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44話

 彼女はすぐにフウに抱きつくと、抑えていた感情が一気に解放されるように泣き始めた。声は震え、背中を掴む指先には汗が滲んでいた。やがて、嗚咽を混じえながら、自分がこれまで置かれていた状況を語り始める。


 連れていかれた後、長くてきれいな髪を無理やり切られ、勇者は男であるべきだと押しつけられ、男のふるまいを強いられたという。


 魔族討伐は日常となり、たくさんの魔族を殺していったという。今日ここに来られたのは、ようやく与えられた短い休暇を利用してのことだった。


「フウはもう十四歳を過ぎたよね?」

「はい、そうですが」

「お母さん!フウ、もらっていくね!」


 何かが吹っ切れたように、彼女はフウの手を引いた。先ほどまでの彼女の面影がかすむように、目の前にいるのは、行動はいつも唐突で大胆。それでいて心の奥には繊細さを隠し持つ。あの頃と同じ彼女だった。


「ここって……ダイヤモンド帝国ですか?」

「そう。あまりいいところではないけど」


 アクアマリンの町しか知らないフウは、街並だけでも驚いていた。街を歩いていると、彼女は不意に立ち止まった。視線の先には冒険者ギルドの看板を掲げた重たい石造りの建物があった。


「おい、遅いぞ」

「仕方ないだろう。少し用があるって言ったじゃないか。それと、今日からパーティーの一員のフウだ!」

「は?何だよ、ガキじゃん」

「今回のポイズンビー討伐を引き受ける代わりに仲間を入れたいって言ったじゃないか」

「それだとしてもなぁ……鑑定ッ。火属性、魔力量十二?……はっ、役に立たねえ」


 勇者パーティーは、帝国によって半ば強引に編成された精鋭集団だった。各地から集められたいずれも魔法の才を持った者の四名で構成されている。彼女はその中でも勇者と呼ばれる全属性に適性を持った者。当然パーティーの中心人物だった。


 その中にぽっと出の、しかも平凡以下の適性しかないフウが入ろうとしている。当然のように周囲は反発した。だが、勇者本人の意向に背ける者はいなかった。


「ポイズンビー討伐ですか?」

「ああ、魔族領西側の森に大量発生しているらしい。ポイズンビーの毒に触れれば即死だと聞いた」

「……ええ。あの毒は高濃度の風属性の固有魔法。大量発生しているのなら、クイーンがいる可能性も高いです。相当危険ですね」


 勇者はパーティーの反対など意に介さず、フウに向かって言葉を投げかける。その横顔にフウはつい応じてしまう。


「あと、冒険の際の料理がまずくてな。フウの料理ではないとダメみたいなんだ」

「……もちろんです。でも、私が勇者パーティーに入っても大丈夫なんですか?冒険者ランクに換算したら、Eランクですよ」

「大丈夫だ。私とフウは一心同体。つまりフウもSランクだ!」

「意味が分かりません」

「とにかく、冒険者証を発行しておこう」

「ちょっ」


 フウはそんな彼女の行動に思わず笑った。彼女の横に立てる人間になるために様々な知識を蓄えた。でも、そんなものは関係なく、最初から彼女はフウと一緒に冒険しようと思っていたのだろう。


「勇者様。新しく迎え入れる冒険者ですか?」

「ああ、そうだ。名前はフウという」

「よろしくお願いします」


 受付の者は、フウの目の前に板を出すと、丁寧に説明を始めた。


「ダイヤモンド帝国中央ギルドでは、冒険者Cランク以上のみ登録可能です。口頭試問を実施するギルドもありますが、ここでは口頭試問はありません。では、この板に手を乗せてください」

「Cランク……」


 フウは火属性、魔力量十二である。冒険者のランクに換算したらEランク。ダイヤモンド帝国のギルドでは登録することが出来ない。


「その……私は」

「手を乗せてください」

「はい」

「えーっと……火属性、魔力量百!?文句なしのSランクです」

「へ?」


 フウは唖然とする。自分の魔力量は十二。先ほど鑑定魔法を使った勇者パーティーの一人もそう言っていた。


「あの……××お姉ちゃん。不正はダメですよ」

「冒険者ギルドの規定があそこに書いてある」


 指を差した方向には冒険者としての心構えやルールが書かれていた。この規定はどの国でも一律らしい。それ以外にも冒険者同士の暗黙の了解みたいなものはあるが、この規定さえ守っていればとりあえずギルドから何か言われることはないという。


「あの規定には一つも、冒険者証を発行する際にバフ魔法をしてはいけないなんて書いていない。そもそもギルドからしてみれば、冒険者が死ななければいいんだから、いちいち取り締まりもしない」

「ですが……」

「大丈夫。約束しただろう?フウは私が守る。フウは私の隣にいてくれればいい」


 こうして、フウは無理やり勇者パーティーの一員となった。しかし当然のようにフウの本当の魔力量を知っている他のメンバーからは受け入れられず、勇者がいない場面では陰湿な罵声が浴びせられた。


「勇者と仲いいからって、調子に乗るなよ」

「魔法も使えねえのに、何の役に立つんだ」


 それでもフウは耐えた。彼女が言っていた通り、魔族を討伐する日々が続いた。それでもようやく彼女と共に旅ができる——たとえ形が歪でも、その願いが叶っているのだ。魔法が使えぬなら、準備や雑務で支えるしかない。フウは陰で努力を重ねた。


「あなたが来てから勇者様の笑顔が増えた気がするわ」


 ギルドの職員が不意にそう漏らした。


「そうなんですか?」

「昔はね、まるで世界が終わったみたいな顔で無理に笑おうとしていたの。心ここにあらずって感じだった。勇者様にとって、あなたは本当に大切な人なのね」


 その言葉にフウの胸は痛む。フウはそれだけ彼女にとって大切な人だったのだ。アクアマリンでは確かにいつも遊んでいたし、家族と言っても過言ではなかった。



 一行はいつものように魔族領へと踏み入った。討伐対象はビッグベアー。夜が落ち、野営の支度が整う。だが、パーティーの空気はいつものように冷え切っていた。彼女とフウ、それ以外の者たち——明確にパーティーは分断されていた。


 彼女はフウにべったりで他の者と必要以上の言葉を交わそうとしない。その在り方は、フウが入る以前からだったという。そもそもアクアマリンで彼女はあまり他人と交流していなかった。髪色が変だと揶揄われていたりすれば、関わりたくないのも必然だろうが。


「やっぱりフウのご飯が一番だ」

「……勇者様って呼んだ方がいいですよね」

「別にお姉ちゃんでも構わないぞ。皆、私が女だと知っているしな。それに敬語も必要ない。年も五つしか違わないんだし」

「何となく、この方が落ち着くので」

「なら仕方ないな」


 彼女はそう言って寝袋に潜り込んだ。夜の静寂が戻る。だが、フウが安堵する間もなく、不意に影が伸びた。勇者が眠った隙を狙って、他のメンバーがフウを蹴り飛ばしたのだ。これはいつもの事だった。勇者である彼女の後ろ盾が無いフウは格好の餌食だった。


「ゲホッ……!」

「お前は何ができる?勇者の機嫌取りか?役立たず」

「今日なんかずっと勇者に守られてただろ。料理人なら冒険者やめろよ」


 嘲りと侮蔑。胸の奥が冷たくなる。声を出そうとすれば喉が詰まり、呼吸さえ重くなる。


 ——その時だった。寝袋にいるはずの彼女が、すぐそばに立っていた。


「何してるの?」


 それは、いつもの彼女の声色ではなかった。柔らかく笑みを浮かべるときの声ではない。冷たく、刃のように鋭く、場の空気を一瞬で凍りつかせる声だった。


「フウと私は二人で一人。フウを役立たずというのなら、私も役立たずということになる。そんな役立たずは……このパーティーにはいらないよな」


 言葉は静かだった。しかし、その静けさは怒りよりも恐ろしく、胸を圧迫する。誰も返す言葉を持たなかった。勇者は淡々とした調子でそう告げると、ためらいなくフウの手を取り、次の瞬間には二人の身体を纏うように光が辺りを包み込んだ。


 光属性の転移魔法である。

 瞬きもしないうちに、二人の身体はアクアマリンの街にあった。


 この出来事は、瞬く間にダイヤモンド帝国全土を揺るがすことになる。勇者が規格外であるとはいえ、勇者パーティーに所属している他の者だって相当な魔法が使える者ばかり。当然その中には転移魔法が使える者だっていた。勇者のこの行動はすぐにギルドに知らされ、帝国側も知ることとなった。


 勇者パーティーから勇者が抜けた。


 その知らせは国民たちにも広がった。勇者は気まぐれで魔族討伐をやめ、人間を裏切った。人類の希望が、国を見捨てた。そう囁かれ、罵られ、憎まれた。


「散々な言われようだな、私」


 彼女は皮肉げに笑った。だがその笑みはどこか嬉しそうだった。勇者という枷が外れたからか、それとも、機械のように魔族を討伐する日々から抜け出せたからか、フウはその笑みを見て胸が締めつけられた。


「笑っている場合じゃないですよ。完全にお尋ね者じゃないですか」


 声が震える。帝国の全てを敵に回す恐怖。外に出れば誰に見咎められるか分からない不安。喉の奥が乾き、言葉を吐き出すのさえ苦しい。


「それよりフウ、本当に大丈夫か? 蹴られたところ、痛くないか?」

「……大丈夫です。それより驚きました。勇者ならどんな魔法でも使えると思っていたのですが、治癒系の魔法が使えないなんて」

「そうなんだ。どうしても治癒系だけは駄目でな……だから治癒は、あのパーティーの仲間に任せていた」


 淡々と語るその声に、妙な寂しさが混じる。万能に見えていた彼女の魔法にも欠陥があったというのだ。神話級の魔法でさえも無詠唱で多重に展開できるというのに。



 一方で、ダイヤモンド帝国では勇者とフウが「裏切り者」として広まっていた。魔王討伐に必要な勇者を失ったことで、魔族から奪えるはずの素材も魔石も入らなくなる。国の繁栄に亀裂が走ったのだ。その損失は計り知れず、二人の首にまで報奨金が掛けられた。そうまでして勇者を奪還したかったのだ。


「一度、家に戻ろう。お母さんが心配だ」

「……そうですね」


 帝国に潜む人々の視線、告発、裏切り。どこに罠が仕掛けられているかも分からない。安全なんてどこにもない。彼女は転移魔法ですぐに母親の家まで転移した。始めは、母親に迷惑を掛けないためにも家に転移しなかったそうだが、ここまで来ると心配が勝つというものだ。


 彼女の家に戻ると、そこには既に温もりを失った母親の亡骸があった。壁も床も赤黒く染まり、乾きかけた血が鉄の匂いを放っている。家具は倒され、生活の痕跡は荒々しく踏みにじられていた。


「……っ」


 彼女は声を上げなかった。ただ、喉の奥から押し殺した呻きが漏れ、震える指で口を覆った。膝が崩れる。肩を支えたフウの体温が、かろうじて彼女を現実につなぎとめていた。


 亡骸の傷口は鋭利でかなり深いものがいくつかあった。明らかに人為的なものだ。


「私の……せいだ。きっと、私が勇者を……やめたから」


 声は掠れ、罪の意識に押し潰されていた。


「違います。××お姉ちゃんのせいじゃない。殺した奴が悪いんです」


 フウは必死に言葉を重ねた。その言葉は確かに正しいかもしれない。けれど正しさは慰めにならない。彼女の瞳には、自責の影が色濃く映って消えることはなかった。そして彼女は母を抱きしめるようにして泣き崩れた。その日は一晩中フウと共に泣き崩れていた。


 やがて丘の上へ亡骸を運び、自らの手で埋葬した。


 アクアマリンは魔族領と接していない。魔族がここに現れることなど、まずあり得ない。加えて魔族は基本的に武器を持たない。即座に魔法を操れる彼らにとって、刃を振るう理由など存在しないからだ。


 つまり、これは人の手による殺し。それはフウも、彼女も、嫌というほど理解していた。墓標に佇む彼女は、静かに吐き出す。


「パーティーの人間なのか、帝国の人間かは分からない……。でも、無関係の人を平然と殺せる人間が、この世にはいるんだな」

「生き物なんて、そんなものです。今は魔王という共通の敵を作っていますが、魔王がいなくなれば、人間同士で争い出すだけです」

「それは本当か?」

「ごめんなさい。人を悪く言いたいわけじゃなくて。ただ魔族は人を長く虐げてきました。でも人間だって、決して綺麗なものじゃないんです」

「魔王は悪だと思っていた。魔王さえいなければ、人は平和になると……信じていたのに」

「帝国が魔王討伐に執着するのは、平和のためじゃありません。威厳のためです。魔王の魔石は力の象徴であり、討伐の証。歴史上、魔王を討った勇者を輩出した国は必ず大国となった。だから帝国は魔王の魔石を欲しがるんです。自国の強さを知らしめるために」

「私はただ、誰もが争わない世界を目指しているだけなのに、どうしてこうなってしまったのだろう」

「お姉ちゃんは優しすぎます。私なら、犯人を見つけ出して、殺します」



 二人は草原に並んで寝転がった。澄んだ空に雲が流れ、頬を撫でる風だけが心地よい。けれど帝国に戻れば捕らわれ、勇者として枷をはめられる未来しかない。


「なあ、フウ。フウは私とずっと一緒に居てくれるか?」

「勿論です。約束しましたから。何十年経っても、生まれ変わっても、絶対に一緒にいようって」

「別人になろうかと思って。そうすれば勇者だって、誰も気づかないだろ?」

「擬態魔法……ですか?」

「話が早い!私はこの草原が大好きだから、髪色はこの草原の色にして……やっぱり髪は長い方がいいな」


 彼女の姿が淡く揺れ、次の瞬間には草原の色の長髪の少女がそこにいた。瞳も透き通る緑に変わり、別人のように美しかった。だが見た目が違うだけで中身は同じだ。


「名前は……そうだな。フウが教えてくれたゲームから取って、セネト。どうだ?」


 フウの両親が大のゲーム好きでフウもその影響からか様々なゲームを彼女とやっていた。そのうちの一つ、セネトというゲームを彼女は好いていた。


「でも私は、擬態魔法なんて……」

「私が掛けてやる。魔法のひとつやふたつ、ずっと掛け続けるくらい造作ない」

「ずっと?」

「今までもそうだ。ずっと隠密魔法をかけてたんだ。見つからないように。でも、隠れているだけじゃつまらないからな」


 セネトと名乗った彼女は微笑み、フウの身体にも擬態の魔法をかけた。次の瞬間、フウの髪も瞳も同じ色に染まり、まるで双子のように見えた。


「それじゃあ、私は、ダイスゲームのダイスから取ってダイで」


 風に草が揺れる音が、ふたりの新しい名と門出を祝福するかのように響いていた。



 ◆



『フウ』の記憶にいるのは、間違いなく俺が目覚めた時にお世話になった『セネト』だった。あの草原で笑っていた少女も、苦悩に歪んだ横顔も、すべてが焼き付いている。だがおかしい。


 俺が目を覚ました時、彼女は俺に『ダイ』という名を与えてくれた。けれど、『フウ』の記憶にある『ダイ』という名は、セネトにとって特別な人間に結びついた名前のはずだ。


 では、なぜだ。どうして、魔族領の森で倒れていたただの男に、その名を与えたんだ?俺には理解できない。むしろ理解してしまうことを恐れている。俺の胸に渦巻く違和感は、やがて一つの疑念にたどり着いた。


 何故、魔王様が死んだ後にフウの記憶を思い出したのだろうか。


 他人のはずの記憶が、まるで自分の過去であるかのように鮮明に蘇る。これは偶然か。それとも……俺が『フウ』と何か関係があるからか?


 セネトが俺に『ダイ』という名を与えたのは、本当に偶然だったのだろうか。あるいは、彼女はすべてを分かっていたのかもしれない。そう考えた瞬間、背筋に冷たいものが走った。俺が悪魔として目覚める前、謂わば俺の前世は『フウ』だったんじゃないか——?

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