24話
「ガーネット王国といえば……つい先日、病院にブラッドウルフが出たばかりではなかったか?」
重く濁ったギルマスの声が、静まり返った食事処に響いた。数人の冒険者が互いに顔を見合わせ、『確かに』と頷きあっている。
「はい。王女によりますと、赤い龍が現れたのは八日前。辛うじて逃げることのできた王女たちは助けを求め、徒歩でアメシスト王国まで逃げ……そして、ガーネット王国から最も近いこの東方ギルドへ、先ほど到着したとのことです」
職員はかすかに震えながら、読み上げた。
「本来なら、龍が出現し、攻撃している時点でガーネット王国のギルドから緊急連絡が魔道具を介して届くはず……だが、それすら出来ぬほど、一瞬で全てが終わったということか」
ギルマスは言葉を選びながら慎重に言った。酔いがさめたかのように皆も真剣な顔つきに変わっている。
私は脳裏にブラッドウルフが病院を襲った日の光景を呼び戻す。ガーネット王国でブラッドウルフの群れが現れたとき、フウがあの地へ向かったのは、緊急指令があったからだと聞いた。ガーネット王国は魔族領に接していない。ゆえにガーネット王国のギルドの役割は、アメシストとの連携や情報収集に限られる。掲示板に並ぶ依頼も、ほとんどがアメシストを経由したものばかりだった。
私が魔王時代の頃、極力人間と関わらないようにしていた為か、人間の国とはこうも容易く崩れるものなのかと思い知らされた。
「赤い龍と言っていたな。紫の龍で冒険者を出払わせ、その後に赤い龍を放ち、助けを呼んだとしても高ランクの冒険者を来られぬようにした、という筋書きか。魔王の策略に嵌まったというわけだな。我々が魔族領へ足を踏み入れたとき、あまりに魔族が少ないと思っていた。だがそれも、アメシスト王国から遠ざける為だったのかもしれない」
よく考えれば、人間領からわずか五百キロの地に龍が棲むこと自体、不自然極まりない。アメリアにはその意図がなくとも、人間から見れば、あの龍は囮にしか映らぬだろう。それとも、アメリアが味方のフリをしているだけで、実は魔王に命令されているとか……いや、そんなことはないだろう。アメリアは顔に出やすいタイプだ。嘘を平気で吐ける様な奴じゃない。
「今回の魔族の目撃証言は、誰がしたんだ?」
一人の冒険者から上がる。こうなれば、この目撃証言をした奴が怪しい。それは誰だって辿り着く答えだ。
「洞窟は短いとはいえ、百メートルほどはあった。それにあの場所は、誰でも見つけられるような立地じゃなかったはずだ」
別の者が野次を飛ばす。
「それが匿名だったんだ。洞窟の中に魔族がいるっていう話が書かれていて、今回は大型討伐なんて銘打っちゃいたが、実際は調査が目的だった。龍がいると分かっていたら、Sランクの仕事だ」
その説明に、私の中でくすぶっていた違和感が少し形を持った。Sランクが一人もいない討伐隊。龍がいると分かっていたのならSランクを呼ぶだろう。——それなら私に龍の情報を授けてくれた冒険者は何故龍がいると知っていたのだろうか?
「大型討伐の依頼書を掲示したのは、いつからだ?」
「確かガーネット王国の病院に魔族が現れた七日前だ」
七日。その数字が場に沈殿するように響いた。ガーネット王国からアメシスト王国までは、徒歩で七日。山と森に阻まれ、街道沿いには小さな街が点在するだけだ。馬や転移魔法を用いぬ限り、冒険者はこの距離を歩くほかなく、最短ルートなんてものは存在しない。
つまり、徒歩しか手段を持たぬ冒険者がガーネット王国からアメシスト王国に向かうには七日掛かり、大型討伐の日程に間に合わせるには、依頼の掲示から、ほとんど間を置かず初日か翌日にはガーネット王国を離れねばならなかった計算になる。
「病院に魔族が現れた二日後、大型討伐依頼が始まった。アメシストに届いた緊急連絡に応じられたのは……転移魔法を使える者だけだったというわけか」
「そもそも、他国の緊急連絡に即応できるのは、その魔法が使える者だけだ。それを踏まえて、我々が選んだのは、転移魔法を使え、なおかつブラッドウルフを屠れる冒険者だった」
「そして向かったのは……フウ一人。魔族は確信したに違いない。『アメシストには最も厄介な冒険者が一人しかいない』とな」
誰も笑わない。唾を飲み込む音ですら聞こえるかのように静まり返った。
この魔王は何が何でもガーネット王国を潰したいようだ。赤い龍と聞く限り、おそらく赤龍のことだろう。高熱の炎を吐き、地を焦がす龍の一種だ。力の格ではアメリア——紫龍と互角だが、紫龍ほどの強靭な鱗は持たず、魔法耐性が低いゆえに龍の中での序列は二位か三位に留まっていた。それでも一国を滅ぼすには容易い事だろうし、そこら辺の人間では止めることすら不可能であろう。
「なるほど、シュガーの発言も一理あるが、それは人間族に魔族と通ずる者がいなければ成立せんだろう?」
「あまりにも出来すぎていることに違和感を抱かないのか。アメシストには普段いるはずのSランク冒険者がいないのも変だ。何故今出払っているんだ?」
「ダイヤモンド帝国に向かったんだ。国からの依頼だったそうだ。普段はほとんど関わりを持たぬ国だが、一人金貨五百枚という破格の条件だったと聞く」
誰かが小さく舌打ちをした。どうやらアメシスト王国とダイヤモンド帝国には溝があるようだ。あまりよく思われていないのだろう。
「どちらにせよ、魔族は最悪の想定までしてガーネット王国を潰しに来た。それほどまでに価値があるということだ。あの国には何がある?」
「……俺はガーネット出身だが、他国にはない物といえば……赤魔導士様の魔導書くらいだな。ある物がなければ読めない、特殊な造りをした魔導書だ」
先ほど杯を落とした男が口を開いた。赤魔導士の魔導書。やはり、ただの紙と文字ではないらしい。書物全体が一つの魔道具のようで、その仕組みがどうなっているかはよく分からないが、鍵のようなものが無いと読めないことからも、何かしらあるのは明白だ。
「だが、魔族というのは魔導書など無くとも、我らの想像をはるかに超える魔法を惜しげもなく振るう存在ではないのか?無詠唱でそれも複数の魔法を操るような化け物揃いじゃないか」
問いかけた男は眉を寄せ、盃の中の濁った酒をぐるりと揺らした。
「赤魔導士様のことだ。或いは、魔族にとっても忌むべき魔法が記されていたかもしれない」
ガーネット王国出身だという男が低く応じる。僅かな敬意が混じっていた。ガーネット王国の国民はそれほどまでに赤魔導士を崇拝しているということは前々から思っていたが、神か何かなのだろうか。
「失礼ながら問う。赤魔導士とは、いかなる御仁なのだ?辺境に生まれた身ゆえ、名は聞いたことがあるが、詳しくは知らない」
私が口を開くと、周囲の数人が目を上げた。子供でも知っているような話なのか、驚いた表情である。
「赤魔導士様は、かつて勇者様と肩を並べ、勇者パーティーを引っ張った御方だ。俺がまだガキの頃、二十年は経たないがそれくらい前だな。魔王を討つには、この方の魔法なくしては叶わぬと言われたほど、魔法に秀でており、新しい魔法を生みだしたりもしていたらしい」
語る男の声は熱を帯び、遠い過去を追うようにゆっくりと低く響く。あたかも、その姿をまだ鮮やかに思い出せるかのように。
「思ったより最近の話なのだな……ならば、まだ御存命であってもおかしくはないだろう。勇者にせよ、赤魔導士にせよ」
私の言葉に、場の空気がわずかにざわつく。だが、そのざわめきはすぐに打ち消され、重い吐息だけが残った。
「確かに理屈ではそうだが、赤魔導士様は魔王を討伐したという報告後、忽然と姿を消された。勇者様の生死は伝わっていないが、魔王が再び現れたというのに、その影すら見せぬとなれば……もはや、あの世の人である可能性が高いだろうな」
淡々と告げられたその言葉は、どこか諦めの色を帯びていた。
この世界に生きる人間の寿命は、おおよそ四十から五十年。医療は未発達で、回復魔法で回復しない病は不治とされる。そうなれば、名を残した勇者であれ、静かに土に還っていくしかない。年月は空しく過ぎていったということだ。
それにおそらくその勇者が私を屠った勇者なのだろうと私は感じ取った。赤魔導士という単語にどこか懐かしさを覚えるのはその時に聞いたからと考えれば納得がいく。私は魔王として約三〇〇年君臨したが、私の前の魔王は千年以上、勇者に殺されず、魔王として統治していたという話だから、そう簡単に魔王が死ぬわけではないだろうし。
「魔王はいつ頃現れたんだ?」
「……そんなことも知らねえのか。まぁ、魔王が現れたって言ってもな、実際には魔族の動きに統率が取れた、というのが正しい。大体、三か月ほど前の話だ」
答えた男は、渋く笑いながらも視線を落とした。その笑みは皮肉とも諦念ともつかない、妙に乾いたものだった。
なるほど。人間族にとって魔王の出現を確かめる術など、直接対面する以外にない。そんな蛮勇は誰も振るえないゆえ、結局は魔族の動きから察するしかないというわけか。しかし、それにしても魔王君臨からわずか三カ月での襲撃とは、あまりにも早い。まるで、赤魔導士の魔導書を破壊することが魔族側にとって急務であったかのようだ。あるいは、単にひとつの国を滅ぼすという欲望の発露か。どちらにせよ、看過すべきではない。
「……何か、ありました?」
静かな声が食事処に響く。ギルドの職員の隣にはフウが立っていた。灯りに照らされた顔色は少し青く、長旅と魔法の疲労が色濃く刻まれている。
「フウ、魔力はどうだ?」
「あまり。ポーションは飲みましたけど……全回復とまではいっていないみたいです」
フウは短く息を吐いた。
「八日前、ガーネット王国の王都が陥落した。赤い龍に焼き尽くされたそうだ」
「……今から行っても、間に合わないでしょう。龍が留まる意味もありませんから」
「それもそうだな。魔族がその気になれば、一日で国を滅ぼせる」
短いやり取りではあったが、フウは全体像を掴んだような顔をした。




