫌な予感を覚えながら、酒が回ってふらふらとした足つきで立ち上がった。
廊下を抜け、食事処の扉を押し開ける。先ほどまで血気盛んに飲んでいた奴らとは思えないほど、重い空気が流れているようだった。ギルマスまでもが俯き、暗い顔をしている。
「……何か、ありました?」
「フウ、魔力はどうだ?」
「あまり。ポーションは飲みましたけど……全回復とまではいっていないみたいです」
魔力回復のポーションは飲んでいないが、あの大規模な転移魔法を展開しておいて魔力切れになっていないというのはおかしな話なので、ここはギルマスの話に合わせておこう。
正直、魔法を使うことはできる。だが、酒がまだ腹に残っていて、頭が鈍く重い。胃の奥がひりつくようで、吐き気すら込み上げてくる。そんな状態で魔力を割く気には到底なれなかった。こんなことなら、上級回復のポーションも飲んでおくべきだったと後悔した。ギルマスの口ぶりから、何か良くないことが起きているのは明白だ。
「八日前、ガーネット王国の王都が陥落した。赤い龍に焼き尽くされたそうだ」
ギルマスは重々しい口を開いてそう言った。
「……今から行っても、間に合わないでしょう。龍が留まる意味もありませんから」
「それもそうだな。魔族がその気になれば、一日で国を滅ぼせる」
八日前か。その時、俺たちは大型討伐のため出払っていた。俺はてっきりユーカをおびき寄せるための罠だと思っていたが、ガーネット王国に冒険者を向かわせないためのものだったのか。
万が一、ガーネット王国のギルドに助けを呼ばれても皆依頼で出払っていて強い冒険者がいないという状況を作ったというわけだ。奴らはそれを確かめるかのようにその前に一度病院を襲撃し、転移魔法を使える冒険者がいるかどうかまでも探っていた。結果的にアメシストにいる転移魔法が使える冒険者は俺だけだった。その俺が依頼でいなくなってしまったのだから、助けなど来るはずがない。
誰も言葉を発さない。顔を伏せる者、虚ろに遠くを見つめる者。それぞれが、現実を飲み込んだのだろう。
「……とにかく、辛うじて生き延びた王女殿には申し訳ないが、この地もやがて戦場になるだろう。その前に、安全な地へ逃れていただかねば」
「ダイヤモンド帝国か」
ギルマスは宴の終わりを告げると、職員と一緒に奥の部屋へと姿を消した。残された冒険者たちは誰一人声を上げず、ただ椅子の軋む音や酒を飲む小さな音が響いていた。
俺は静かにシュガーの方へと歩いて行った。彼女はただ俯き、考え込んでいるようだった。薄暗い灯りに照らされたその横顔は、どこか影を帯びていて、声を掛けるべきか一瞬迷うほどだった。
俺の正体にはまだ気づいていない——か。やはり打ち明けるべきだろうか。俺が『悪魔』であること。
「疲れているなら、休んだ方がよいだろう」
俺が『悪魔』であることを彼女が知っているはずもない。それなのに、ユーカは俺を気遣ってくれる。その優しさが、妙に心地よかった。
魔族と人間は決して交わらない。幾ら魔王様が三百年の平和を築いたとしても、今まで積み重なった歴史があって埋めることのない溝だった。だが、今の俺はただのBランク冒険者フウとしてこの場に居る。誰がどう見ても人間の一人にすぎない。
ユーカはもう魔族ではない、ただの人間である。魔族と人間が仲良くしてしまえば、やはり最悪の場合、殺されてしまうだろう。でも、俺が悪魔だと名乗らなければ、俺は人間として一緒に居られるんだ。
「……そこまでではありません。ポーションで魔力はほとんど回復しましたから。どちらかと言えば……酒のせいです」
先ほど皆の前では、魔法など使える状態ではない、とわざとらしく演じてみせた。ただの人間の一人として振る舞うために。
「酒?さっきは牛乳を飲んでいたようだが」
「あなた様が来る前に、少し……」
笑えばきっと大丈夫だと思うだろう。
「この地も安寧とは言えません。結局、ダイヤモンド帝国へ向かうしかないようですね」
「国家間の事情はよく知らないが……ダイヤモンド帝国には何か問題があるのか?」
「ダイヤモンド帝国は、魔法主義の国です。一定の魔力量や魔法適性がない者は、女や子供であろうと容赦なく迫害され、左遷されます」
俺はこれまでに見聞きしたダイヤモンド帝国の話を口にした。それは、フウとしての記憶に基づくものも交えていた。
セネトは、勇者の適性があると判明したその翌日に、帝国の連中に捕らえられ、無理やり勇者として振舞わされた。それほどまでに、彼らにとって勇者は必要不可欠な存在らしい。逆に、Cランクにも満たぬような魔法の才なき者たちは、属国であるアクアマリンなどへ追いやられ、華のある暮らしとは程遠い、質素な暮らしを強いられていた。
さらにフウの記憶を辿ろうとしたとき、酒がさらに身体に回ったのか、視界がぐらりと揺れ、目の前が暗く沈んでいくのを感じた。やはり、一気飲みはダメだ……。
「フウ?」
誰かの声が聞こえる。
「おい……こんな場所で眠られては困る」
目を覚ますと、そこは見慣れた俺の部屋だった。……昨夜、俺はいったい何をしていたんだっけ。途中から意識が無く、何故俺の部屋にいるのかも分からなかった。
頭の奥に鈍い痛みが残りながらも、俺はよろよろとギルドの受付へ足を運んだ。そこでは、ガーネット王国が赤龍によって破壊されたという話題で持ちきりになっていた。そういえば……そんな話をしたような気もする。記憶の断片がところどころ抜け落ちているが。
「ギルマス、この騒ぎは一体何ですか?」
「急な話なんだが、ダイヤモンド帝国までの道のりを護衛してくれる人を募集しているらしい」
「そういうのは、魔導士の仕事でしょう?冒険者は魔族領、魔導士は国内という明確な線引きがあるのですから」
「今回は護衛対象が多いだけに、魔導士だけでは人手が足りないそうだ」
護衛対象の中には、ユーカたちもいるようだ。表向きには、彼女たちは国賓相当の扱いを受けているようだ。確かに異世界からこちらに転移させてしまったというのなら、それくらいの扱いは当然だろう。
ダイヤモンド帝国までの道のりは長く険しい。山を越えねばならず、舗装もされていない悪路が続く。山賊に遭遇する危険も孕んでおり、ましてやガーネット王国が一夜にして更地になってから間もない。道中に何が潜んでいても不思議ではない。
この護衛依頼を引き受ければ、俺はユーカと共にいられる。だが、今のユーカには紫龍がいる。よほどの事態でもなければ、アイツが敗れるはずはないだろう。つまり、この護衛依頼は最初から人手が足りなくても、ユーカ達のみの安全は保証されているようなものだ。
ならば俺は、紫龍にもできないことを担うまでだ。隠密魔法で周囲から見えなくし、速度上昇で移動を助ける。俺が依頼を引き受けてしまえば、風属性のBランク冒険者としての扱いを受ける。それならあえて依頼を断り、陰から支え続ければいい。一緒に居たい気持ちはあるが、ここは紫龍に譲ろう。
「別に強制したいつもりじゃないんだ。ダメ元で打診しただけだから、気にしないでくれ」
俺がしばし考え込んでいたからか、ギルマスはそれ以上何も言わず、その場から立ち去った。俺は軽く頭を下げると、ギルドの外に出た。そこには魔導士や冒険者、馬車が何台も連なっていた。おそらく、これが例の馬車だろう。この馬は風属性が使えるらしく、そこらの馬車と比べてかなり良い馬車である。流石は王族の馬だ。
俺はその馬車に速度上昇の魔法を施した。
そしてその場を立ち去ると、俺はガーネット王国の現状を確かめるべく、転移魔法を展開する。もしかすると、まだ生き残りがいるかもしれないし、襲撃の手掛かりを掴めるかもしれない。赤い龍、おそらく赤龍のことだろうが、奴は火属性を得意とする龍だ。紫龍が四天王でない今、奴が四天王であってもおかしくはない。
「これは——酷い」
転移してすぐに目の前に広がっていたのは、もはや街と呼べぬ瓦礫の荒野だった。倒壊した家々と黒く焼け焦げた塊が無造作に転がっている。人間だったのかどうか、判別すらつかない者たちがそこら中に横たわっており、生存者がいたら奇跡と言えるだろう。
この惨状がアメシストに伝わったのは、王女たちがアメシストの東方ギルドに駆け込んだから。つまり、ガーネット王国のギルドが他国に対し、緊急伝令を出す暇もなかったのだろう。それほど一瞬にして町は火の海になった。
寧ろこの状況でガーネット王国の王女は、よく生き延びたものだ——。崩れ落ちた城跡を見上げ、ふと胸に引っかかる。
……いや、違う。むしろ疑うべきは、なぜ王女とその側近だけが生き残ったのかである。奇跡の脱出?そんな都合のいい話があるものか。国王たちは現に生き残っていないのだから、城が安全だったわけじゃない。
もし生き残った誰かが、転移魔法を使えたのなら、もっと早くアメシストに着いていただろう。王族であれば、尚更、友好関係のある隣国に一度は訪れているはずだ。つまり——彼女たちの中に転移魔法を扱える者はいなかったと考えていい。
だとすれば、この生還劇そのものが不自然だ。あの王女……何かを隠しているのではないか?
胸に小さな疑念を抱えながら、俺は瓦礫の隅に花を供え、この地を後にした。




