22話
佐藤に久しぶりに会った――と思えば、その隣には見慣れぬ小柄な少女がいた。外見からして、俺らより二、三歳は下に見えた。
「……何聞いてるんだろ、俺」
◆
時はユーカが旅に出た日に遡る。俺はユーカが旅に出た後、カホの病室で背後から何者かに話しかけられていた。氷の刃を撫でつけるような感覚が走った。「振り返ってはいけない」という警鐘が、体を駆け巡るかのように、俺は体が硬直した。
この世界の言葉は知らない。流石に簡単な挨拶なら、十数日もあれば音の流れから想像がつくし、実際街に出て使ってみたが、予想通りの受け答えが返ってきた。それでも会話を成り立たせるほど、理解は出来ていない。
「こんにちは。あなたは彼女のお友達ですか?」
「えっと……そういう感じです」
だが、その声は理解できた。脳内に直接刻まれるように、その怪しげな奴は言葉を続けた。
「ンフフ……あなただけですか?」
耳ではなく、頭の奥で響く。低く湿った笑みが、言葉にまとわりついていた。顔を見なくてもわかる、絶対に関わってはいけないタイプのやつだと。
「い、今は……そうですけど」
自分の口が勝手に答えているような感覚だ。話してはいけない――そう思うのに、嘘をついたところで、すべて見透かされてしまうような、底知れぬ恐怖が俺の頭に駆け巡った。
「もし願いが一つ叶うとしたら……何を願いますか?」
「急に……何言ってんだよ」
「ンフフ。もしもの話ですよ。それでは、また会いましょう」
緊張の糸がプツンと切れるように、強張っていた空気が緩み、背後から感じていた気配が消えた。結局俺は振り返ることもできず、ただ茫然と立ち尽くしていただけだった。
――願いが叶うなら。
脳裏に浮かんだのは、日本に戻るという考えだった。自己中心的だとわかっている。カホを助けたい気持ちはある。だが、この世界では助かる見込みは限りなく低いことくらい、医者の顔を見れば分かる。
病室を離れ、ハルトのいる部屋へ向かった。石壁の部屋は、冬の外気が隙間風となって忍び込み、蝋燭の炎が小刻みに揺れている。ハルトはベッドの上に座り、蝋板を膝に置いて何かを書いていた。思えば、城に居た時もこうして何か書いていたっけ。
「ハルト、何書いてんの?」
「大したことじゃないよ。何日経ったか分かるように、メモってただけ」
「あー、今日で十二日目だよな。もう少しで半月か。最初は軽い気持ちだったけど」
「そうだな……日本の日付で換算するなら、二〇〇四年六月二八日。あと少しで期末テストって感じ?」
「期末テストとか言うなよ。確かに今戻ったら、その分の勉強をしないといけないけど」
その口調に、どこか冗談めかした響きが混じっていたが、俺の胸の底にある恐怖は晴れない。そして迷った末に、病室で遭遇した“何か”について話した。脳に直接語り掛けるような声、感触、言葉。口にしたところで何が変わるわけでもないが、黙っていれば不安に押しつぶされそうだった。
「危害は加えられてないのか?例えば、カホを人質にとか」
「そういうのは特に。そいつの顔すら見てないし」
「そうか……」
ハルトの視線が一瞬だけ鋭くなったが、すぐに蝋板へと戻った。ふと、ベッド脇の棚に置かれたブローチが目に入る。確か、佐藤が身につけていたものだ。転移初日に出会った女から、国を出るときに受け取ったと聞く。煌びやかな細工で、まるで勲章か王家の印章のような威厳を放っていた。
「これ……結構な代物だよな」
「水戸黄門の印籠みたいだったな。病院で、そのブローチを見た医者の顔が忘れられない」
「なるほど」
おそらく、それに近い物なのだろう。だから病院に入ったときに優先的にカホを治療してもらえたのだ。一応、俺らは客人というわけだから、下手な真似をしてしまえば国の威厳に関わるのだろう。
「そんなにユーカが心配か?」
「ああ。言葉も文化もわからない土地で、一人旅だなんて、何考えてるんだか。……また、カホみたいになったらと思うと」
「大丈夫」
短い言葉だった。何の根拠も示さず、ただきっぱりと言い切ったハルトの言葉は、不思議なほど揺らぎがなかった。
「佐藤は……俺の中で一番底が見えない奴だった。何考えてるかわかんねえし、時々別人みたいな顔になる」
「気になってたんだけど、なんで佐藤呼びなの? ユーカでいいじゃん。カホは下の名前で呼んでるんだし」
「隣の席で何かと最低限の交流はあったから、その時の癖かな。皆の前ではユーカって呼んでるけど……佐藤の方が呼びやすい」
「まあ、どっちでもいいけど」
ハルトはそういうと蝋板を棚の上に置き、ベッドに大の字で寝転んだ。
「俺は、ショウゴの方が心配だな。何でも一人で抱え込むなよ。この世界の事は、この世界のやつに任せておきな」
「そうだよな。魔法とか、よくわかんねえし」
「そう。それでよし」
ハルトはそういうと目を閉じた。
◆
俺はハッと現実に戻される。
『もし願いが一つ叶うとしたら……何を願いますか?』
あの日から、その言葉が頭から離れない——。




