53話
あの不思議な女と出会った翌日。
俺はガーネット王国のギルドで、昨日のブラッドウルフ討伐についての報告を簡単に済ませ、依頼に対する報酬を待つついでに、壁に掛けられた掲示板を見ていた。
その時だった。ギルドの扉が軋む音を立てて開き、あの女が一人で入ってきたのだ。昨日鑑定した通り、彼女には魔法の才が一切なかった。魔力すらゼロで話によれば異世界から来たとかいうこれまた意味の分からない奴だ。そんな人間が、なぜ冒険者ギルドに足を踏み入れるのか。俺は依頼に目を落とすふりをして、横目で彼女を追った。
受付で何事かを話していたが、不思議なことにその口から出る言葉は昨日の異国の言語ではなく、この地で広く使われている共通語だった。俺の耳に確かに届く。異世界から来たという者でありながら、この世界の言葉を話すことが出来る。その異常が、かえって俺の胸をざわつかせた。
やがて彼女は話を終え、まっすぐ俺の方へ歩み寄ってきた。そして掲示板の前で足を止め、掲示された依頼を無言で眺め始めた。その視線は一枚の羊皮紙に釘付けだった。そこには、アメシスト王国のギルドが発行した大型討伐の依頼が掲げられていた。
詳細は特になく、報酬と日時のみが記されている。ガーネット王国に討伐専門の冒険者などほとんどいないのだから、この掲示板自体が魔族領の情勢を知らせる程度の意味しか持たない。端から討伐依頼の募集をするためのものではないのだ。
彼女は魔法の才が無いというのに、異様なほどその依頼に見入っていた。俺は抑えきれない好奇心に駆られ、声を掛けていた。
「アメシストに行きたいのですか?」
「昨日は……ありがとう。えっと——」
「フウです。冒険者をしています。あなた様は?」
「ユーカだ」
ユーカ。耳にしたこともない名だった。もし、彼女が何らかの理由により、異世界で生まれ変わった魔王様であるならば、擬態魔法で姿を変えているこの俺を、一目で「悪魔」と見抜いてくれるのではないか、そんな淡い期待を抱いていた。
だが、それは俺が勝手に抱いた幻想に過ぎなかったらしい。やはり彼女は、ただの人間だ。魔王様の生まれ変わりだなんて考える方がどうかしている。
「ユーカ様、ですね。私はこのアメシスト王国での大型討伐のために向かうつもりなので、もしよろしければ、ご一緒にどうでしょう?」
「……私は、一刻も早くアメシストに向かいたい」
「転移魔法が使えますので、徒歩なんかよりずっと早く着きますよ。私がこの国に来たのも、アメシストのギルドで緊急指令を受けて、転移してきたからなんです」
「転移魔法、か……」
俺には風属性の転移魔法がある。発動すれば、一瞬でアメシストまで転移することも容易である。だが、ユーカがもしこの討伐依頼に参加したいのなら、話は別だ。彼女には魔法の才がない。つまり、歩いて七日かかる道のりを、明日までに踏破することなど不可能である。
「頼めるか?と言いたいところだが、転移魔法は重量や距離に応じて魔力量を消費すると聞いたことがある。四人を運ぶのは可能か?」
「ええ。アメシストまでならば十分可能です。さすがにダイヤモンド帝国のような広大な国全域を跨ぐとなると難しいですけどね」
俺はBランク冒険者だ。それ以上の力を見せれば、周囲に怪しまれるだろう。
「金は……いくら出せばいい?」
「大丈夫ですよ。私も、ちょうどアメシストに向かうところだったんです。準備ができたら、ギルドにお越しください。」
とりあえず、彼女が魔王様の生まれ変わりかどうかは置いておくとしても、俺はどうしても彼女を見過ごすことが出来なかった。今ここで悪魔の姿に戻れば、一瞬で判別をつけることだって出来たのに、俺はそれをしなかった。
何故だろうか。もし彼女が魔王様じゃなかったとしたら、外してしまった時の事を考えると怖いのだ。魔王様でない人を魔王様だなんて失言にも程がある。俺はセネトのように、生まれ変わっても、また見つけ出す自信を、持っていない。セネトはどうして俺の中にフウの記憶があることに気付いたのだろう——。
そしてユーカは三人の人間を連れて現れた。その中には、昨日俺が助けた女の姿もあった。彼女はまだ具合が悪そうで、眠ったままだった。目立った傷は見当たらなかったはずなのに、死人のように真っ青の顔と、黒い靄がまとわりついている。何かの魔法にしては見たこともない魔法だ。
「これで全員ですか?」
ユーカは小さく頷いた。
「転移魔法」
俺は詠唱を終え、転移魔法を展開した。次の瞬間、室内であるにも関わらず、風が巻き起こり、髪が揺れる。空気がねじれ、視界が歪むような感覚だ。慣れれば一瞬の出来事だが、初めての場合は少し驚くだろう。男の一人は驚きのあまり目を丸くして棒立ちしていた。
その後、目を覚まさない女をアメシスト王国のギルドに併設された病院へ運び、皆の滞在先も用意した。とはいえ所詮は冒険者向けの宿泊所だ。粗末な寝台に、簡素な机があるだけの小汚い部屋だ。
夜。俺はギルド併設の食事処で一人、明日の準備を進めていた。広間では冒険者たちが酒を酌み交わし、荒々しい笑い声が縦横無尽に響いている。安酒の匂いが混じり、俺は飲んでいないにもかかわらず、気持ちが悪くなってきた。
その時だった。雑踏の向こうから、ユーカが姿を現した。
「大型討伐って、どういう魔族が出るんだ?」
ユーカは、躊躇いも無しに、長椅子の端でグラスを傾けていた中堅くらいの冒険者二名に声を掛けていた。こういうところは何だか、セネトに似た何かを感じる。
「話によると、洞窟の奥に龍がいるらしい。龍って言えば、四天王クラスの化け物だよな」
「龍だと?種はなんだ?」
俺はその言葉を聞いて、思わずユーカの方を見てしまった。人間側から見た魔族というものの認識は、実に大まかなものだ。赤い鱗を持つ赤龍も、紫の鱗を持つ紫龍も、彼らにとっては龍として一括りにされる。
俺たち魔族からしてみれば、赤龍と紫龍を一緒にするなど言語道断だ。種としての誇りや歴史があるし、当人たちも種を大事にしている部分がある。しかし、人間からすれば取るに足らぬ差異に過ぎないのだから。
だが逆も然り、魔族は人間を全て人間と括っているが、ガーネット人やらアメシスト人といった人種がある。この点はお互いの理解が浅い証拠ではある。
——そして今ユーカが口にした言葉は、単なる無知からのものとは思えなかった。彼女が発した言葉にはどこか確信めいた響きがあった。まるで赤龍や紫龍を知っているような言葉だ。俺は胸の奥がざわつくのを抑えられず、無意識に拳を握りしめていた。
「種……?いや、龍は龍だろ。赤とか青とか、色の違いくらいだ」
ユーカは何かを諦めたのか、静かに立ち上がり、礼だけを残して食事処を後にした。冒険者たちも次々と席を立ち、安酒の匂いだけが場に残された。俺はユーカの足取りが気になって、そっと受付の方を覗いた。ユーカは件の龍の討伐依頼に目を落とし、食い入るように文字を追っていた。その真剣な横顔は軽い冗談や興味などではない、何かを感じさせた。
だが、その依頼——大型討伐には、冒険者ランクB以上が条件とされている。魔法適性すら持たぬ彼女には、参加の資格すら与えられない。本来なら、ただ少し関係を持っただけの女にここまですることは無い。だが、何故か理屈よりも先に体が動いていた。
擬態魔法で新たな姿を作り上げ、全くの別人として冒険者証を発行させる。口頭試問といっても、二、三の問いに答える程度の冒険者なら誰でも分かる問題だ。
「風属性、魔力量四七ですね。それでは、口頭試問に移ります。こちらの草の効果を右から順に言ってください」
カウンターに並べられた草を見る。採取依頼をするためには草の知識も必要である。右から順に葉がハート形で黄色っぽい色をした草、赤と青の丸い実がついた草、白い花がついた草だ。
「魔力回復ポーションの草、有毒、中級魔法程度の回復魔法に適したポーションを作るための草」
「正解です。この有毒の草を誤って食してしまった場合の対処方法は?」
「中級浄化魔法」
「素晴らしいです。それではこちらBランクの冒険者証です」
俺は、二枚目の冒険者証を懐に滑り込ませた。ユーカがこれを望むかは分からない。だが、不思議な確信が俺の頭の中にあった。もし、記憶の中のセネトや、かつての魔王様が魔法の才を持たず、それでも冒険に出ようとしたのなら、誰かから借りようとするだろうと。
冒険者証を借りる行為はギルドの規則には書かれていない。見つかれば違法すれすれの方法であることは間違いない。
だが、俺の記憶に残る限り、何かお咎めがあった訳ではない。昔、セネトがフウに対し、Sランクの冒険者証を渡してきたことがある。周りの人間はフウがSランクではないことを知っておきながら、何も言ってこなかった。あれはセネトが勇者であったからかもしれないが。
この際、ユーカが誰であろうと構わない。ユーカを一度魔王様に重ねてしまった時点で、俺の行動原理は既に歪んでいた。一ミリでも魔王様だと思ったのなら、俺は魔王様に恩を返していかなければならない。
そしてユーカは、再び食事処へと戻っていった。やはり俺の目論見は外れていなかった。彼女は冒険者証を、誰かから借りるつもりなのだろう。
俺は静かに先ほどユーカと会話していた冒険者の姿へと擬態する。違和感を悟られぬよう、当たり前のように席へ腰を下ろし、あまり得意ではないが、酒を片手にした。
すると案の定、ユーカは真っ直ぐこちらへ歩み寄り、俺に声を掛けた。先ほど話していたということもあって警戒心が薄れたのだろう。
「私に、冒険者証を貸してくれないか?もちろん、タダとは言わない。大型討伐の報酬の、倍でどうだ」
「貸す?お嬢ちゃん、命知らずにもほどがある。Bランクにもなってないなら、正直足手まといだぞ?」
「私なら、龍の弱点を見抜けると言ったら?」
「龍の性質って、まさか戦ったことがあるってのか?まあ、貸しただけで金がもらえるなら悪くはないが、あんたが死んだらどうすんだよ」
「死なないように努力する」
どうやら、ユーカにはそれなりの覚悟があるらしい。俺は彼女の瞳をまっすぐに見た。魔法の才が無いくせに、それでも何かのために行動しようとするその姿勢。皮肉にも、フウを思い出させる。記憶の中のアイツも魔法が全く使えないくせにセネトと一緒に冒険して魔族を討伐したい為に、勉強や剣術を頑張っていた。
答えは最初から決まっていたが、少し試すような真似をしてしまった。そもそも一人守るくらいなら、俺にとっては朝飯前だ。最悪、転移魔法で逃げることもできる。それに元四天王の俺が、龍ごときに遅れをとるはずがない。
「これで、私は……」
「お嬢ちゃん……あんた、一体何者なんだ?ガーネット王国のブローチもつけているし、お忍びで大型討伐なんて行くような柄じゃないだろ」
ただの好奇心からではない。彼女が何を抱えているのか、本人の口から一言でも聞き出せれば、手がかりになるかもしれない。
「そうだな、シュガーとでも名乗っておこうか」
あくまでも、正体は教えないつもりか。ほんの僅かでも、あの頃の名を匂わせてくれるのではないかと、胸の奥で期待していた。魔王でもいい、セネトでもいい。俺の正体に気付いているのなら、何かひとつでも口にしてくれるはずだと思い込んでいた。
けれどユーカの瞳は、俺の事をただの酒を飲んでいるそこら辺の冒険者としか映していない。そもそも擬態魔法を使っている俺にも問題はあると思うが、俺だけがユーカに対して空回りしていたんだ。寧ろこれが普通の反応だ。勝手に魔王様やセネトの過去を重ね、勝手に探し求めて、勝手に期待していた。それほどまでに、この女からは懐かしいオーラを感じるのだ。
翌朝。
ユーカは厨房で黙々と菓子を作っていた。その甘い香りが食事処全体に漂い始めている。あれは紫龍の好物だった菓子だ。かつてフウが作って、セネトへと伝え、さらにセネトが俺に教えてくれたものだ。まぁ、セネトは上手く作れないとか言って、俺に作らせていたが。
だからこそ、フウの記憶を忘れていた時代でも、俺は作り方を知っているし、魔王城にいた頃もしばしばこの菓子の味が忘れられず、手を動かしていた。そして、それを食べた魔王様がレシピを知りたがっていたので、少し教えたくらいだ。その菓子を、なぜユーカが知っている?
偶然か、それとも何かが彼女を突き動かしているのか。焼きあがる甘い香りからは、やはり懐かしさを感じさせられる。フウの記憶が戻ってからはより一層、その懐かしさを濃く感じられた。
「何か、作っているのですか?」
「あ、ああ……」
「食べても良いでしょうか?」
「味の保証はしないけど」
私はためらいもなく、ユーカの作った菓子を口に運んだ。口に入れた瞬間、舌の上に広がったのは、あの頃と寸分違わぬ甘さと香ばしさだった。魔王城で幾度も作り、魔王様や紫龍に振る舞ったあの味だ。作り方が同じなら、似通うのは当然であるし、異世界にもこれと同じ食べ物があるなら、別に不思議なことではないが。
「美味しいですね。どこでこの料理を?」
「以前、教えてもらったんだ。……フウはなぜここに? 確かにこの厨房は誰でも使えるが、料理を頼むなら店員に言うのが普通だろう?」
「こう見えても私、料理するんですよ」
俺はフウの記憶を取り戻す前から、料理が得意だった。自然と手が動き、火加減も身体に馴染んでいる。魔族にとって食事は必要ではない。だが、俺はわざわざ人間と同じように飯を作り振舞った。
「大型討伐前に、色々と仕込んでいたので。それをマジックバッグに詰め込もうかと」
「……そうか。良ければ、これも持って行ってくれ」
「いいのですか?」
「ああ。少し余ったからな」
ユーカはそういって笑ってどこかへと向かった。その手には俺が渡した冒険者証が握られていた。




