46話
セネトがドラゴン討伐に向かってから、数日が過ぎた。彼女は勇者であることをずっと隠していた。普段はただの冒険者の顔をしていたが、危険が迫った瞬間、その身の奥底に眠る「勇者」としての在り方を抑えきれなかったのだろう。
なぜセネトが勇者パーティーから逃げ出したのかは、俺には分からない。だが、世間が言うような「裏切者」だとは到底思えなかった。あのまっすぐな眼差しと、時折見せる不器用な笑顔。そしてドラゴン討伐の話を聞いたときの彼女の行動。セネトは誰よりも人を守ろうとしていた。
「セネト……遅いなぁ」
俺が漏らすと、隣にいた男が肩をすくめた。
「ドラゴンだからな。今頃どこかに飛び去ってしまったのかもしれない」
「緊急伝令って、いわゆる他国に応援要請をする際に使われる魔道具ですよね。送り主はダイヤモンド帝国中央ギルド。帝国にはSランク冒険者が何人もいるはずですが」
「それでも厳しいと判断したんだろう。詳細は知らないが、もしドラゴンが群れで現れているなら、少しでも人手が欲しいってことだ」
「……そうですね」
ダイヤモンド帝国の動きに不審な点はない。だが、何故か俺の心の中には違和感が残っていた。勇者パーティーを作ったのもダイヤモンド帝国で、その勇者が去ったのも帝国だ。
セネトを再び利用しているのではないか。あるいは、あの伝令そのものが彼女を呼び戻すための罠だったのではないか。疑念ばかりが募って、頭の中を埋めていった。魔王が討伐されたという今、ダイヤモンド帝国が彼女を必要とする理由がない。単なる偶然で、この疑念が杞憂に終わればいいのだが。
そして、月日は流れた。気が付けば二ヶ月。俺はずっとギルドにいた。元々固定のパーティーを組んでいなかった俺は、ただ一人、セネトを待ち続けた。出会って半年も経っていないというのに、俺の中でセネトは大きな存在になっていた。俺を助けてくれた、それだけではない感情が俺を支配していた。
「ここで待っていてほしい」
あの時セネトが言った言葉だ。いつかこのギルドの扉を開けて戻ってくる。その時に俺が居なかったらきっとセネトは悲しむだろう。
俺はふと、懐からBランク冒険者証を取り出す。セネトが手渡してくれたものだ。風属性、魔力量四十一。中堅程度の冒険者。何の変哲もない数字の羅列にしか過ぎないのに、それを見つめるたび胸が詰まる。あの時の笑顔と共に蘇るからだ。
「……また一緒に冒険するって約束しましたから」
自嘲のように呟き、拳を強く握り込む。
待っている間、俺はさらに強くなろうとギルドに置かれている魔導書を開いた。
風属性の魔法は支援が多い。転移、飛行、速度上昇と冒険するのには役立つものばかりである。これらの詠唱を覚えて、魔法を練習しても、胸の中にぽっかりと空いた穴は埋まらなかった。心のどこかで、セネトが戻ってこないのではないかという現実が広がり始めていたからだ。魔法を覚えて何になる?セネトと冒険しないなら俺は、何をすればいい?俺はセネトに出会う前の記憶がない。故郷も家族も知らない俺に優しくしてくれた。まるで弟のように可愛がってくれた。
セネトとの短い間の出来事を思い出しては涙があふれた。
そんなある日。
「ダイ!」
突然名前を呼ばれて顔を上げる。
「ん?」
Aランクパーティーの一人が俺に声を掛けてきた。服には土埃がこびりついており、その手には血の滲んだポーチを握っていた。依頼帰りなのだろうが、その姿は妙に重苦しく映った。
「それって……確か、セネトが持っていた——」
声が掠れ、喉が詰まる。あのポーチは、セネトの大切な人が作ったものとかで、セネトが肌身離さず持ち歩いていたはずだ。そしてポーチの中には冒険者証を入れているという話を聞いたことがある。
俺は恐る恐る手を伸ばし、震える指で木のボタンを外した。中には見覚えのある冒険者証が入っていた。胸の奥がざわめき、心臓を鷲掴みにされるような痛みが走る。
「どうして、これを……」
問い詰める声は弱々しく、頼りなかった。
「たまたま一緒になったダイヤモンド帝国のパーティーの一人がな。この冒険者証の裏に刻まれているペリドット王国の紋章を見て、俺に渡してくれたんだ。俺はこれを見て、ダイ、お前に渡すべきだと思ったんだ」
「セネトは……!」
思わず俺は言った。聞きたくない言葉が返ってくると分かりながらも、少しの希望に縋るように、手を震わせた。
すると冒険者は目を伏せ、唇を噛みしめた。そして、しばしの沈黙のあと、低い声で告げる。
「……全身に殴打の痕があって、死んでいることは明らかだったそうだ。そして、冒険者が近くに埋葬したらしい」
言葉が終わった瞬間、俺の頭の中が真っ白になったのを感じた。
俺がセネトを待ち続けた二か月もの間、街にドラゴンの襲撃や冒険者がドラゴンに襲われた話は流れてこなかった。きっとセネトがドラゴンを一人で退けたのだ。勇者としての責務か、それとも彼女自身の本能かは分からない。だが、死体の状態を想像すればするほど胸が締め付けられた。
「……その場所を、教えてくれますか」
「ああ。ダイヤモンド帝国から北におよそ三百キロ。ドラゴンが目撃された場所だ」
「ありがとうございます。せめてもの供養をしたくて」
礼を告げた時には、俺の顔は恐ろしく無表情だった。心に開いた穴が広がっていくのを感じた。今は何も考えられそうにない。
「おい! 転移魔法で魔族領に入るのは禁止されて——」
冒険者の声が耳に届いたが、俺は聞く気もなかった。
ギルドの規定だの国の法だの、どうだってよかった。緊急時や国からの依頼以外で魔族領へ転移することは禁じられているし、一人で入ることも御法度だ。だが、そんな理屈を考えている余裕など、どこにもなかった。
周囲に風が起こり、転移した先は、かつてセネトと共に幾度となく踏み入った魔族領だ。
「セネト……。セネト!」
腹から絞り出した叫び。だが返事はどこからも返ってこなかった。ただ静かな森が広がっている。
俺は「速度上昇」を唱えた。短時間だが歩行速度が飛躍的に向上する魔法だ。足が地を蹴るたびに前へと進んでいく。風が俺の耳を掠め、景色がどんどん移ろいでいく。
セネトの名を、叫びながら、まるで亡霊を追うように、彼女の痕跡を求めて俺は走り続けた。何時間走ったのだろうか。空腹も、疲労も、時間の感覚さえも感じることなく、俺は墓を探し続けた。
そして、たどり着いた。とても簡素な墓だった。上に載せられた一つの石だけが、荒れた大地にぽつんと置かれている。その石にはセネトという文字が刻まれていた。おそらく冒険者がポーチの中に入った冒険者証を見て書いたのだろう。
もし俺がそばにいれば、セネトを助けられただろうか。いや、セネトは勇者だった。相手は並ではなかったはずだ。俺がいたところで足手まといになるだけだっただろう。
墓の前でセネトを失った悲しみが先に来るはずなのに、湧き上がったのは魔族に対する憎悪だった。怒りが血液のように体中を巡った。感じたこともない感情に支配され、目の前を呑気に走り回るゴブリンの子供たちに苛立ちを覚えた。魔族なんていなければよかったのに。
俺は手を振り、ウィンドカッターを放った。刃のような風が一閃し、子供たちの首を簡単に断ち切る。ゴブリンの血の匂いが、乾いた風と混ざり合って鼻を突く。胸に埋められていた魔石は粉々に砕けて地面に転がった。
思い返してみれば、俺は魔族を殺したことがなかった。
セネトと一緒にした冒険は、討伐任務よりも調査や採取が中心だった。笑い合い、夜を明かし、次の朝にまた歩くだけの繰り返しで魔族に遭遇することも少なかった。今考えれば、索敵魔法で魔族がいない場所を事前に探してその道を歩いていただけかもしれない。
だから、この一撃の重みが、俺の内側でこんなにも増幅されるとは想像していなかった。
魔族は、こんなにもあっさり死ぬのか。その事実が、怒りを冷酷な確信へと変えていく。セネトを失った痛みが、復讐へ姿を変えた。もし犯人がわからないのなら、魔族を片っ端から潰していけばいい。
そうすれば、俺のこの抑えきれない痛みが少しは和らぐのだろうか。
「魔族を殺して殺して殺し尽くせば、きっといつかはセネトを殺した奴に会えるだろ」
知らず知らずのうちにセネトの口調を模していた。
セネトの死が俺の理性を少しずつ浸食していった。もう戻れないのかもしれない。それでも戻る気は無い。俺はこの手で魔族を殺していく。そうしないと自分がおかしくなってしまいそうだから。
俺は血の匂いをまとったまま、満足げにギルドへ戻った。受付のざわめきが一瞬止まり、視線が一斉に俺に集まる。ゴブリンの返り血がまだ乾ききらず、俺の服に濃く染み込んでいたからだろう。Aランクパーティーの男が心配そうに近づいてきた。
「ま、魔族に遭ったのか?」
「ああ。魔族に遭ったから殺しただけだ。冒険者なのだから別におかしなことは無いだろう?」
俺がそう吐き捨てると、男は恐れが混じった眼差しでこちらを見たが、それ以上言葉を重ねることはなかった。
俺はセネトのポーチに入った冒険者証を取り出す。指先でなぞりながら、そこに記された文字を確かめる。水属性、魔力量四十七。だが、セネトは俺の目の前で光属性の転移魔法を無詠唱で行い、闇属性の擬態魔法さえ操っていた。そんな芸当ができるのは勇者だけだ。周りの奴らが言っていたようにセネトが逃げ出した勇者であるというのは間違いないだろう。
ということはこの冒険者証に記載されている数値は偽りであるということだ。つまり、冒険者証は誤魔化すことが可能であるということ。
「この板って……鑑定魔法をベースとした魔道具だろ?」
「は、はい。そうですが」
俺は無造作に手を置いた。
「火・風・闇属性、魔力量百……!? ダイさんって、Sランク冒険者でしたっけ?」
「は?」
視線が一斉に俺へ集まる。俺は自分の手をまじまじと見つめた。風属性四十一レベル、それが俺のはずだ。魔力量百?三属性の適性?そんな馬鹿な話があるわけない。そもそも魔法というのは生まれ持ったもので、いきなり変わるはずがない。
「……いや、俺は……そうだな。冒険者証って再発行できるのか?どうやら前測定した時のは壊れていたらしい」
「勿論ですとも。Sランク冒険者様は、貴重ですから!」
差し出された新しい冒険者証には、確かに「火・風・闇属性」と刻まれていた。
火属性といえば攻撃力に優れた魔法が多く、冒険者に多く見られる属性だ。
そして闇属性。闇属性と言えばレアな属性且つ闇属性にしかできないことが多い。例えば、擬態魔法だ。あれはセネトが使っていたが、別人に成りすますことのできる魔法である。とにかく俺はまだ自分の事をよく知らないらしい。何故俺の冒険者証が偽装されていたかは、今となっては分からないが、おそらくセネトが何かの魔法で誤魔化したのだろう。
「Sランク……か」
その時、背後に気配を感じた。顔立ちの整った金髪の男が静かに立っていた。彼の身なりからして、そこら辺のごろつきではないようだ。俺は闇属性の存在を知った瞬間から、無意識に呟いていた。
「鑑定」
脳裏にイメージを浮かべる。初めて発動させたというのに、魔法はあっけなく発動した。目の前にいる男の輪郭が淡く光り、数値が視界に入ってくる。
光属性、魔力量五十九。
「光属性、魔力量五十九か……」
声が漏れると同時に、周囲がざわめいた。人間の場合、確か六属性の中で最も少ないとされているのが光属性だ。魔力量五十九なら本来はAランクに留まるはずだが、希少な属性、即ち闇属性と光属性の場合ランクが一つ上がって登録される。つまり彼は問答無用でSランク冒険者扱いだ。
「冒険者登録をしに来たのですが……」
「是非!板に手を乗せて下さい」
俺が鑑定した通りの数値が叩き出されると、ギルドの職員は目を丸くした。
「文句なしのSランクです!一日で二人もSランク冒険者が現れるとは……!お名前は?」
「アールと申します」
「承知しました!本来なら口頭試問がありますが、ペリドットは人手不足ですので免除ということで。これが冒険者証です」
俺は少し目を細めた。本来、冒険者登録をするには魔法の適性以外にも試験を課されるものらしい。俺は手続きを全てセネトに任せていたため、細かなことは知らなかった。
「あ、アールだっけ?俺はダイ。よろしく」
「はい、よろしくお願いします。ダイさん」




