18話
その夜も、私たちは粛々と慣れた手つきで地面を均し、帆布を張り、炊き出しの火を起こす。魔族領の冷気に包まれながら、乾いた肉と硬いパンを分け合った。魔族領に足を踏み入れてから、もう十日は経っただろうか。カホのことが何度も頭をよぎった。カホは無事だろうか、目を覚ましただろうかと。
この大型討伐に参加している冒険者には、元々決まったパーティーと組んでいる者もいれば、フウのようにどの集団にも属さぬ者もいるらしい。冒険者とは得てしてそういうものだ。冒険者は己の身の上を語ることがなかった。どこの家の出か、どういう育ちか、どんな過去があるか。そういった話題は、上がらなかった。それが彼らの礼節であり、暗黙のルールというものなのだろう。
代わりに話されるのは、魔族の討伐の話、魔法について――そういった、過去の戦果と知識だけだ。
「あの龍は四天王クラスだ。ギルド本部に今すぐ伝えなければならない」
「俺らじゃ厳しいかもな。Sランク冒険者、今回いねえし」
火を囲む十数人の声が低く交錯する。ここに集まっているのは皆、AランクかBランクの冒険者であった。そもそも条件にもBランク以上と記載されていた。龍の事を甘く見ていたのだろうか。
「……そろそろ寝るか」
誰かが立ち上がり、輪が崩れる。簡素なテントとも呼べない寝床は二人か三人で分け合って使っている。持ち物を詰めた袋を枕に、簡素な布を広げて眠るだけだの場所なので、快適さなどはあまり求めていないらしい。私の場所には、仲間を持たない者たちが集められた。ギルドマスター、フウ、そして私だ。
「今夜は私が先に見張ります。お二人はお休みください」
フウがそう言って軽く頭を下げる。その声音は、いつも通り静かだった。フウの素顔は見えなかったが、他の冒険者よりも一歩先を見ているというか、死線を何度も潜り抜けたようなベテランの風格を感じる。
「じゃあ、見張りの順番はフウ、俺、シュガーの順でいいな?」
「……はい」
私は小さく頷いた。妥当な順番だった。フウが見張りに立っているあいだに、私はフウのマジックバッグから菓子を取り出す。私の番になれば、洞窟の中へ足を運ぶこともできるだろう。お菓子を紫龍に渡して私が魔王であったことを話すだけだ。
懸念点としては二人が目覚めることと、魔族が襲撃してくることだが、この森には魔族の気配を感じない。ここまでの道中でもスライム一体としか出会っていないのが何よりの証拠だ。
「一番負担のかかる時間帯で……申し訳ありません」
「問題ない。それでは頼む、フウ」
ギルマスの低い声に応じて、フウは火の近くへと行くと地べたに座った。私はこの討伐が始まってからの事を思い出す。フウは荷物を持ったまま見張りをするのだ。他の冒険者は荷物を適当なところに集めているため、忘れていたが、警戒心が強いのだろうか?
自然と、フウがマジックバッグをどこかに置いてくれれば、それだけでよかったのだが、これでは私の作戦が崩れてしまう。
夜が深くなり、隣にいたギルマスが静かに眠りにつく中、私は一人、寝床を抜け出した。焚火の近くにいるフウに気配を殺したつもりで近づく。こうしてみるとフウは隙が無いように見える。やはり他の冒険者とは一線を画すようなそんな存在だ。それでいてBランクというのも珍しい。
「どうかされましたか? シュガーさん」
私がいることに気づいていたように彼の声は静かだった。
「寝付けなくてな。あの龍、やろうと思えば我々を殺すことも簡単だったのではないかと考えていて」
我ながら、苦しい言い訳だった。
「それはそうですね。明日も早いでしょうし、今日はゆっくりしてください」
「あ、ああ」
そもそも、私はユーカではない。今はシュガーという別の仮面を被って、ここにいるのだ。マジックバッグの中に私が作った菓子があることが知られれば、その仮面は簡単に取れてしまう。たかがアメシスト王国に転移させてもらっただけの関係だとしても、ユーカ=シュガーとバレたくなかったのが本音だ。
何もできず、ただ病院の前で立ち尽くしていた、あの惨めな自分を。無力な私を、見透かされるのが怖いのだ。恥と後悔、そして……妙な懺悔のような気持ち。カホが襲われてからずっと抱いていた気持ちだ。何故だかこれをフウに知られるのが嫌だった。
「もしよければ、お菓子でも食べますか? 偶然ギルドで頂いたものなのですが」
「え?」
驚きに、思わず声が漏れた。まさか、その言葉が彼の口から出てくるとは思っていなかった。
「嫌いでした?」
「いや、そんなことはないが」
私は思わず彼から菓子を受け取り、静かに礼を言った。
「ありがとう、おやすみ」
「おやすみなさいませ」
私は菓子を布に包み、そっと胸元へ隠すようにしまい、寝床へと戻った。後は、時が過ぎるのを待つだけだ。
◆
フウの見張りが終わり、ギルマスとの交代の時間が訪れた。冷気が薪の火を低く揺らしている。
「フウ、交代の時間だ。交代しよう。しっかり寝て魔力を回復させるんだぞ」
焚き火の傍に立っていたギルドマスターがそう声をかけると、フウと呼ばれた青年が静かに立ち上がった。
「分かってますよ、それではおやすみなさい」
控えめな声でそう応じた彼は、颯爽にその場を後にしようとする。するとギルマスが彼の肩を叩いて止めた。
「何だ?そんなに寝たかったのか?嬉しそうな顔して」
ギルドマスターが肩をすくめながら笑う。すこしからかったような口調だ。フウは少し視線を落として真顔に戻る。わずかにまぶたを伏せたまま、「そうですか?」と短く返した。