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52話

 俺が魔族であっても、俺がここまで生きてこれたのはセネトのおかげだった。そして俺はセネトの死を魔族のせいにして、魔族を殺していった。


 そんな俺に人間の世界で育った記憶を忘れる必要はない、過ちはこれから返していけばいいと魔王様は言ってくれた。魔王様は、過去を否定することなく俺を受け入れてくれたのだ。その人柄に惹かれ、俺は四天王としての務めを続ける決意を固めた。


 それから三百年。魔王様が掲げた方針を魔族に浸透させるのは困難を極めた。しかし、魔王様が自ら赴いて、積極的に呼びかけたことで、魔族は徐々に一丸となり、君臨から数年で争いの無い平和を築くことに成功した。


 冒険者とすれ違わず、魔族同士も争わぬようにする。それは口にするほど容易いものではなかったが、魔王様は決して諦めなかった。魔族だからといって争いを好むわけじゃない。皆、心のどこかでは平和を求めていたみたいだった。


 だが、今こうして魔王様が討伐された現実を突きつけられ、俺は記憶の底に沈んでいた『フウ』の存在を思い出した。悪魔としての記憶の中にはフウは存在しない。ただ、セネトが時折言っていた故人、それがフウだった。


 俺とフウの共通点はセネトを介しているという一点に過ぎない。そのセネトも、俺が目覚めて半年ほどで死んだ。


 やはり現実的ではないが、俺の前世が『フウ』であったという可能性すら、いまでは完全に否定できない。前世の善行が来世を決めるなどという話を信じたことはなかったが、もし本当に来世なんてものがあるのなら、この記憶も納得がいく。


 フウがセネトと共に冒険していた記憶だけが断片的に溢れる。きっとフウは、セネトと冒険することを心から楽しんでいたのだろう。


 せめてセネトの墓だけは、記憶の中で出てきた故郷のアクアマリンに移してやることくらいしか、俺にはもうできない。セネトの母親が眠る場所の近くに埋葬すればきっとセネトも喜ぶだろう。


 ——それにしても、母親の死。フウの記憶の中では、人間がやったと考えていたが、本当にそうなのだろうか。まだ死んで時間の経っていない死体、もしセネトが一足先に家に着いていたら?元であっても、魔法の才は変わらないのだから、勇者と鉢合わせする可能性のあるようなことをするだろうか。


 俺はセネトの墓へと転移した。四天王となってからも、俺はセネトの墓を訪れていたし、ここはよく知っている場所だ。フウの記憶にあるセネトも、俺の知るセネトも、魔族を無差別に討伐することはなかった。思うに、セネトは魔族を殺したくなかったのではないか。


 どこかその行動原理が魔王様に似ている気がする。もし、魔王様がセネトだったなら——きっと同じ選択をしたに違いない。俺はセネトと魔王様を重ねた。


 魔王様がセネトであるはずがない。勇者が魔王になるなど、ありえぬことだ。これまでの魔王は人間を虐殺する極悪非道な存在であったはずなのだから。——でもそれって、これまでがそうだっただけで、俺が仕えた魔王様は違うかもしれない。


 人間の前世を持っている魔族。俺がそうじゃなかったら絶対に考えもしなかったことだ。


 俺は墓石を持って、アクアマリンの地に訪れた。丘の上にたどり着くと、そこには墓石が二つ並んでいた。一つはセネトの母親の物で、もう一つはフウの物だった。


「フウが死んだとき、ここに埋葬してくれたんだ——」


 俺がフウの記憶を思い出さなければ、セネトはずっとあの魔族領で一人だっただろう。思い出せば、あの日俺をセネトが見つけなかったら、ずっと魔族領でひとりぼっちだったかもしれない。


 もしセネトが生まれ変わったのなら、気付くものなのだろうか。フウとしての記憶を思い出した今、セネトの生まれ変わりとすれ違ったら、分かるものなのだろうか。



 ◆



 魔王討伐から十七年が過ぎた。俺はフウの名を受け継ぎ、冒険者として生きていた。本当は偽名であるダイでも良かったのだが、ダイはセネトと冒険するための名前、今の俺はセネトと一緒ではないから、その名前はセネトのために取っておくことにした。


 冒険者ランクはB、風属性の魔力量は四十一。なぜセネトが俺にこの冒険者証を授けたのかは今も分からない。だがBランクという立ち位置は、思いのほか居心地が良かった。Sランク冒険者のように過剰な期待もされず、しかし多くの依頼を引き受けるには十分だからだ。


「ガーネット王国からの緊急伝令だ。ブラッドウルフが病院に出現したらしい!」

「私が行きましょう」


 俺は十七年をかけて各国を渡り歩き、ほとんどの地へ転移できるようになっていた。様々なパーティーの数合わせとして入っては冒険者を助け、無用の争いを避けてきたつもりだ。


 俺は緊急伝令の言葉と共に転移魔法でガーネット王国に降り立った。

 魔族領と接していないこの国に、魔族が出現するなど本来あり得ない話だが緊急伝令である以上、ただ事ではないのだろう。


 病院の扉に打ち付けられた木の板をウィンドカッターで破壊し、中へ踏み込む。漂うのは血の匂いだ。廊下には既に事切れた人間の骸が転がり、その奥でブラッドウルフが牙を剥いていた。


 ブラッドウルフは闇属性の魔族。転移魔法を持たぬはずが、この地に現れている。隠密魔法を掛けて自ら走ってきたとしても、そんなことをするメリットが無い。つまり、これは最近君臨した魔王の意志による襲撃だろう。


 俺はブラッドウルフを討伐せず、風属性の転移魔法で魔族領へ送り返した。Bランクの冒険者がブラッドウルフを屠れば、不自然に思われるだろう。余計な騒ぎは避けたい。だが、これなら転移魔法が使える冒険者として普通の行動だ。


 俺は一つ一つの部屋を確かめながら、生存者がいないか探していた。そして二階の最奥の部屋を開けると、見慣れぬ服装の女と子供たちが倒れていた。子供は揺すれば目を覚まし、泣き声を上げた。だが、この不思議な服を着た女は気を失ったままだ。しかし、胸がわずかに上下していて、息をしていることは分かる。


「ブラッドウルフはもういません。歩けますか?」

「うん……」


 弱々しい声で返した子供に手を差し伸べる。歩みの遅い子を支えながら、俺はふと思う。もしここにセネトや魔王様がいたなら、きっと同じように手を差し伸べただろうと。俺は女を背負って病院を出た。そこには大勢のやじ馬がいたが、子供たちが生きていたことに涙する者が多くいた。


「さてと、この女をどうすれば……」


 俺は辺りを見回した。多くの国を渡り歩いてきたが、目の前の女の衣服はどこでも見たことがない。さらに黒髪黒眼という容貌も、この大陸では珍しいものであった。富裕層の間では、近頃、姿を変える擬態魔法の魔道具が流行しているらしいし、おそらくその類だろう。


 その時だった。俺の視線の先に異様な光景が映った。群衆の中に、一人だけ浮き立つように佇む者がいた。この女と同じ衣装を纏っているため、血族か何かであろうと思い、俺はその者に近づいた。


「もしかして、お連れの方でしょうか? 間違っていたら、申し訳ない」

「……ああ、そうだ。ありがとう」


 返ってきた声は震えていた。顔を合わせた瞬間、俺は妙な感覚が芽生えた。初対面のはずなのに、どこか懐かしさが込み上げ、亡き魔王の面影が脳裏を掠めた。


「……あ、いえ。それでは」


 言葉を切り、俺はその場を離れた。そして密かに高位の鑑定魔法を発動させた。冒険者としてはあまりよい行為ではないが、あの女の事を知りたいという抑え難い衝動に駆られていた。


 ——魔法適性、無し。魔力量、ゼロ。種族、人間。年齢十六、雌。鑑定を一通り終えると、俺は結果を見て驚愕していた。幾ら人間に魔法の才が無かったとしても、何かしらの属性を一つは持っているし、魔力だって、無しなんてことはない。


「……どういうことだ」


 俺は踵を返した。今回のブラッドウルフの件についての報告のため、ギルドへ向かうのが先であるはずなのに、気づけば再び病院へ足を向けていた。


 すると女が病院の中に入っていくのが見えた。そして病院内で女は立ち止まり、散乱した血痕を前に考え込んでいた。時折、顔を歪め吐き気を堪える様子を見せていたが、それほど何か引っかかることがあるのだろう。


 俺は隠密魔法で彼女の背を追っていたが、不意にこちらを見られると、魔法で隠れているはずなのに、自分が心配になる。


(バレてないよな——?)


 そして数刻が経ち、病院からどこかへ向かう彼女の背を追っていた。なぜここまで初対面の女に心を惹かれるのか、自分でも理解できなかった。黒い髪が揺れるたびに、記憶の中のセネトの姿が蘇る。確かにセネトも長い髪であったが、長い髪の女なんて腐るほどいる。それなのに、どうしてかセネトの姿と重ね合わせてしまうのだった。


 やがて彼女が辿り着いたのは、ガーネット王国の城であった。見慣れぬ衣服を纏っていたから富裕層の類だろうとは思っていたが、まさか王族に関わりのある者だとは予想していなかった。俺は隠密魔法を掛けて、追っかけていた。もしバレたら、それこそ国外追放ものだろう。最悪、俺は魔族であって、人間ではないから、討伐なんてことも考えられる。


 やがて、女が入っていった部屋には、俺が助けた女もいた。ベッドに横たわり、時折苦しんでいる。傍らには二人の男がいたが、鑑定してみれば、いずれも魔法適性を持たぬ人間であった。そして、男が困ったような顔で何かを話し始めたが、俺にはその言葉が理解できなかった。だが、不思議なことに女には通じているらしく、滞りなく会話が続いていた。


 やがて扉を叩く音が響いた。現れたのは赤髪を持つ女である。煌びやかな衣服を纏い、一目見ただけで王女か何かだと分かるくらいには、放つオーラが違った。俺は自分の鑑定魔法が使えぬものになったのかと、試しに女に対しても鑑定魔法を行うが、いつも通り普通に鑑定は機能していた。やはり、この者たちが異質なだけのようだ。


「この度は、本当に申し訳ございません。あなた方を元の世界へと戻す方法も分かっていないというのに、このような事態を招いてしました」


 女は深々と頭を下げた。そしてその口からこぼれた「元の世界」という言葉に、俺の思考は混乱した。まるでこの者たちが、この地とは異なる世界から来たとでも言っているものだ。


 さらに王女は続けた。


「この国で回復魔法を扱える者は、もう残っていないのです。もし、どこか怪我をしているというのであれば隣国のアメシスト王国が一番近いでしょう」


 小国ガーネットは冒険者も少なく、魔導士も乏しい。ましてや治癒魔法を扱える者なんて早々いない。そして今回襲われたあの病院が唯一の病院だった。しかし襲撃によって、すでに崩壊し、医者も皆死んでしまった。もし俺がもう少し早く来ていれば、いや、最初から目的は医者を殺すことだったのかもしれない。


 俺は音を立てぬよう部屋を後にした。魔法適性を持たぬ人間など存在しないはずだ。だが、もし本当に異世界から来たのならば、先ほど耳にした不可解な言葉も、彼らの世界の言語であるのだろう。


 俺がセネトや魔王と重ねてしまった女は偶然、雰囲気が似ていただけの別人。俺は自分に言い聞かせた。これ以上深入りしてしまえば、俺が魔族であることが露見して要らぬ騒動を起こしてしまうかもしれない。


 俺は気付けば涙を流していた。

 別人のはずなのに、どうしてこんなに胸が苦しいんだろう。

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