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39話

 その日、俺はハルトの顔を直視できなかった。何をどう話せばいいのか分からなかった。

 魔王の話を信じるとすれば、ダイヤモンド帝国の皇帝に話して、ハルトを魔王に渡せば、カホは助かるらしい。そんな都合の良い話があるはずがない、ということは頭では分かっている。だが、ハルトは俺たちをこの世界に転移させた張本人であるというなら、何らかの秘密を持っていて、それが魔王にとっては障害になりうるというのも一理ある。


 考えれば考えるほど息が詰まり、時間だけが過ぎ去っていった。気付けば、夜が明けて次の日になっていた。


 いつもは何らかの話題を振って騒がしくしていたが、黙っている俺の異変に気付いたのだろう。ハルトは、何気ない調子を装いながら声を掛けてきた。


「どうしたんだよ。昨日カホを見に行ってから、ずっと様子がおかしいぞ」

「そうかな」

「カホの容体が悪くなったのか?」

「別に」


 俺は素っ気なく返すしかなかった。だが、頭の中ではずっと考えていた。俺が悩んでいる間にも、カホには危険が迫っているかもしれない。もう二度と後悔はしないと、中学の頃に誓ったはずなのに、この世界に来てからは後悔ばかりを積み重ねている。無力さだけを思い知らされ続けている。


「……それじゃあ、なんで泣いているんだよ」


 ハルトの声に、初めて自分の頬を伝う涙に気付いた。袖で拭っても拭っても涙は止まらない。


 本当は、ハルトに聞きたいことが山ほどあった。だが、どこから切り出せばいいのか分からず、結局言葉にならない。どうすれば誰も傷つかない結末になるのだろう。昨日は一日中、そのことばかりが頭を支配していた。


「お前は……どうせ赤魔導士だから、俺の抱えてる不安なんて、分かるわけないだろ」


 もっと慎重に、段階を踏んで問いただすつもりだった。なのに気付けば、俺はその言葉を口にしていた。赤魔導士。魔王が憎悪し、殺したい存在。


「……どこで、それを?」


 ハルトの表情が一変した。慌てて口を閉じたが、もう遅かった。その単語は、確かにハルトの地雷を踏んだ。


「赤魔導士ってことは認めるんだな。この世界に来たとき、何も知らないふりしてたけど、それも全部演技だったわけだ」


 ハルトを責めるつもりは無かったのに、俺は言葉が溢れていく。


「そうだよ。全部、演技だ。カホやショウゴなんて、どうだってよかった」


 あっさりとした告白。寧ろ開き直ったようにもみえる。


「意外とあっさり言うんだな」

「どうせ聞いたんだろ?もう隠す意味なんてない」


 そう言って、ハルトは懐からブローチを取り出した。ガーネット王国でもらったものだ。次の瞬間、それを壁に叩きつけた。鋭い音を立てて紋章が砕け、破片が床に散らばる。


「ハルト?」

「俺はガーネット王国が大嫌いだった。だけど、俺の最後の居場所はあそこしかなかったから、あそこに俺の魔導書を置いた。その本は普通じゃ読むことが出来ないから、そこら辺の奴らが読んだところで魔導書の機能はない」


 魔導書。おそらく魔法が色々記されている本だろう。ハルトはベッドから降り、床に転がったブローチの中から石を拾い上げた。壁に叩きつけられて砕けたその宝石のような石は、鈍く光を反射していた。


「これは、その魔導書を読む鍵だった。ここにはめ込まれている宝石みたいなもの、これは魔石だ。魔石というのは魔族の心臓みたいなものだ」

「そ、そんなに凄い代物だったのかよ」


 俺は反射的に声を漏らしたが、胸の奥では疑念が膨らみ続けていた。王女たちがその魔導書を読んで俺らを召喚したのは違いない。つまり、王女たちはこのブローチの機能を知っていたわけだ。

 そんな重要なものを王女は佐藤に渡したのか?そもそも佐藤に渡された時点で、すでに佐藤の正体とやらに王女が気付いていたということか?


「お前が俺らをここに転移させたんだろ。それなら日本に戻る魔法くらいわかるだろ?」

「俺は別にここに転移する魔法を書いただけで、日本に戻る方法なんて知らない。一応、召喚魔法と銘打っているが、基本は光属性の転移魔法。それが使える奴がいれば逆の事も出来るんじゃないかとは思うけど」


 軽く言うが、本当にそうなのだろうか。嘘を混ぜても、俺には見抜けない。魔王もハルトと同様のことを言っていた。想像した場所に行ける、と。ならば日本を思い浮かべれば戻れるはずだ。それをすぐに伝えればあの王女が色々用意してくれただろう。


「それじゃあ、早くそれをやれよ」

「今日本に戻ったところでカホはずっと苦しむだけだし、何の得も無いけど?」


 淡々と告げるその口調に、悪意すら滲んでいるように思えた。


「カホの症状、分かるのか?」

「カホを治すためには、カホに魔法を掛けた奴を殺すか、カホの身体のどこかに書かれた術を消すかのどちらか。ショウゴは知らないだろうけど、魔族は魔石を壊すか取り出すかしない限り死なない存在だから、手っ取り早いのは術を消す方法だけど、古代魔法は発動時に術が消えるから、どこに書かれたかなんてわからない」

「術を消すって、体をゴシゴシ洗えば消せるのか?」

「アハハ。何を言っているの?深い傷って言えば分かりやすいかな。その部分を切断するとかそういう話だよ。どこに書かれているか分からないから、切断できる箇所ならいいけどね。俺だったら、背中に書くかな。術って結構複雑だから」


 笑い声が、やけに冷たく耳に残った。カホの命が掛かっている話をしているはずなのに、まるで他人事のようだ。もしかすると、最初からハルトはカホを助ける気なんてなかったのではないか。見舞いに来ることもなかった。カホが苦しもうが絶望しようが、コイツにとってはどうでもいいのだろう。


「佐藤はこの事、知っているのか?」

「知らないと思うよ。だって、ユーカは俺の事すら気付いていなそうだし」


 気付いていないと断言する根拠はどこにあるのだろうか。ハルトの言葉を疑っているわけではないが、今までのハルトと今のハルトは別人に思える。


 魔王は佐藤の正体について何か知っているようだった。だが、あいつは興味がないと言った。それはつまり、佐藤が脅威ではないという意味だ。そんな魔王が殺したいと言っているハルトは何者なのだろうか。今わかっているのは赤魔導士で、魔法の知識があって、俺らをここに転移させたくらいだ。


「そもそも。俺のエゴでユーカを転生させているわけだし」

「転生……そうか。赤魔導士の記憶を保持して転生しないと、この世界に召喚させる魔法は描けない。転生の魔法とかは知らないけど」


 この事は魔王が言っていた理屈に当てはめれば分かる。


「魔法じゃないよ。この転生は、赤魔導士としての命を捧げて叶えてもらったんだ。まさか転生先がこの世界ではない別世界になるとは思わなかったけど、一応付けた保険である召喚が効いたわけだ。ガーネット王国の連中は、俺が死んでも尚、俺の魔法に縋ろうとしているんだなと」


 ハルトの言葉を聞きながら、俺はふと魔王が言っていた話を思い出した。


『もし願いが一つ叶うとしたら……何を願いますか?』


 あの問いかけはただの夢物語だと思っていた。けれど今、ハルトの話から察するに、この世界では本当に願いが叶うらしい。ただし、代償は命。あまりに現実離れしているのに、不思議と胸の奥で合点がいく。魔法があるならそれくらいの話があっても今更驚かない。


「まあ、ガーネット王国の王女は俺が書いておいた平和を司る者の事を赤魔導士だと思っていたみたいで、ユーカの正体が赤魔導士だと勘違いしていたみたいだけどな」

「だからブローチを返した……。でも、そのユーカがお前にブローチを渡したのは偶然なのか?」

「偶然だ」


 もしこれが偶然ではなかったら佐藤はハルトの正体?いや、前世が赤魔導士であることに気付いていたということになる。だが、ハルトはどうやら佐藤が自身の正体に気付いていないという絶対的な自信があるらしい。ハルトの目は、真っ直ぐこちらを見ている。だが、その真剣さがかえって作り物めいて見えた。信じたいはずなのに、どこかで騙されていると疑ってしまう。



「俺が転生してまでも願ったことはただ一つ。今の魔王を殺すことだ。笑えるだろ、魔法も使えないくせに」

「俺は魔王とかよくわからないけど、何があったんだよ」

「お前には関係ない。どうせ魔王から言われたんだろ、俺を連れて行けばカホを助けるとか」


 どうして知っている?魔王が俺に提示したあの条件を。俺が動揺するのを見透かしたように、ハルトの瞳が俺を射抜いてくる。


「だが、断る。先ほど言ったようにカホを助けるためには術者の死か術を壊す必要がある。奴の言葉には乗るな」


 カホを助ける方法が本当にハルトの話通りなら、ハルトを渡したところで解決はしないかもしれない。だが、ハルトの言葉にはどこにも裏付けがない。それは魔王の言葉も同じだ。だが、今はとにかく魔王の機嫌を損ねないことが重要である。勿論ハルトが死ぬのは嫌だ。どうにかして二つを解決する方法は無いのだろうか。


「それだけじゃない。カホを生贄にするとか……もうよくわからなくて」

「お前は、俺よりもカホを優先するってことか?俺はずっとお前を裏切っていたから」


 違う。そんなことを言いたいわけじゃない。四人で日本に帰りたい。ただそれだけなのに。口を開けば開くほど、俺はハルトを悪者にしたいかのように、ハルトを責めた。


「それじゃあ、転移した時にお前に説明すればよかったのか?お前は巻き込まれただけって。違うだろ、俺は少なくとも、説明しない方がお前らのためになると思っていた。ユーカだってきっと同じ気持ちのはずだ」

「お前と佐藤を一緒にするなよ。お前は、何かしようとしたか?この世界のことを知っていて尚、お前は何か行動したか?」

「知っているからこそ行動しなかったんだよ。この世界は魔法が全てだ。魔法が使えない俺らに何が出来る?——何もできない。それが答えだ」


 ハルトの声が耳に残って離れない。まるで諦めを説くように、俺の心を蝕んでいく。そんなことは身に染みて分かっている。魔法が使えない俺らには何もできないってことくらい、嫌になるくらい感じている。


 気づけば夜の城を抜け出していた。


「なにやってんだろう、俺」


 答えを出さなければならない。カホを助けるのか、それともハルトを守ってカホを捨てるのか。どちらを選んでも、結局俺は後悔する。それならいっそ、命を捧げて……三人を助ける?


「佐藤なら、何かこの状況を打破できるんじゃないかな」


 俺はその夜、ギルドのロビーで眠りに落ちた。言葉が通じない世界のざわめきに囲まれながら……。

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