26話
ガーネット王国の王都陥落の知らせから一夜が過ぎた。ここ、アメシスト王国中央ギルドが位置する中心街には、ガーネット王国に負けず劣らずの城がそびえ立っている。
昨夜、アメシスト東方ギルドに逃げてきた、ガーネット王国の王女と女中たち五名は、皆一様に疲弊していたという。衣の隙間から覗く肌には擦り傷や火傷の跡が残っていたようだが、ギルドにいた回復魔法が使える医者によって簡易的ではあるが回復してもらったようだ。そして昼頃には馬車で、この中心街まで到着するらしい。
「ふにゃあ……魔王様……」
半ば夢の中から、掠れた声が聞こえる。
「アメリア。おはよう」
「魔王様が朝型っていうのは、人間になっても変わらぬのじゃ」
「アメリアが夜型なだけでしょう?」
「もうちょっとだけ……眠るのじゃ」
寝台に半身を沈めたまま、アメリアは私に背を向ける。外の光が差し込み、彼女の紫の髪に淡い輝きを落としていた。
「分かった。私はちょっとギルドの方に行ってくるね」
私は静かに服を着替えて、部屋を後にする。ギルドの分厚い扉を押し開けると、昨夜の一報があったからか、妙に静かな空間が広がっていた。
ダイヤモンド帝国。そこに私たちが入国できる可能性は限りなく低い。魔法至上主義の国なら、魔法が使えない私たちを受け入れる意味は無く、当然のことだ。しかし、ガーネット王国が陥落した今、アメシスト王国もいつ魔族の影に呑まれるかは分からない。私はただ、動くことのできないカホを、少しでも安全な場所に移したい。それだけが、私の原動力になっていた。ガーネット王国の王都が陥落した以上、日本に戻る魔法の模索もどうにかしなければならないというのに。
「おはよう。少し聞いていいか?アメシストより、ダイヤモンド帝国の方が安全なのか?」
「そうですね。魔法の才能さえあれば、ダイヤモンド帝国ほど安全な地はありません。冒険者だけでなく、あの国は魔導士の質も高いと聞きます。ただ……」
受付をしていた職員は言葉を切り、僅かに眉を曇らせた。
「一方で、悪い噂もあります」
「魔導士とは何なんだ?私は辺境の身でな……」
魔王であった私にとって、この世界の制度や職の細部を知る由もない。魔導士。その呼び名が何かの職を表すことは分かっているのだが。ただ、あのブラッドウルフ襲撃の折、魔導士たちが被害を抑えるために行った非人道的な手段は、今でも脳裏に焼き付いている。
「魔導士は国内の秩序を守る者です。冒険者と違い、一定の魔力量や適性が必要で、誰でもなれるわけではありません」
「なるほど……。では、ダイヤモンド帝国の悪い噂とは?魔法の才能が無いと迫害を受け、配流されると聞いたが」
「それだけではないのです。有望なSランク冒険者の買収です。高額の報酬で引き抜き、他国の力を削いでいるのです」
私は頷く。それなら確かに冒険者たちはダイヤモンド帝国に集まり、自国のギルドは手薄になる。魔族領でしか取れない素材も手に入りにくくなり、結局はダイヤモンド帝国から高値で買うほかなくなる。悪質なやり口だ。
「ありがとう」
礼を告げ、私は適当に朝食を済ませて宿へ戻った。部屋を開けると、アメリアはまだ毛布の中で小さく呼吸を繰り返している。
「はぁ……」
もし私が邪悪な魔王だったなら、真っ先に潰すのはダイヤモンド帝国だろう。今、人間族には勇者がいない。全属性に適性を持ち、あらゆる魔法を操る唯一の存在。それが勇者だ。私自身も勇者に討たれているのだから、勇者の規格外の力は理解しているつもりだ。
その勇者が生まれていないのだから、魔王や高位の魔族にとって今の人間族は恐れる存在ではない。例えば、ガーネット王国を襲った赤龍はSランク冒険者でも討伐が難しいだろうし、私が言うのも変だが、魔族と人間族にはそれだけ力の差がある。その差を埋められるのが勇者のような存在だけなのだ。
そんな状況下でもガーネット王国を狙ったのはなぜか。やはり赤魔導士の魔導書、特定の道具がなければ読むことのできないそれに、何か重大な秘密が眠っていて、魔王はそれに恐れていたと考えるのが妥当だ。問題はその内容が今となっては分からないことだが……。
思えば、私たちがこの世界に転移した理由すら分からない。王女たちは不手際だとかミスだとか言っていたが、私たちを見ただけで間違いだと分かるものだろうか?転移魔法で別世界へそんな話は聞いたことがないし、この世界の人々も別世界の存在を知らぬはずだ。
ただ、これだけは言える。人間族の情報が魔族に流れている。それは疑いようのない事実だ。アメリアの目撃情報、Sランク冒険者の不在、そして襲撃のタイミング……全てが、見えない糸で巧妙に結ばれている気がする。
もし魔族が擬態魔法を使って人間に化けているのなら、見破るのは至難の業だ。光属性の心眼魔法で看破することができるが、それを使える者は人間族ならごくわずかであろう。そもそも光属性の適性を持つ人間が少ないのだから。それに、相手の擬態魔法が高位であれば、こちらもそれに匹敵する高位の心眼魔法が必要になる。つまり、一般的には魔族の擬態魔法を見破ることが出来ないというわけだ。
「分かっていても、私には無力だ」
声に出した途端、その言葉の重みが胸を圧し潰すように広がった。
「ユーカ、自分自身を責める必要は無いのじゃ。我にはユーカが考えていることは分からん。でも、要するに今回のガーネット王国の襲撃は、単なる襲撃ではないと考えているのじゃろ?」
アメリアの声音は穏やかだが、その奥に緊張の色が潜んでいる。
「ああ」
短く返す。
「我も同意見じゃ。そもそも魔王が本気を出せば、一日で人間族の領土すべてが崩壊するのじゃ。つまり、これは言い換えれば人間に対する挑戦状みたいなものじゃ」
国が、一夜にして滅んだ。その事実は、多くの人々の心を蝕むだろう。恐怖という鎖で、深く、底の見えない闇へと沈める。そして魔族へ憎悪、嫌悪感で満たされる。それは無謀にも人間を奮い立たせて魔族に牙を剥く。勝てる相手出ないと分かっていながらも人間は戦ってしまうのだ。
「とにかく、今の魔王は邪悪そのもの、我も見過ごせないのじゃ」
「魔族がそう言うと、ちょっと面白いな。だが、アメリアのことは本当に頼りにしてる」
「勿論なのじゃ。ユーカが作った三〇〇年の平和を崩した魔王は、我が許さないのじゃ」
その時、部屋の扉が二度、硬い音を立てて叩かれた。続けざまに蝶番の軋む音がして、ギルドの職員が控えめに足を踏み入れる。アメリアは、咄嗟にベッドの下へ身を滑り込んだ。本能的なのかそれとも私を想ってなのだろうか。
「こちらです」
案内する声に続いて現れたのは、見覚えのある女だった。ガーネット王国で会った、あの凛とした人物。私たちがこの世界へ転移したときに出会った女だろう。あのときの華やかな姿は見る影もない。ドレスは裾が裂け、所々に泥がこびりついている。髪も結い直す暇がなかったのか乱れたままだ。どこかで着替えることもできたはずなのに、それすらせずにここへ来たということは、それだけ、状況が切迫しているが伝わる。
「お久しぶりです。そしてこの度は申し訳ございませんでした。我らが貴方様方を必ず元の世界に戻すとお約束したにもかかわらず……」
「別に謝ることじゃないと思いますよ、……この度は、お悔やみ申し上げます」
思わず敬語が飛び出した。急な来訪に動揺したというのが正しいだろう。
「少し席を外してくれないかしら?」
「はい」
ギルド職員と、王女の側近らしき人は、短い命令に従い静かに部屋を去った。扉が閉じ、わずかな沈黙が落ちる。その間に王女は私の傍らまで歩み寄り、低く告げた。
「私達が使った魔法は、赤魔導士様が書いた魔導書の一節にあった召喚魔法でした。『魔王が現れた時に使え、さすれば平和を司る者が現れる』と記述されていたのです。そして現れたのはあなた方四名。最初は魔法が失敗したのかと思っていましたが、あなたには言葉が通じていた。赤魔導士様が指していたのはこの御方なのだと、わかりました」
「そんなことはない、偶然だろう」
「では、何故言葉が通じたのですか?あのような服はこの世界には無いですし、魔法の才能が一切ないなど、この世界の人間ではありえないこと。異世界から来たというのは何となく理解できました。それなのに、この世界の言語を知るということは、まさしく、赤魔導士様が残された平和を司る者ということではありませんか」
そういうことか。あの時、この女……王女が私に渡したブローチはただの装飾品ではないと感じていたが、王女は、私を救世主であると信じて疑わなかった。だからこそ、あの大切そうな品を迷いなく渡したのだ。異世界から来た人間が、この世界の言語を話す。
——言い逃れできる余地はない。
「はぁ……私はただの人間だ。赤魔導士が言う平和を司る者でもなんでもない。第一、平和を司るなら、ガーネット王国の襲撃も防げるはずだろう?」
わざと肩をすくめて、話を逸らす。
「た、確かに」
王女の声にわずかな揺らぎが生じる。
「それはそうと、ダイヤモンド帝国に向かうのか?あまり良い噂は聞かないと聞くが」
「はい。今はそうするしかないでしょう……アメシスト王国の王族たちも避難するようですし」
王族が避難するという事実に、私は眉をひそめた。戦乱の世で、複数の王族が一箇所に集うのはあまりにリスクが高すぎる。それほどまでにダイヤモンド帝国の守りには絶対的な自信があるのだろうか。
「王族が集まるのか?」
「はい。ダイヤモンド帝国ならSランクパーティーが十個以上ありますし、相当な守りだと聞きます」
「赤龍は空からやってきたんだ?空からなら意味がないだろ」
「ダイヤモンド帝国には巨大な防御壁があるようで、空からでも問題なく対処できるみたいですよ。仕組みはよくわからないのですが」
「なるほど、対魔法障壁か」
魔法にはそれぞれの属性に通ずる防御魔法がある。それを模した魔道具のようなものと捉えれば良いのだろうか。魔法には五つのクラスがある、下から順に下級、中級、上級、帝王級、神話級だ。神話級の魔法には神話級の防御壁でなくては守ることが出来ない。つまり、神話級でなくては意味が無いのだが、この絶対的な自信から考えられるのは神話級クラスの防御壁が展開されているということだろうか。




