40話
次の日、俺は佐藤の部屋を訪ねることにした。だが、そもそも佐藤の部屋がどこにあるのか分からない。俺は仕方なく、片っ端から扉をノックして開けていくしかなかった。
「この部屋だけおかしい」
ふと、一つだけドアノブの形が微妙に違う部屋があった。ほんの僅かな差異で、デザインと言われみればそれまでだ。けれど、そのわずかな違和感が、胸の奥で不安を揺らした。俺は躊躇いながらもドアをノックして、ドアノブに手を掛け、ドアを開けた。
「ショウゴ、おはよう。どうしたの?」
扉の奥には佐藤がいて、傍らには紫色の髪をした小さな少女、アメリアが座っていた。
「もし願いが一つ叶うとしたら……何を願う?」
「またその話か。今も変わっていないよ。私たちの願いはただ一つ。日本に戻ることでしょう?」
「そうだよな。日本の医療ならカホを救えるかもしれない。それに俺だって、またサッカーに明け暮れることができる」
言葉にしながらも、自分の声が妙に乾いて聞こえた。
「ショウゴ?」
佐藤が俺の顔を覗き込んできた。その眼差しが鋭く胸を突く。俺は無意識に口を開いた。
「どうしたの?その顔……」
「ユーカは裏切らないよな。俺の事、裏切らないよな?」
「っ……」
吐き出した言葉は佐藤への八つ当たりに近かった。情けないことは分かっている。だが、時間が迫っているという焦りと行き場を無くした怒りが俺をみっともなく駆り立てた。
「昨日……ハルトと喧嘩した。一昨日、色々あって、その話をハルトにしたら、ハルトが急に怒ったんだ」
「私は、日本に帰りたいと思っている。それだけは絶対に変わらない」
「ハハハ。知ってたか?ハルトはこの世界を知っていたらしいんだよ。そしてそのハルトをある奴に会わせれば、カホを救ってくれるって」
違う。こんなことを言いたかったわけじゃない。俺の言葉は他者から見れば、ハルトを悪者に仕立て上げ、自分の行動を正当化しようとしているように思えるだろう。ハルトを差し出せば、カホが助かって、この世界の平和が担保される。それなら俺がしようとしている行動は正義だろうと。
「——なら、私もショウゴに隠していたことがある。いつかは言おうと思いつつ、ずっと言い出せなかった。私の前世は……この世界の魔王だった」
佐藤の声は淡々としていたが、その内容はあまりに重かった。俺はてっきり佐藤と赤魔導士は知り合いという線から勇者パーティーの一人だと思っていた。
「魔王……? じゃあ、今の魔王は、お前が転生した後に君臨したってことか?」
「そう。今の魔王は四カ月前に現れた。だから私は……今の魔王のことを何も知らない」
「ユーカはいつ魔王を辞めた?」
「この世界では十七年前ということになっている。偶然なのかは分からないけれど、地球と時間の進みは同じみたい」
佐藤は平然と告げる。だが俺の胸の奥では、疑念と恐怖が渦を巻いていた。地球と同じ時間の進み方をしているというのなら、今の魔王とハルトに接点はないはずだ。俺はこの話を佐藤にするべきか考えた。もしかしたら今の魔王の手掛かりになるかもしれない。
「ハルトを会わせればカホが助かるという話だけど、それに関しては心配しなくても大丈夫。私のかつての臣下に光属性に長けた者がいる」
ハルトの話では、カホに魔法を掛けた奴を殺すか、カホの身体のどこかに書かれた術を消すかのどちらかだといっていた。俺は魔法について詳しくはないが、この話を鵜吞みにするなら魔法でどうにかなる話ではなさそうに聞こえる。
「そうか。ユーカが言うなら大丈夫だよな」
俺はそう言いながらも、内心では不安が渦巻いていた。佐藤の言葉を信じたいのに、どうしても警戒心が勝ってしまう。ハルトが嘘を言っているとは思えないが、元魔王である佐藤が信頼している者となると相当な魔法が使えるのだろう。
「他にハルトは何か言っていなかった?ここに転移してきた時のこととか」
「光属性の転移魔法が基本だとか」
「……なるほど。平和を司る者の召喚魔法の正体は、赤魔導士の付近の者を転移させる光属性魔法といったところか。私の知らない魔法でなくてよかった。転生のからくりは分からないが、転移の理屈はそこらの魔法と変わらない」
佐藤は意気揚々と口にする。ふと視線を横にやると、アメリアがこちらをじっと見つめていた。その眼差しには、得体の知れない圧があった。
「この世界のこと、全然知らないから、的外れな話だったら申し訳ないんだけど、この世界って言語が一つだよね?流石に二ヶ月近くいると段々耳が慣れてきて、意味はまだ分からないけど」
「うん。言葉は一つだよ。私は、この世界の言葉を話そうとすると、魔王時代の口調になっちゃうんだけど」
佐藤は軽く笑ってごまかした。
「地球には何百、何千もの言語がある。でもこの世界は一つだ。土地の広さ自体は地球とさほど変わらない。確かに一つの言語の方がどこの国でも通用する理想郷ではある。だけど言葉が同じだからこそ衝突もあると思う。それなら各々が、通じない違う言語で話そうとする。こうして言語は生まれていくものだと俺は思う」
いきなり俺は何を語っているのだと思いつつも、俺は疑問をぶつけた。
「それは考えたこと無かったかも……言われてみればおかしな話ではあるよね。魔族と人間はお互い溝を作って生きてきたというのに。私が知らないだけで昔は仲が良かったとかなのかな。——その話は一旦置いておいて、結局のところ、ショウゴは私に何を求めているの?カホを助けるなら、ショウゴは何もしなくていい。光属性の転移魔法なら、カホを助けるついでに臣下に頼んでみるよ」
あまりにあっさりとした返答に、逆に胸の奥で不信感が膨らむ。二カ月近く待った結果がこれか。実際はそういうものなのかもしれない。考えていたことは案外あっさりと解決して、呆気ない最期を迎えるものだ。
「そうか、俺らの願いは、佐藤のかつての臣下が叶えてくれるのか」
「そう。もう来てもいい頃なんだけど、何かあったのかな?」
俺は焦りを押し殺しつつ、ドアノブに手を掛けた。だが、ユーカは何かを思い出したように俺を止めた。
「忘れていた。このドア、内側からは開かなくなっていたんだった」
「え?」
力を込めてもびくともしない。外からは簡単に開けられたのに。ユーカが外に出ている様子が無かったのはこのせいだったのか。俺はふと換気のために開けられた穴を見る。俺の部屋についているものより少し大きいようにも思える。ここがもう少し低い場所に位置していたら、その穴から外に出られるくらいだ。
「マジかよ……」
「ごめん。ショウゴが部屋にずかずかと入ってくると思っていなくて。それにしてもツキ、遅いな」
「ツキ?」
「私のかつての臣下の一人。忠義に厚くて、私の臣下のうち唯一、今の魔王を知っている奴なんだけど」
魔王。ユーカに言った所で何かが変わるとは分からないが、ダイヤモンド帝国の皇帝と魔王が繋がっていることを話そうか。
「ハルトと喧嘩した内容なんだけど、俺が魔王とある取引をしたんだ。魔王は禍々しい角が生えていて、鋭い爪を持っていた。何だか危なそうなオーラも感じた」
「よく魔王だと思ったね」
言いながら、背筋に冷たいものが走った。あの姿が脳裏に焼き付いて離れない。だが佐藤は、そんな俺の姿を横目に、俺が本当に魔王と会ったのかを疑っていた。
言われてみれば、あれは本当に魔王なのか?ダイヤモンド帝国の皇帝と魔王が繋がっているというだけでも大事件だ。擬態だって出来たはずなのに、あの場で魔王を名乗る必要は無い。
自称魔王という痛々しい奴の可能性もあっただろう。でも俺は、魔王であることを疑わなかった。そういえば、転移初日に絵描きが描いていた魔王の姿にそっくりだったからか。
「魔王って代々ああいう姿なのか?ゲームとかのラスボスみたいな雰囲気だったけど」
「いや、私もその前の魔王もゾンビだった。別に魔王というのは特定の種族と決まっているわけではない」
「転移初日に絵描きが絵を描いてくれただろ?あの魔王にそっくりだったというか、そのままだったというか。だからこれが魔王かって納得いったんだ」
「そうか。なるほど」
佐藤は何かを察したかのように黙り込んだ。俺は何かおかしなことを言ったか?絵描きが描いた魔王にそっくりだったという話だ。絵描きの絵が上手かったというだけだろう?俺は自分が何か大きな勘違いをしているのかと佐藤の目を見る。
ダイヤモンド帝国の皇帝と魔王の両者はおそらく佐藤の前世が魔王であったことも気づいているのだろう。佐藤がこの部屋に閉じ込められていることがその証拠だ。ということは佐藤がこの地に来る前に知らなければいけない。知るタイミングはどこだろう?魔王が言っていた、擬態した魔族。それが最初からいたとでもいうのか?
「そもそも、普通の人間が魔王に会うはずがない。人間は魔王が君臨したことを、魔族の行動の変化でしか察せない。そして魔王と相まみえるのは勇者パーティーのような者だけだ。つまり、魔王の姿を正確に描くことは不可能なんだ」
ユーカの声は妙に冷たく響き、俺の胸にざらついた違和感を払拭した。絵描きの絵は確かに上手かった。だが、上手すぎたのだ。見たこともないものを、想像上の物を正確に描けるはずがないのだから。
「今までの魔王の姿については、勇者パーティーやらが語っているかもしれない。つまり人間族が持つ魔王へのイメージは、せいぜい私や、あるいは私の前の魔王、つまりゾンビに収束する。だが、あの絵描きはそうじゃなかった。禍々しい角が生え、鋭い爪を持った者を描いた。そこで気づくべきだったんだ。あの絵描きが魔族側と繋がっていると」
確かに一見して筋が通っている。
俺らが初日に触れた水晶玉でステータスを知り、俺らが全く魔法の才を持たないということも、魔族側には筒抜けだったのだ。もし佐藤が前世の力を持っていたとしたら、看過できるものではない。だが力を失っていると気づけば、そこらの人間よりも遥かに弱い。
病院襲撃もそうだ。もしかしたら使えるかもしれないという疑念を徹底的に払拭するためのものだったのだろう。もちろん、ハルトをおびき寄せる目的もあったはずだ。だが俺には、もう一つ、佐藤がどう動くか。その反応を確かめる狙いがあったように思えてならなかった。
「ユーカ、これからどうする。絵描きが魔族の擬態だと分かったところで、俺らには何もできない。お前の言う臣下もまだ来ていないんだろう?」
「魔王を直接見ないと絵は描けない。魔王と会う機会のある魔族は、四天王くらいだよ。魔族には四天王が赴いて、魔王の意向を伝える。だから大半は魔王の顔すら知らない。つまり、絵描きは四天王の一人だと告白しているのに近い」
「四天王が絵描きに擬態していたものだとして、これからどうするんだよ」
四天王が分かったところで、今の俺たちには何も関係が無い。初日から俺らの転移について魔族側が把握していたということが分かっただけだ。
「擬態をするには擬態魔法同等の魔道具を使うか、闇属性の魔法を掛けるかの二択。病院襲撃で現れた魔族、ブラッドウルフは闇属性の魔族だ。そもそも魔道具というのは人間の文化だから、魔族は滅多に持たないだろうし、この絵描きはブラッドウルフだと思う」
「つまり、絵描きが主導し、仲間を連れて病院襲撃を行ったと」
「ただ、ブラッドウルフは転移することが出来ないから、風属性か光属性の者も一緒に行動していると思ったのだけど……」
そう言って佐藤は黙り込んだ。病院襲撃で現れたのはブラッドウルフだけではないということだろう。カホの目が覚めれば、病院襲撃で現れた魔族くらいすぐに分かると思うのだが——。病院襲撃の当事者はガーネット王国の国民。つまり、あの場の真実を知っているのはもうカホくらいしかいないのだ。
「目撃者は消されているし、そこまで知られたくないことがあったのかな」
「フウが中に入っているはず。フウに聞けばいいのか」
「フウ?」
「ガーネットからアメシストまで転移してくれた優しい冒険者だよ」
見返りも求めずに俺らを転移させ、アメシストにある病院、宿を紹介してくれた冒険者か。
「あの妙に怪しい冒険者か。ずっとユーカを見ていたし」
「なんだか、あの冒険者は、怪しいというか、私たちを助けてくれたというか」
佐藤は顔を赤らめて言った。今までの強気の佐藤とは違って、少し表情が緩んでいる。
「とにかく、カホに魔法を掛け続けている術者を遠ざければカホは助かるはず。相手が分かれば何てことは無い」
ハルトが言っていた。術者を殺せばカホを助けられると。なら、病院を襲撃したブラッドウルフを殺せば、それで終わる話じゃないのか。
「だったら、そのブラッドウルフを殺すしかない。ユーカの臣下でも、カホは治せないかもしれないから」
「どうして?」
「いや……ハルトが言ったんだ。カホを治すには、魔法を掛けた奴を殺すか、身体のどこかに刻まれた術を消すしかない。つまり、これは魔法でどうにかなる問題じゃないって」
「……そうか」
佐藤はほんのわずかに目を伏せ、言葉を探すように沈黙した。
「私は術者が近くにいて、ずっと魔法を掛け続けていると思っていた。例えば隠密魔法を自分に掛ければ透明人間のように姿を消せる。その状態でカホに近づき、魔法を維持しているのだと。魔法とはそういうものだ。長きにわたり効果が続くことは稀だから」
佐藤はカホに掛けられた魔法を知らないのではないか?だから手探りで、徒労にも近い模索を続けていたんだ。
「ユーカ。カホに掛けられた魔法を、見たことはあるのか?お前の魔王時代に」
「……ない。私はあのような魔法を知らない。だからこそ、今できることは何でもやるしかなかった。この世界の医療は光属性の魔法に依存している。もちろんポーションという手もあるが、あれは非常に高額で、回復魔法に劣る」
やはりそうだ。ハルトはあの魔法を知っていたからこそ、早々に諦めたのだ。一方佐藤は知らないから、あがいていたんだ。もし知っていたら、今のように必死で取り繕うこともなかっただろう。カホが襲撃される前の佐藤は、控えめで、元の世界に戻るのを諦めきったような態度をしていた。
だが、未知の魔法がカホに掛けられたことで、自分一人だけがこの世界を知っているという責任を背負うようになったのだろう。そしてかつての臣下に頼りながらもここまでやってきた。結局……佐藤もハルトも同じで、出来ないと知っていたら、諦めていただろう。
「ハルトが言っていたぜ?命を捧げて、一つの願いである、ユーカを転生させるということを叶えたって」
「なっ……急に何を……」
「ハルトを魔王に渡せば、魔王がカホを助けてくれるらしい。カホの命とハルトの命どちらを優先させるべきだと思う?カホは巻き込まれた被害者で、ハルトは俺らをこの世界に連れてきた加害者だ」
佐藤の顔が暗くなる。
「カホもハルトも助かる方法はないのかな」




