38話
「ハルト、やっぱりダイヤモンド帝国すげえよ。めちゃくちゃ広いし、街もきれいだしさ」
俺は勢いよく部屋の扉を開け放ち、ベッドの上でゴロゴロしているハルトに声をかけた。ダイヤモンド帝国に来てから五日目。町並みはこれまで見てきたどの場所よりも整然としていて美しかった。
だが、ハルトはベッドの上からギロリと俺をにらむだけだった。
佐藤とアメリアも楽しんでいるのだろうか?そういえば、この城に来てから一度も姿を見ていない。会えたところで話すこともないが、無事に生きているならそれだけいい。
「よく外に出られるね。俺は部屋でいいや」
その声音には冷めた響きがあった。ガーネット王国の陥落、魔族の侵攻。その記憶が足を縛りつけているのだろうか。俺にも同じ時期があった。転移してすぐ、病院に魔族が現れ、カホが襲われたあの日。怯えて閉じこもる気持ちは分かる。だが、部屋にいようと街に出ようと、結末は変わらない。魔族が攻めて来れば、全て終わりだ。ならば俺は、この世界にいる今を少しでも楽しむと決めた。
「そうか?なんだかんだで転移してから五十三日。段々とこの国の言葉も耳に馴染んできたしさ。カホも今のところ顔色がいいし、この国に来たのは正解かもしれない」
「あ、そう。ユーカもカホのところにいたの?」
ハルトは不思議とカホのことを気にかけていないように見える。所詮クラスメイトという距離感。普段から親しく言葉を交わす仲でもなかった。だからこそ、この素っ気なさは、カホの事を他人事だと捉えているからだろうか。俺は少しこのハルトの態度にムカついた。
「いや、佐藤には会っていない。佐藤に何か用でも?」
「別に。ただ気になっただけ。ユーカの部屋ってどこだっけ?」
逆にハルトは佐藤の方をよく気にしていた。俺の知らないところで、二人は親しいのかもしれない。
「さあな。俺は知らないけど、ガーネットの王女とかなら知ってるんじゃないか」
「それはちょっと面倒だな」
そう言ってハルトはまたベッドに身を投げ出した。
「ハルトは知っているだろ。俺、日本に帰りたいって思ってること。あっちじゃ今頃、夏休み入っているんだろうなって……考えるとなんだかなぁって」
「あまり期待しない方がいいと思うよ。戻る魔法なんて、そう簡単に作れるもんじゃない」
分かってはいる。この世界の住人が日本の場所を知るはずもないし、そもそも地球の存在すら知らないだろう。そんな場所へ帰す魔法が簡単にできたら、今頃俺はこんなに悩んでいないし、魔王とやらもすぐに倒せているのじゃないかと思う。
「分かっている。でもなんで俺らなんだろうって、ふと思うんだ。魔王を倒すために呼ばれたのなら、俺たちは魔法が使えないわけだし」
「まぁ、失敗もあるでしょ。隣のクラスと間違えたとか、別の高校の一年三組を呼ぶはずだったとか」
ハルトはそう言って、そっぽを向いた。
次の日。俺はベッドで惰眠を貪るハルトを横目に、いつものようにカホの様子を見に行った。これが、もはや日課となっていた。カホは依然として目を覚ましていない。カホは何も悪くない、話によれば病院で子供たちを守ったとも言っていた。それなのに、なぜこんな仕打ちを受けなければならないのだろうか。
それでも以前のように、何かに取り憑かれたように苦しむことはなくなっている。相変わらず黒い靄が全身を覆っているが、その表情は安らかで、痛みに歪むこともない。
「カホ」
呼びかけても返事はない。ただ虚ろな沈黙が広がるだけだ。カホの冷たい手先をぎゅっと握った。
そのとき、遠くから二人分の足音が近づいてきた。別にやましいことなど何もしていないはずなのに、鼓動がいつもより早くなっている。そして何を思ったのか、俺は咄嗟にクローゼットへと身を滑り込ませていた。
「ダンジョンに冒険者たちを向かわせた。Sランク冒険者二十四名……申し分あるまい」
「さて、どのくらいの冒険者が死ぬだろう。あのダンジョンには、とっておきを用意していますから。別に私としては死んでも問題ない奴。奴を殺せるほどの実力があるならば、人間を少し見直すかもしれないけれど」
「誰だか知らないが、殺していいのだろう?そいつの魔石が手に入れば、私の実験も進む。その代わり、あの約束を忘れたわけではないな?」
「心配はいらない。この女に魔法を掛けた際に居合わせたガキどもは、すでに全員あの世行き。それに、この女は異邦人。死んだところで悲しむのは異邦人だけですから」
言葉の端々しか聞き取れないが、底知れない恐怖が俺の中を駆け巡る。
四人で日本に帰る。それを目標に俺はここまで来た。アメシストの時、佐藤が無事で、本当に安堵した。カホのように犠牲者が出なかったことが、どれほど救いだったか。だけど、依然としてカホは目を覚まさないし、日本に帰る手立てもガーネット王国が陥落した時点で難しい話に放っていると思う。ダイヤモンド帝国が引き継いでくれるという話だそうだが、過度な期待は出来ない。そして今目の前にいる二人組はカホに何かしようとしている。カホがまた危険に晒されるなんて、俺には耐えられない。次は絶対に後悔しない。そう決めただろう。
「……っ」
俺は震える手でクローゼットの戸に触れた。言葉は拙くてもいい。この国の言語なんて、正確に理解できなくてもいい。俺が飛び出し、声を張り上げれば、少なくとも、誰かが気づくかもしれない。そうすれば、カホを危険から遠ざけられるかもしれない。安全な場所なんて、どこにもない。結局俺たちは、この世界の底知れぬ闇に閉じ込められたままなのだ。
「だ……」
声を絞り出そうとした瞬間。俺は目の前の光景を疑った。
「おや」
柔らかい声音が降り注いだ。目の前に立っていたのは、紛れもなくダイヤモンド帝国の皇帝。……そしてもう一人。顔は知らない。だが、その声には覚えがあった。優しい響きなのに、背筋に冷たいものが走る。俺は、何か取り返しのつかないことをしてしまったのではないだろうか。
『もし願いが一つ叶うとしたら……何を願いますか?』
「お前はッ、あの時の——」
「確かこの男は、異世界から来たとかいう奴の一人……?お前の言うとおり、怪しげな女の方は隔離したが、この男は大丈夫なのか?」
「大丈夫ですよ」
二人が話し終えると、皇帝ではない男が俺の頭に手を当てた。その瞬間、脳の奥に何かが流し込まれたような感覚が走り、二人の会話が理解できるようになった。どういうからくりかは分からない。だが、この世界でなら、それも魔法の一端なのだろう。
「はじめましてというより、お久しぶりと言った方が正しいかもしれませんね。ンフ」
薄気味悪い笑みを浮かべている。クローゼット越しに聞いた時の声音とは微妙に違う。丁寧な口調から感じる醜悪な何かが、今は剥き出しになっている。まるで俺を弄んでいるような感じだ。
「あの時は名乗らずに去ってしまい、失礼しました。私は、魔王です。……と言えば分かりやすいでしょう」
「なんで、魔王なんかが」
「人を信用しすぎですよ。この地には擬態した魔族を送り込んでいましたから。あなたたちがこの世界に来たことも、最初から把握していました」
俺は息を荒くし、声を張り上げる。
「だったら今すぐカホを助けろ!元に戻してくれよ!俺は魔王だとか勇者だとか、そんなのどうでもいい!誰だろうと関係ねえ、カホが助かって、日本に戻れればそれ以上のことは望まない」
しかし、魔王は冷ややかに笑いながら答えた。
「なぜ、彼女を襲ったか。気になりませんか?ただの偶然だったのか、それとも」
「あの病院の襲撃は偶然じゃなかったのかよ」
「ンフ。あなたたちが何故召喚されたのか、答えは簡単です。あの中には召喚対象が居た。それだけの話です。ではそれが誰なのか。それを確かめるために、敢えて一番人間と交流している者を襲いました。もし魔法に長けた者がいるなら、仲間を助けに行くでしょう?でも答えは誰も助けに行かなかった。つまり、あなたたちの中に魔法が使える者はいないし、偽装もしていない」
魔王はそういうとガーネット王国の王女が付けていたアクセサリーをどこからか取り出して俺の目の前に落とした。
「赤魔導士が作った召喚魔法。それで召喚したのがあなたたちだった。ンフ。どうやら王女たちは自分の親戚だと偽ってあなたたちをこの国に入れたみたいですけど、私たちはあなたたちが異邦人であることは知っていましたから、それ以外の事を聞きたかったんです。赤魔導士の本とか」
普通、王家を殺せば一大事だろう。特にガーネット王国は陥落しており、後継ぎはあの王女しか残っていない。だからこれは嘘だ。俺から何かを聞き出すための罠だ。
「これは罠だとか思っていませんか?王女は死んでいないと。知っていますか?擬態魔法という魔法を。この魔法を使えば、幾らでも見た目を変えて擬態できる。ホンモノの王女が死んだところで、魔族にでも擬態させれば王女は生きていると錯覚させられる」
そう言って魔王は骸骨をどこからか連れてくると、魔法を掛けた。その骸骨は一瞬にして王女の姿に変わる。見た目からは判別することなどできないくらいに、その骸骨は王女そのものだった。
「皇帝も擬態しているってことか?そうしないと、魔王と繋がるメリットなんてどこにもない」
「一緒にしないでいただきたいなあ。私は私だ。まぁ擬態魔法を使っているという点では正しいが、魔族ではない。私が魔王と結託しているのはこの地の平和のためだ。冒険者という生贄を差し出して、私の研究を進めているだけに過ぎない」
この地の平和?魔王は現在進行形でガーネット王国を攻め落とし、多くの死者を出しているというのに、その者と結託し、平和を語る資格はあるのだろうか。
「ダイヤモンド帝国の地には侵攻しないという条件を飲んで頂いている。というのも、魔王はダイヤモンド帝国を滅ぼしたいみたいだが、私は、そうではない。一応故郷というのもあってな」
「その対価に冒険者を魔族領に送り込む。冒険者が死ねば魔族としても危険ではないということか」
「半分はあたりですね。でも、私が本当にしたいことは、赤魔導士の消息だけ。奴の事ですから、ガーネットを攻撃すればホイホイ出てくると思っていたのですが。赤魔導士が書いたという魔導書もガーネット王国の図書館に保管されていると聞いて行ったのに空振りでしたしね」
「王女は写しも持っていないと言っていたからな」
「それじゃあ、派手に暴れまわっているのは全て赤魔導士をおびき寄せたいというわけで、お前らは俺らの中に赤魔導士がいると思い込んでカホを攻撃したんだな。それならもういいじゃないか、俺らの中にはいなかった。カホを開放しても」
「まさか、本人はあなたに何も言っていないのですか?可哀想に。友情とは脆いものですね」
俺らの中に魔法が使える者はいない、俺らは巻き込まれただけ。それは転移初日に皆が思っていたことだろう?
「あなたは何も知らなくて幸せ者ですね。ンフフ。名前は確か、ユーカでしたか。どうして疑問に思わないのです? この世界の言語を知らないのに、あまりにも上手くいきすぎていることを。それは彼女が紛れもなく、この世界にいた者だったからです」
「上手く行き過ぎていることは何となく感じていたけど、ユーカは一体何者なんだ?」
「それは本人に聞いてください。まぁ、今となってはただの人間ですが」
佐藤に対してはたまに違和感を抱いていた。それは事実である。
「別に私はユーカのことなど興味はありません。私が探しているのはあなたの部屋にいるもう一人……おそらく彼が赤魔導士でしょう」
「ハルトも巻き込まれた側だと思うが」
「まさか。あなたたちを召喚したのは古代魔法の一種。その術を創ったのは赤魔導士本人。古代魔法は術式を描くことで発動しますが、そこには召喚対象を緻密に織り込む必要があるのです。召喚の時に眩い光を感じませんでしたか?」
「……」
俺は記憶を辿った。二〇〇四年六月十七日。カホが黒板の日付を書き直した、その日の朝。教室全体を白い光が呑み込み、目を開けた時には、もうガーネット王国の城にいた。
「目の前が真っ白になるような」
「それは光属性の転移魔法です。分かりやすいように召喚魔法と言っているだけでしょうが、ベースは転移魔法と同じです。古代魔法とはいえ、今の魔法と効果は変わりません。違うのは発動方法だけ。今回使われた魔法は、転移したい場所を思い浮かべれば移動でき、さらに転移させたい対象を思い描けば、それを呼び寄せられる。たとえば赤魔導士の記憶を持つ者をガーネット王国の城へと術に織り込めば、その通りになる」
つまり、光属性の転移魔法とやらは、好きな物を好きなように転移することが出来るというわけか。
「……他人の記憶を正確に記せますか?今は簡単に説明しましたが、実際は緻密に記さねばならない。曖昧なものでは魔法が発動しないのです」
確かに、この世界には写真も映像もない。人間の言葉でどれだけ描写しても、全員が同じ像を思い浮かべることはできない。ならば、召喚魔法を成立させるには、異常なほど緻密に織り込む必要がるのだろう。おそらくアメシストまでの道中で使ったように転移魔法自体が周りを巻き込むもので、複数人が一挙に転移することができるなら、近くに居た俺らが転移に偶然巻き込まれたというのも納得がいく。
だが、それだけでは説明できないこともある。そもそもユーカとハルトは俺らと同い年。この魔王によると、記憶を持つ者を転移の対象にするという方法で俺らを召喚したと言っていた。だがそれは、前世の記憶を保持して転生しなければ意味がないはずだ。魔法でどうにかなるとしても、そんな二人が偶然、同じ学校に居るのはおかしい。お互いが知っているという素振りも無かった。
「正直俺は魔法とかよく分かんねえ。だが、なぜそこまで赤魔導士を憎むんだ?」
「私はどうしても奴を許せない。ただ、それだけです。だから殺す。この城には魔法耐性が施されていて、ここではどうしようもないですが……」
もし魔王の言葉が真実なら、赤魔導士を憎み殺したいほどの理由があるのだろう。話をまとめると、こいつらは赤魔導士という存在がハルトであると考えているみたいだ。魔法に詳しい奴がそういうなら、きっとそういうことなんだろう。けれど、ハルトがそんな大層な存在に見えたことは一度もない。あいつはただ、ベッドに寝転がって日付をメモしているだけだったし。
「赤魔導士を引き渡せば、今すぐこの女を助けよう。悪い話ではないでしょう?」
「俺は四人で元の世界に帰ると決めたんだ。お前らと何があったかは知らない。だが、今は大事な友達だ。その提案は飲めない」
「あなたに何も話していない奴が友達ですか」
赤魔導士のせいで俺はこの世界に呼ばれた。もしハルトがいなければ、俺は高校で友達とバカ騒ぎをし、サッカーに打ち込み、一年でレギュラー入り、彼女だってできていたかもしれない。それでも俺は四人で帰ると決めた。誰一人欠けることなく。ハルトにも、俺に言えない事情があったのかもしれない。
「っ」
それでも心が揺らいだのは事実だ。ハルトのせいで巻き込まれたのに、あいつは何もせず、帰る意思すら見せない。それでも、会話を交わす相手として嫌いではなかった。
「では、条件を加えましょう。“これ以上、魔族は人里に侵攻しない”——どうです?たった一人の命で、私が魔王である限り、この地は安寧となるのですよ」
「それは……」
知らない世界の知らない人々の平和。だが、カホを救え、この世界の人々も守れるのならと一瞬、心が傾きかけた。
「どうやら、冒険者たちが帰還したらしい。君が言っていた死んでも構わない魔族がどれほどのものか、気になるが……帰ってきたということは討伐に成功したのだろう。私はギルドに赴く。その間に決着をつけておけ。この女を実験台にしたいが、それが叶わぬなら、新しい贄を探すまでだ」
皇帝はそう言い残し、その場を静かに去っていった。広間に残されたのは、俺と魔王だけ。重い沈黙が張り詰め、逃げ場のない視線が俺の胸を貫いた。
「この女も可哀想ですね。奴が別の世界に転生し、転移などしなければ、こんな惨めな運命に巻き込まれることはなかったのに」
魔王の声は冷ややかで、哀れみとも嘲りともつかぬ響きを帯びていた。
「……ハルトを、連れてくればいいんだな」
俺の声は掠れ、喉がひどく乾いていた。
「ええ。連れてくればよいですよ。君の気持ちが固まったら、皇帝に告げるといいでしょう。短い間ではあったかもしれないが……友達だったみたいですし」
その言葉が胸に突き刺さった。自分の口で言ったはずなのに、今の俺には、その言葉を素直に飲み込むことができなかった。
今はとにかく、佐藤にもハルトにも会いたくなかった。二人とも、この世界の事情を知っていて、なお俺たちには何も語らなかったからだ。佐藤は……まだ分かる。カホを助けるために動いているのだろうし、アメシストでの行動もその延長なのだと推測できる。
だが、ハルトは違う。
カホを助けようともしない。元の世界に帰る術を探そうともしない。お前が魔法を生み出したのなら、帰る方法くらい知っているはずだ。俺が日本に帰りたいと打ち明けたのを知りながら、あいつはただ無為に日々を潰していた。ベッドに転がり、何かを書き留めては虚ろな目をしているだけ。
そんな姿を思い出すと、胸の奥に黒い感情が広がる。
俺は気づいている。ハルトが居なくてもいい理由を、無意識に探しているのだ。自分を正当化し、心の負担を軽くするために。
そんな自分が嫌になる。
「カホがよくわからないけど、生贄になる前に、決断しなければならないんだよな」
声に出した途端、現実の重みが押し寄せ、吐き気すら覚えた。時間は残されていない。俺は選ばなければならない。




