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16話

 意外だった。ハルトもショウゴも、私がこの町を離れることについて、特に理由を尋ねたり深く聞くことは無かった。


 確かにガーネット王国に転移した時から、彼らとは深く関わってきたわけではない。だからなのか、それとも単に、私がどこに行こうと彼らには関係のないことだと思っているのか。カホがいないだけで、これほどまでに空気が変わり、居心地の悪さを感じながら、私はゆっくりと席を立った。


 件の大型討伐は、本日昼から、魔族領に入り、調査が始まる。私は簡単な身支度を済ませた後、ギルド共有のスペースに赴いた。魔族領に入る前に、やっておかねばならないことがあったからだ。


 私は今回の討伐対象である龍がかつての臣下だったとした場合を想定していた。今の私を見て、彼らは本当に私が“魔王”の生まれ変わりだと気づくだろうか?見た目はただの人間で、魔法も使えない。そんな私が「魔王だ」と言っても、信じる者などいないだろう。


 臣下の龍である紫龍は、私の作る菓子が好きだった。あの味を覚えているなら、思い出してくれるかもしれない。安直かもしれないが、好物を知る者はそういないだろうし、この味を再現できるのはそのレシピを知っている者だけだ。


 食堂による前に下準備していた生地を取り出し、牛乳や卵を混ぜて作った液を生地に流し込む。この世界にはオーブンレンジは無いため、焼き加減をしっかり見ながら、私はお菓子を作った。


 このお菓子の欠点といえば、日持ちがしないことだろう。夢中で作っていた為、すっかり日持ちがしないことを忘れていたのだ。


 私は途方に暮れた。収納魔法という自由自在に物を収納でき、中に入れた物は腐らないという保存機能もついた実用的な魔法があるのだが、今の私には魔法と縁がない。その魔法を代用したマジックバッグを手に入れれば話は別なのだが、マジックバッグは相当な値段が付けられているとも聞く。


 私が悩んでいるうちにお菓子の甘い匂いが漂い始め、他の冒険者がこちらをちらちらと見ている時、厨房の扉が開いた。


「何か、作っているのですか?」


 声をかけてきたのはフウだった。集合時間が近いのだろう。腹ごしらえか、あるいは匂いにつられたのか。


「あ、ああ……」

「食べても良いでしょうか?」

「味の保証はしないけど」


 フウはためらいもなく、一切れを手に取って口へ運ぶ。その顔に一瞬、柔らかな笑みが浮かんだ。


「美味しいですね。どこでこの料理を?」

「以前、教えてもらったんだ。……フウはなぜここに? 確かにこの厨房は誰でも使えるが、料理を頼むなら店員に言うのが普通だろう?」

「こう見えても私、料理するんですよ」


 フウは軽く笑って肩をすくめた。


「大型討伐前に、色々と仕込んでいたので。それをマジックバッグに詰め込もうかと」

「……そうか。良ければ、これも持って行ってくれ」

「いいのですか?」

「ああ。少し余ったからな」


 マジックバッグを持っていないのなら、持っている人から借りればいいのだ。収納魔法と違ってマジックバッグは誰でも出し入れ可能である。隙を見てお菓子を出せばよい。


 私はギルドを出て、市場で帽子を一つ買った。顔が隠せる程度のつばの広いものだ。そして自室に戻り、衣類を何着か詰めた袋を背負う。私はふと自分の胸に着けていたガーネット王国のブローチに手が触れた。このブローチがある限りは、おそらく身分の高い人間と認識されているだろう。だが、私にとってのこれはカホをいち早くしっかりとした医者に見せるためのものであって、それ以上に濫用したいとは思っていない。私は、旅立つ前にショウゴ達の部屋へと訪れた。


「ショウゴ、ハルト?」

「ん?ユーカどうしたの?」


 ハルトが如何にも面倒そうな顔で扉を半開きにしてこちらを見つめている。


「ショウゴは?」

「カホの所じゃない?様子が見たいからとか。それで何の用?」

「このブローチ、預けておこうかなって。これがあれば変な扱いは受けないだろうし」

「金に困ったら売るよ。この真ん中に輝く石、高そうだし」


 ブローチの中心に埋め込まれた、光り輝く石を撫でた。光り輝く石はガーネットだろうか?


「それじゃあね」

「うん」


 ハルトの返事は短かった。何か言いたかったのかもしれない。でも、私の背中を押す言葉も、止める言葉も、どちらも出てこなかった。私はそのまま集合場所へと歩いて行った。


「いいか? この先は危険が隣り合わせの魔族領だ。自分の身は、自分で守ることを忘れるな」


 ギルドのマスターと思われる男が怒鳴るように告げる。参加する冒険者たちは冒険者証を提示していく。ランクB以上であることを示すということだろう。この冒険者証に顔写真がないのは幸いだったといえるだろう。


 そして私は、懐かしい魔族領の地を再び踏む。思ってもみなかった。こんな形で、再びこの地に戻ってくることになるとは。


 魔族領といっても、境界から500キロ以内には魔族はほとんどいないはずだ。それは、かつて私が行った政策のひとつだった。人間との争いを避けるため、人間族の領地から近い場所に縄張りを持っていた魔族と交渉して居住地を変えてもらったのだ。


 だが今、その政策が続いているかは分からないし、この世界が私の知らない時代なら、私の政策など無に等しい。魔族が人間の領地に出現したという事実が、それを証明していたように。


「スライムかっ!」


 深い森を歩いて数時間。時折、休憩をはさみながらも順調に魔族領を進んでいた。魔族とも特に交戦することなく、静かな森だった。だからなのか、急に目の前に現れたスライムを冒険者のひとりが容赦なく刃を振るった。魔族には人間のように老いて死ぬことはない。魔族の命を絶つには、魔族の心臓である魔石を砕くしかないのだ。


 まるで虫けらでも殺すかのように冒険者はスライムの死体から破片となった魔石を取った――。


「そこに隠れていたか……」


 前を歩いていたフウが、誰にともなく呟く。討伐隊は、静かに、だが確実に進軍を続ける。総勢十六名。いずれも熟練者のようだが、それでもこの沈黙には不安が漂っていた。


「思ったより魔族が少ねえな。スライム一匹だけかよ」

「いいことじゃないですか。無駄に体力使わずに済みますから」


 フウの隣で、男が軽口を叩く。その声がやけに耳についた。そして予定よりも一日早く、私達は例の洞窟の前まで来ていた。これまで出会った魔族はスライム一匹だけ。この状況は異様らしく、ギルマスは頭を悩ませていた。


「皆、魔力、体力は大丈夫か?」

「はい!」


 こうして私を含む十六名は洞窟の中へと足を踏み入れたのだった。

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