48話
俺らは順調に、魔力草の群生地へと辿り着いていた。本来なら、途中で魔族の群れに遭遇していてもおかしくない。この依頼がAランクになっているのも、それが原因だ。だが道中、奴らの影すら見ることはなかった。
まるで、魔族そのものが意図的に姿を隠し、俺らから逃げているようだった。
「これが魔力草だ」
俺は鑑定魔法を使い、草を見下ろす。表示された文字には、確かに『魔力草』とあり、効果まで丁寧に記されていた。神話級の鑑定魔法を興味本位で使ってみたが、どうも魔力の消費が大きい。魔力量百だとしても、勇者や魔王のような魔力が殆ど無限に近い量あるわけじゃない。
「魔族は現れなかったな。運がいいのか悪いのか」
「そういえば、ダイさんは大切な方の敵討をするために冒険者を続けているんでしたね」
「まぁな。目的は達成したんだし、帰るか」
アールの言葉を遮り、俺は踵を返した。アールは大人しく魔力草をリュックへ仕舞い込み、俺の後を追って駆けてくる。本来なら転移魔法で門の近くまで戻ればいい。だが、俺の足はどうしても前へ進むことをやめなかった。わざと遠回りをして、無意味に魔族領を歩く。どうしてだろう、セネトの墓を見た日に殺した感触が身体に焼き付いている。魔族を殺したい。
殺したい。殺したい。殺したい。
「なんで……こんなに魔族がいないんだよ」
「いないことは良い事ではありませんか?」
「それはそうだけど」
アールは、どこか穏やかにそう返した。俺は苛立ちを押し殺してそんなアールに返答する。
気づけば日は落ち、野営をすることの繰り返しだった。結局、この依頼では一体の魔族すら殺せなかった。わざと帰路を延ばしたというのに収穫はなく、胸の中は焦燥と飢えのような感情で満たされていた。
ギルドに戻り、魔力草を受付へ渡すと、依頼の報酬として金貨二枚を受け取った。これを均等に二人で分けたら一人頭、金貨一枚。普通の人間なら安いものだ。魔力草から作られる魔力回復ポーションは金貨十数枚の価値があるというのに。
「それじゃあ……」
口を開いた瞬間だった。
「助けてっ!!!」
ギルドの扉が荒々しく開かれ、冷たい夜気と共に女の声がした。振り返ってみると、女が二人。片方は素人目でも分かるほどの深手を負い、鮮血を滴らせながら立っていた。床に落ちる赤が、異様なほど鮮やかに映っている。
「病院ならここから真っすぐ行って左だぞ!」
冒険者の一人がそう告げた。だが俺の胸の内に広がったのは、助けを求める声に対する応対やら、心配ではなく、別の感情だった。
傷を負った冒険者。おそらく魔族にやられたのだろう。
——今すぐにでもその魔族の場所に行きたい、魔族を殺したい。そんな邪な感情が支配し、俺は口角を上げていた。
「聖なる光の力をもって、傷ついた体を癒せ、帝王級回復魔法!」
アールが女に近づくと、そのまま迷いなく魔法を掛けた。光に包まれた女の傷は瞬く間に癒え、顔からは苦悶が消えていた。帝王級回復魔法を目にするのは初めてだったが、あまりにあっさりと傷が塞がっていく様子に、俺はただ呆然と立ち尽くした。
上級回復魔法と同等の効果があると言われるポーションですら、飲んだ後、数分は安静にしていないといけないというのに。
「帝王級だと……?」
「おい、マジかよ。回復魔法って他の魔法と違って、初級でも相当魔力を使うんだろう?」
周囲の冒険者がどよめき、信じられないといった目でアールを見つめる。アールの魔力量は五十九。確かに基本四属性なら帝王級や、場合によっては神話級くらい発動できる魔力量だ。
しかし光属性、それも治癒系となれば話は別だ。大抵の者は上級回復魔法が限界で、それ以上の治癒系魔法は発動することすら叶わないという。それを、あの涼しい顔で成し遂げてしまうのか。
「大丈夫ですか?」
アールの声は淡々としていた。傷を癒した直後にも関わらず、魔力切れの兆候もない。この実力でどうして俺なんかと組んでいるのだろうか。最前線で冒険者を救いたいのなら、もっと他の……。
「ありがとうございます!あの……治療費は」
「お金は要りません。私は魔法を使っただけですから」
「本当に……ありがとうございます」
女は泣き出しそうなほどに深く頭を下げた。その姿から、仲間をどれほど大事に思っているかが痛いほど伝わってくる。聞けば彼女たちはペリドット王国の中央ギルドに所属する五人能冒険者から成るAランクパーティーだったという。
しかし、魔族に襲われて三名が死亡、二人はやっとの思いで逃亡し、転移魔法で魔族領から最も近い、この近くの病院へ急いだものの、医者に魔力不足を理由に拒否されてしまったという——そこで最後の望みを託すように冒険者ギルドに来たという。
「魔力不足ですか……確かに、朝から魔法を使い続けていたなら仕方ありません」
アールは事もなげに言う。魔力不足は誰にでも起こることで、魔法を使いすぎることによって魔法が発動できなくなる現象のことを指す。休息や薬、魔力回復魔法なんかで治すことができるが、命の灯が消えるかどうかの瀬戸際で待つ者にとっては、それがどれほど残酷な宣告になるのだろうか。
「ウチはサード。この度はネルを助けてくれて、本当にありがとう」
「ネルです……心から感謝します」
「私はアールと言います」
何度も頭を下げるサード。その姿を見ながら、俺はどうしても考えてしまう。もし俺が魔族討伐依頼を引き受けていれば、彼女たちの仲間三人は死なずに済んだのではないか、と。後悔はいつも後からやってきて、俺の身体を蝕んだ。
「アールは今、パーティー組んでる?」
サードが突然切り出した。光属性適性を持ち、これほど高位の治癒魔法を使える冒険者など滅多にいない。必死で縋りつこうとするのも無理はない。
「ええ、この方と組んでいます」
「どうも……」
アールが俺を紹介した。
「二人なら、ウチらが加わっても問題ないよね?」
俺は無言で二人の顔を見た。失った仲間の代わりに俺たちを求めているのか。それとも、ただアールを欲しているだけなのか。
「ウチは風属性の適性持ち。転移魔法なら任せてほしい」
「私は土属性です。野営の時には簡易住居を作れます」
必死に自分たちの利点を並べる二人。
「えっと……」
そんな二人を見て、アールは戸惑った。いつも、笑顔を振りまいているアールがうろたえている。
「俺は風属性が使えるし、野営なら今の物で十分だ。それに、仲間を捨てるような奴と一緒にパーティーは組みたくない」
吐き捨てるような声に、自分の苛立ちが滲んでいた。
説教をしたかったわけではない。冒険者が常に死と隣り合わせに生きていることくらい、嫌というほど理解している。だが、それでも腹の底が煮え立つように苛立った。
仲間を三人も殺されてなお、また冒険に出ようとする。そんな無謀さが、俺にはどうしようもなく無神経に思えたのだ。アールがいれば、大抵の傷は癒える。だが、死んでしまえば回復など無力に過ぎない。死の重さを、あの二人は本当に理解しているのだろうか。
「そうだよね、無神経なこと言ってごめん」
「俺こそ……ごめん、急に怒ったりして」
アールと組み始めて、いつの間にか幾月もの時が流れていた。俺の魔力適性は、他の冒険者より突出していた。そこらのSランク冒険者であっても、神話級魔法を複数同時に操れるのは、そう多くないはずだ。
だが、そんな力を持ちながらも、心の中は満たされることはなかった。
アールはギルドで笑顔を振りまき、人の心を惹きつけていった。気づけば彼は、ペリドット王国の英雄なんて呼ばれるようになっていた。本人はあまりそう言われたくないようだったが。
魔族を討伐しているのは、俺だ。それなのに、称えられるのはいつも隣に立つアールだった。別に英雄など呼ばれたくはない。だが、セネトが勇者だったのなら、少なくとも俺も英雄と呼ばれるくらいでなければ、横に並び立てないのではないか。セネトはもうこの世にいないのに、それでも俺はなお、セネトの背中を追っている。
セネトの死から半年が過ぎたある日。いつものようにギルドに向かうと、ざわめきが満ちていた。俺はその中でアールを見つけて声を掛ける。
「何があったんだよ」
「新たな魔王様が君臨されたそうです」
「……は?魔王が、君臨しただと?」
「ダイヤモンド帝国中央ギルドの発表です。誤報とは考えにくいでしょう」
耳を疑った。前の魔王が討伐されてから、まだ一年半も経っていないはずだ。
俺が目覚めた時には既に倒されていた魔王。話に聞けば、邪悪そのものだったという。千年ものあいだ人類を恐怖に陥れ、冒険者を虐げてきたという。有名な話では、心臓だけを抜き取った死体を雨のように空から降らせたとか。
「これから、ますます魔族の動きが活発になるんだな」
「そうですね——」
その時だった。ギルド内のざわめきを切り裂くように、北方ギルドのギルドマスターが現れた。
「たった今、ダイヤモンド帝国中央ギルドから緊急伝令が届いた!ドラゴン討伐の要請だ!」
「ドラゴン……討伐だと!?」
心臓が跳ね上がるのを感じた。セネトが死んだときと同じ状況だ。
あの日、同じように緊急伝令でドラゴン討伐の話が上がって、ダイヤモンド帝国の外縁に現れたドラゴンを討伐しに、セネトは向かい……帰らなかった。
思い出すだけで胸の奥に後悔が滲み出す。たった半年。それでも、俺にとってセネトは、最初に差し伸べられた手だった。この世界を教えてくれて、冒険者としての道を与えてくれた存在だった。
「行くぞ!」
気づけば声を張り上げ、アールの了承を待つこともなく、その手を強引に掴んでいた。
「どこに行くんですか。あなたはダイヤモンド帝国中央ギルドに行ったことが無いでしょう?」
「ま、魔族領に……」
「ドラゴンがどこに現れたかもわからないうちに魔族領に行った所で、無駄足になるだけですよ」
「……セネトの墓の近くだろ?以前現れたときも、あそこにいた」
「以前と同じ場所にいるとは限らないですよ。私の転移魔法で、現状を把握しているダイヤモンド帝国の中央ギルドまで行きましょう」
「光属性の転移魔法も使えたのかよっ!」
セネトを殺した可能性のある魔族の中で、最も疑わしい存在、それがドラゴンだった。
あのとき、俺は自分には関係が無いと思っていた。だが、それは間違いだった。セネトがここで待っていてと言ったとしても、俺は行くべきだった。セネトに着いていくべきだった。最後、何故セネトが俺に対して別の姿になったのかは分からない。
でもあの日以来、俺はセネトを求めるようになった。失って、初めてセネトの事を大切に思っていたことに気付いた。今の俺は復讐という名目でしか生きていない。だからドラゴンの討伐だけは、俺がしないといけないんだ。
アールの転移魔法で、俺たちはダイヤモンド帝国へと降り立った。光属性の転移魔法は風属性と違い、『行ったことのある場所』である必要が無い。想像し得る限り、どんな場所にも行くことができる。
だから度々風の転移魔法の上位互換などと揶揄される。そんな話は知っていたが、実際にこうして体験すると、現実を思い知らされる。
「ここが……ダイヤモンド帝国中央ギルドか」
「入りましょう」
アールは険しい顔を浮かべ、扉を押し開けた。内部は人で溢れ返っていた。熱気と不安が入り混じっている。
「ドラゴン討伐なんて、Sランク冒険者だけでできるのか?」
「大丈夫だろう。元勇者パーティーの連中がいるんだからな」
「勇者はまだ逃亡中か……。また新しい魔王が君臨したというのに」
口々に漏れる言葉が耳を刺す。勇者はもういない。セネトは、もうどこにもいない。その死は誰にも悼まれず、ただ魔族領の片隅に、小さな墓があるだけだ。
俺だって本当は、あの墓を別の場所に移したいと思っている。だが、セネトの故郷も知らなければ、家族がいたのかどうかすら分からない。何ひとつ、知ろうとすらしてこなかった。
元勇者パーティーの奴らに訊けば、分かることなのかもしれない。だが、俺にはそれが出来なかった。セネトは何らかの理由で勇者パーティーを抜けているのだ、関係が良好であったとは考えにくい。
「集まったな!今回の討伐隊の指揮をする、元勇者パーティー、現Sランクパーティーのロードだ」
その声を聴いた瞬間、胸の奥がざわついた。理由なんて分からない。初対面のはずなのに、脳裏に深くこびりつくような響きだった。耳に残るその声は、俺の頭を蝕んだ。
「残念ながら勇者はいないが、俺らだけでもドラゴンを討伐し、この国を守ろう!」
「おおおおおお!!!」
周囲が歓声を上げる中で、俺はこの男に対して苛立ちを覚えた。
セネトは世間一般的には逃げたと言われている。散々な言われようだ。だが俺は知っている。半年前、ドラゴン討伐の伝令があったとき、セネトは真っ先に駆け出していた。
仲間と合わなかったのか、あるいは勇者という立場に縛られるのが嫌だったのか——理由はどうあれ、セネトには魔族と戦う意思を持っていた。それを、奴らはただ逃げたの一言で切り捨てた。眼前にいるロードですら、まるで逃げること自体が罪であるかのように吹聴し、嘲笑の対象にしているのだ。
「では、目的の場所まで転移しよう。今回は国が緊急性を判断し、魔族領への転移が許可されている」
ロードが高らかに言い放つと同時に、冒険者たちの足元が淡い光に包まれた。視界が眩い光に塗り潰され、次に目を開けたとき、俺たちは巨大な洞窟の前に立っていた。
俺は拳を強く握りしめていた。——この奥にセネトを殺した奴がいるかもしれない。




