49話
洞窟の奥を目指して数十メートル進むと、視界が急に開けた。そこには一つの影が佇んでいた。
一見、人の姿をしているが、背には一対の白い翼が生えている。白い髪に黄色い瞳。
——これが、ドラゴン?冒険者たちは皆、困惑していた。ドラゴンといえば、十数メートルの巨体を思い浮かべるだろう。だが、目の前にいるのは人型の百八十センチくらいの男だ。
ざわめきが広がり、冒険者たちの目は泳いでいた。すると目の前にいる男はゆっくりと剣を掲げた。白く輝く、神聖さすら感じさせる剣だ。武器を手にする魔族など、聞いたことがない。本当に魔族なのかと、目の前の光景を疑った。
「怯むな!翼がある以上、魔族に違いない!」
ロードの一声で冒険者たちは一斉に動き出した。さすがはSランクの面々だ。目の前の光景が信じられなくとも、すぐに魔法を放つ体制に切り替え、そして放たれる魔法は帝王級や神話級といった高火力の魔法だらけだ。
さらに、事前の打ち合わせなどもなく、互いの動きを補い合い、連携した攻撃を普通に行っている。ここまでの物を見せられたら流石の魔族でも耐えられないだろう。
だが、眼前の魔族は、全ての魔法をいとも簡単に避けたのだ。身をひらりと捻り、翼で洞窟内を飛び回る。そして剣で魔法を切り裂きいた。だが、奴から魔法が放たれることは無かった。ただ、冒険者たちの攻撃を受け流し、嘲るかのように舞っているだけだ。
そこら辺の魔族なら、攻撃をした時点で、魔族からも問答無用で魔法が放たれてくる。
魔族は人間と比べて圧倒的な魔法の才がある。人間ならSランクの一部や勇者みたいな奴らでしか無詠唱はできないというのに、奴らは簡単に無詠唱で魔法を放つ。だから、魔族が魔法を使わない理由がないのだ。それなのに、奴は魔法を放とうともしていない。俺は背筋に冷たいものが走り、慌てて鑑定魔法を発動した。
「土、光属性……魔力量、十九……!?」
思わず息を呑んだ。人間ならば、魔力量十九など珍しくもない。だが二属性を有しながらこの低さは異常だ。人間の場合、複数属性を持つ者は総じて高い魔力量を持つのが常識である。現にAランク以上の冒険者でしか複数属性を持つ冒険者は見たことが無いし、奴らは魔力量が通常よりも多い。
一方、魔族は下等魔族と蔑まれるスライムやゴブリンですら魔力量二十や三十は持っているのが普通だ。
「つまり魔法が使えないのではなく、ほとんど使えないということか」
「クソッ!なんだよ、あの動き……魔法を使ってねえのに!」
冒険者たちの声が焦燥に掠れ始める。攻撃を続けてどれほど経ったか、数十分は過ぎていた。だが手応えは皆無だ。奴に傷一つも付けられていなかった。次第に冒険者たちの息は荒くなり、肩を上下しながら、周りを見ていた。魔力不足の兆候だ。
その様子を見ていたアールが、静かに手を翳した。淡い光が冒険者たちを包み、枯渇しかけた魔力をゆっくりと満たしていく。
「魔力回復の魔法です。皆さん大丈夫ですか?」
アールの声が洞窟に響いた。だが俺は、その笑みの奥にあるものをどうしても読み取れなかった。
「はぁはぁっ」
俺はドラゴンに対して神話級魔法を何回も打った。だが、どれも華麗に交わされていく。その回避はもはや目で追うことなどできなかった。明らかにこの魔族は他の魔族と比べて強い。セネトを殺したのはこいつなのか?
「少し前にドラゴン討伐があっただろ?同じ個体か?」
俺は隣に立つ冒険者に聞いた。今回のドラゴン討伐に参加しているくらいなのだから、以前のドラゴン討伐の話くらいは聞いたことがあるだろう。
「ドラゴン依頼?何の話だ?」
「は?少し前に出ただろ!ペリドットまで緊急伝令を出していたじゃないか」
「ドラゴンの依頼なんて聞いたことが無いな」
俺は目の前にいる白い翼の男を見る。よく考えれば、この依頼はドラゴン討伐のはずだ。この場所までは転移魔法で転移しているし、間違っているはずがない。
では、何故この男をドラゴンだとわかったんだ?見た目だけでは魔族と思ってもドラゴンとは思わないはずだ。鑑定魔法で種まで鑑定すれば特定はできるだろうが。
俺は再度鑑定魔法をする。魔力を消費する為、あまり高位の鑑定魔法を使いたくないのだが、奴が本当にドラゴンなのかを知りたくなった。もしドラゴンでは無かったら、この依頼には何かある。前のドラゴン依頼と含めて、同じ状況なのも少し気がかりであるしな。
『ホワイトドラゴン』
ドラゴンであるというのはどうやら間違いないらしい。俺の心配は杞憂に終わりそうだ。おそらく、この洞窟に入った冒険者の中で高位の鑑定魔法が使える者がいたのだろう。そしてその目でこれがドラゴンだと知り、ギルドに戻って報告したといったところだろう。
その瞬間だった。俺の目の前に元勇者パーティーを名乗っていた、ロードが立っていた。
「お前ら、何を話しているんだ?」
「ロード様!少し前にドラゴンの依頼なんてありましたっけ?」
「っ!」
その瞬間、ロードは俺の胸倉を掴んでいた。何か隠したいことでもあるのか?俺はその男を睨みつけた。
「俺は……」
「ロード!まずは目の前の魔族を倒すのが先だよ!」
ロードの隣にいた女がそう叫んだ。
——セネトの死には何かある。俺は確信した。半年前にあったはずの緊急伝令、あの日、ペリドット王国北方ギルドにいた誰もが聞いていた。どういうカラクリかは知らないが、偽の依頼をしてセネトを誘き出して、そして殺したんだ。なぜ殺したかは知らないが、セネトは元勇者パーティーの奴らに嵌められたのだろう。
胸の奥が焼けるようだった。頭の中はセネトの姿で埋め尽くされ、怒りと悲しみが絡み合い、思考を黒く塗り潰していく。元勇者パーティー、お前らが……セネトを嵌めて、殺したんだ。
「吹き荒れる風よ、気高く燃える炎よ。互いの力を交え、すべてを焼き尽くす竜巻となれ——神話級魔法、終焉の大地!」
気付けば詠唱が口から零れていた。怒りが俺の体を突き動かしていたのだ。
「死ね」
放たれた魔法はロードを狙い、地を裂き、洞窟を震わせた。ロードは即座に詠唱して魔法を打ち消すが、大地に深々と亀裂が走った。
「ダイさん! 何をやっているんですか!」
「はは……はははは!」
壊れた人形のように、俺は乾いた笑いと共に、目から涙を流していた。冒険者たちは恐怖に駆られ、俺を避けるように散り散りになっていく。気づけば、白い翼の男の姿は跡形もなく消えていた。
冒険者に向かって魔法を放った瞬間を、誰もがこの目で見ていたのだから、俺はどんなバツに罰せられるのだろう。でもそんなことどうでもいい。今は目の前のコイツを殺さないと。
「セネトを死に追いやったのは……お前だな?」
「ち、違う!」
「セネトの敵は俺の敵だ!」
「誰か助けてくれ!」
ロードの悲鳴は耳に届かない。俺の頭にあったのは復讐だけだった。俺は懲りずに再び詠唱に入ろうとした、その時。
「やめてください!」
アールが俺の身体を強引に押さえ込んだ。腕が軋むほどの力で、俺をロードから引きはがす。
「離せ!アール!俺は……セネトの敵を討つために、ここまで生きてきたんだ!」
「落ち着いてください。セネトさんはそんなこと望んでいない!」
「お前に何が分かる! セネトに会ったこともないくせに!」
叫んだその刹那、ロードは異空間から剣を取り出した。闇属性の収納魔法だ。そして断罪を宣告するかのような仕草で剣先を俺に向けた。
「鑑定魔法——貴様、人間の皮を被った魔族だな。今ここで討伐してやる」
「魔族?……何を言っている。俺は人間だ!」
否定の言葉が虚しく響く。だが、周囲の冒険者たちの目はすでに冷えきっていた。
セネトが俺に与えてくれた名——ダイ。セネトが助けてくれたから、俺はここにいる。もし俺が魔族だったのなら、勇者であった彼女が、保護するはずがない。俺が魔族であると言って、俺を殺す理由を作ったというわけか。
「アールが離さないのなら……転移魔法で——」
「お前が何故そこまで勇者に執着するのかは知らない。だが、もし勇者が……お前にとって大切な存在だったのなら、謝らせてほしい」
「……謝る?」
「そうだ。あれは事故だった。俺たちは、あんな結末を望んでいたわけじゃなかった」
ロードの声は重く、湿っていた。冒険者たちのざわめきすら押し黙らせた。
「魔王の魔石を巡って偽の依頼で勇者を呼び出したんだ。だがアイツは『持っていない』『知らない』の一点張りで、その場を颯爽に立ち去ろうとした。その時、レッドバードがポーチを盗んで逃げたんだ。勇者は必死に追ったんだ。ただ取り返そうとして殺すこともせずに。俺は崖の縁に気付いて止めたのだが……」
「嘘だ……!そんなの、信じられるかよ!」
「俺だって信じたくはなかった。勇者が落ちた後、レッドバードを殺して、ポーチの中を確認したが、そこにあったのは魔王の魔石ではなく、ただの冒険者証だけだった」
あのポーチに付いていた血は、レッドバードを殺した時に付いたレッドバードの血だったというわけか。すると、アールが静かに言葉を差し挟んだ。
「なるほど。勇者の本名を知らずとも、“セネト”という名を聞いてすぐに彼女だと気づいた理由はそこで冒険者証を見たからだったのですね」
「彼女か……勇者は世間一般的には男だと通っているはずなんだけどな。お前、何者だ?」
「そうでしたね、勇者は男でした。でも、真相が知れてよかったです。あなたは嘘をついていない。私の心眼がそう言っていますから」
「心眼魔法を……無詠唱で使っただと。そこら辺のSランク冒険者の芸当じゃねえな」
ロードが吐き捨てるように言った瞬間、空気が張り詰めた。
「このドラゴン討伐依頼は、あなたたちの真意を見極めるために用意したものでした。ですがどうやらあなたたちは、ただ魔王の魔石を欲するだけの人間だったようですね」
「……アール?お前、何を言っているんだ」
アールは静かに一歩前へ出て、淡々と告げた。
「お初にお目にかかります。私は先日君臨された魔王様に仕える四天王の一人——吸血鬼と申します。以後、お見知りおきを」
信じられなかった。仲間だと、共に戦う冒険者だと、俺はずっと——その瞬間、俺の中の世界が音を立てて崩れ落ちたように感じた。耳鳴りがして、目の前の景色が滲んだ。
「は……?」
俺が魔族だったことというだけでも混乱しているというのに、セネトの死が、復讐の余地すらない事故に過ぎなかったということ。そして——アールが、魔王の四天王であること。一気に情報が錯綜するものだから、頭の中でぐちゃぐちゃに絡み合い、ひとつもまともに処理できなかった。
「さあ、行きましょう」
吸血鬼と名乗ったアールの手が俺に触れた瞬間、視界が白い光に包まれた。
「あ、あの……アール?」
「ダイさん。気分は晴れましたか?セネトさんのこと」
俺の声は震えていた。目の前にいるこの金髪の男は四天王の一人……よく考えれば人間離れした魔法を簡単に使っていたし、魔力不足を見たことも無かった。魔族であるというのならそれらの事に説明がつく。
「事故死って、最初から分かっていたのかよ」
「いいえ、知りませんでした。ただ、彼女を見つけたときにはもう事切れていました。ですが、死体の状況を見れば、魔族の仕業ではないと直感しました。魔族なら、殴るのではなく魔法を使いますからね」
アールの言葉は淡々としていた。
セネトの遺体。確か、全身に殴打された痕があったという話だったか。確かに落下による損傷というのなら、その状態も納得がいく。
「そっか……俺は、ずっと——」
言葉にならない後悔が、胸の奥で滲みだした。思い返せば、あのときの俺は謎の確信を持っていた。犯人は魔族だと、疑いもしなかった。
今、その考えがどれほど愚かだったかを、俺は思い知った。
「それで……俺が魔族だって——本当なのか?」
「ええ。疑わしいなら、ご自分で鑑定魔法を使ってみてはどうです?折角闇属性に適性を持っているのですから」
「確かにな……ハハ。本当だ。悪魔だってさ」
たしかに今の俺には、その名がふさわしいかもしれない。
アールは黙って俺を見ている。彼の瞳の奥にあるものは、今も昔も分からない。だが、アールが吸血鬼であることを冒険者の前で暴露したということは、冒険者を辞めて四天王に戻るということだろう。
俺は深く息を吐いた。さっきまでの怒りと憎悪で染まっていたはずなのに、今は何も考えることが出来なかった。俺は今まで何のために生きてきたのだろう。セネト……俺はどうやってこれから生きればいい?
「お前、四天王なんだろ、魔族を殺した俺は魔族の敵だ。殺すなら殺してくれ」
俺は木を背に座り込んだ。今まで感じなかったのに、何だか疲れてしまったようだ。
アールはじっと俺を見つめた。
「それでは四天王として、魔王様に貢献してください。それが、魔族としての償いです」
「分かったよ。アール」
吸血鬼は微かに笑った。受け入れがたかった現実が、少しずつ俺の視界をクリアにしていく。俺は魔族なんだ。
「これからは吸血鬼とお呼びください。私はあなたのことを悪魔と呼びますから」
「分かったよ、吸血鬼」
魔族領の空気は冷たかった。俺が犯した罪——魔族の虐殺の数々を少しずつでも贖うために歩き出さなければならないのだと、静かに思った。
セネトとの思い出もいつかは捨てなくてはいけないのだろう。俺は魔族なのだから。




