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15話

 俺の名前は鈴木将吾。つい最近まで、高校一年のサッカー部員として、レギュラーの座を勝ち取るべく、毎日練習をして過ごしていた。

 あの日、朝の教室。いつものように席に座って朝の始業を待っていた。そして急に眩い光に包まれ、目を開けると、そこは見知らぬ世界だった。俺の他にも、あの場にいた三人、真面目な学級委員の高橋、無気力な目をしているオタク気質の田中、そして、先日の席替えで俺の隣になったばかりの佐藤が巻き込まれたようだった。

 正直なところ、こんな異世界に連れて来られるなら、もっと気心の知れた仲間と一緒のほうが良かったと思った。普段教室でつるんでいた連中なら、もっとバカ騒ぎ出来た気もするし、何より心置きなく話せる。だが、現実はそう上手くいかない。挨拶を交わすか交わさないかくらいの希薄な関係でクラスメイトという接点以外何もない。


 おまけにこの異世界では言葉も通じないようだ。文化も違えば、俺らの常識すらも通用しない。そして何より衝撃だったのは、この世界が魔法に満ちているということだ。なのに、俺たちには何の力もなかった。元の世界に戻れるかも分からない状態で俺らはただ待っていることしか出来なかった。


 その日の夕方、田中は意外な一面を見せた。初めは影の薄い、ただのゲームオタクだと思っていた。彼はこの状況すら楽しもうと、明るく振舞った。その姿勢が、どこか俺の心を支えてくれていたのかもしれない。


 高橋と佐藤も、互いに会話を交わし、距離を縮めたようだ。別に親しい仲でもなかったはずなのに。そんなふたりの姿を見て、俺は少し安心した。この世界に来て、最も重要なのは「孤立しないこと」だと思っていた。お互い一人になりたいこともあるかもしれないが、助け合わなければ、元の世界に戻る以前の問題になると思っていた。


 そして、俺の怖れていることが起きた。


 高橋が襲われた。それがどんなに現実離れした光景であっても、目の前で起きたという事実は変わらない。俺は、その光景を、ただ呆然と見ていた。日本でも「どこか遠くの世界の話」というのはよく起こっていた。戦争や殺人事件、どれだけニュースで流れても、俺はいつも他人事だった。


 ――そして、流れるままアメシスト王国に来てから二日目の朝、佐藤は急に話を始めた。


「私、この町から離れようと思っているんだけど……」




 俺は、前夜、眠れずにギルドの中を目的もなく歩いていた。壁に貼られた板に刻まれた文字はひとつも読めず、人々の言葉も意味を成さなかった。それでも、俺は確かに見てしまったのだ。


「……ユーカ?」


 思わず名を呼んだが、佐藤には聞こえていなかったのか、反応は無かった。佐藤は、じっと壁面を見つめており、まるで別人のようだった。


 佐藤のことは、正直よく分からない。席が隣なだけで、それ以外に接点はなかった。必要最低限の会話は交わすものの、自分から会話の輪の中に入ってくることはなく、周囲と距離を作っているようだった。別に、それが悪いことだと思ったことはないが、底が見えない奴だとは思っていた。


 俺は部屋へと戻ると、ハルトに声を掛けた。


「……ハルト、まだ起きてるか?」

「うん、起きてるよ」

「カホは病院で手伝ってたって言ってたろ?それで襲われた。もしまた、あの魔族が現れたらと思うと怖くて、俺は何かできるような感じじゃない。こっちの世界に、いつまでいなきゃいけないのかも分からないしな」

「そんなに、《《元の世界》》が恋しい?」


 ハルトは何気なく俺に聞いた。声から悪意は感じられない。もう、半ば割り切っているつもりなのだろう。いつまでも戻れない可能性もある。だから、もう戻ることばかり考えるのを辞めたような、そんな顔だ。


「前に話したよな。俺、サッカー選手になりたかったんだ」


 俺は薄暗い天井を見上げた。


「昔、特別授業かなにかで、プロのサッカー選手が来たことがあってさ。弱小チームだったけど、一人ひとりに指導してくれて……それで俺、サッカーの事好きになったんだ。そのあと中学でサッカー部に入って都大会で三位になったこともあるんだぜ」


 俺は思い出す。幼いころから塾に通わされ、評価はいつも成績で決まった。勉強ができることは確かに誇るべきことだったかもしれないが、どこかで息苦しさを感じていた。そんな俺にとって、昼休みにクラスメイトとやったサッカーだけが、自由だった。だからこそ、サッカーの特別授業でさらにサッカーに引き込まれていったのだ。


 そしてプロの選手から声をかけられた。「センスあるね!サッカー選手になれるよ」――それはもしかすると、ただの《《社交辞令》》だったのかもしれない。それでも、その言葉が胸に残った。両親から褒められることなど滅多になかった俺には、それだけで十分だった。


 俺は夢を見た。俺も、あんな風になりたい。俺も、誰かに希望を与える人間になりたい、と。


 それから、月日が経ち、中学生活を俺はサッカーに捧げた。初めて親に願いをぶつけた。「サッカーの強豪校に行きたい」と。「勉強もちゃんと頑張るから、サッカーをもっと続けたい」と。


 そのとき返ってきた言葉は、「関東大会に出られるなら、考えてやる」というものだった。関東大会に出るための条件は、都大会で二位以内。つまり、準決勝を勝ち抜くことだった。


 だからこそ、俺は死に物狂いで練習した。勝ちたかった。自分の夢を、自分の手でつかみたかった。中学三年の夏、俺たちは都大会準決勝までたどり着いた。あと一勝。俺の夢見たサッカー人生は、この一戦で決まる。


 しかし、後半。スコアは同点のまま。残り時間はわずか三分。味方の一人が相手との競り合う中、サッカーボールは空しくも自陣のゴールへと吸い込まれていった。


 ……オウンゴール。その一点が、決勝点となった。


 試合終了の笛は、あまりに静かだった。何もかもが遠く感じられた。俺たちの夏は、三位という結果で終わった。夢は、手の届く場所で、音もなく崩れた。


 別に、誰かを責めたかったわけじゃなかった。オウンゴールをした奴を指さして非難するような、そんなつもりは一切なかった。ただ「俺らがもっと点を取っていれば」とか、「あの時こうしていれば」とか、悔いばかりが頭の中を回っていた。


 ……けれど、そいつは違った。俺がこの大会にすべてを懸けていたことを、誰よりも知っていたから。だからこそ、勝手に責任を感じたのか――サッカー部をやめてしまった。俺と顔を合わせることもなくなり、話す機会もなくなった。そして遂には学校にも来なくなり、引きこもったまま卒業して……今どこで何をしているのかも分からない。


 あのとき、俺はどう声をかけるべきだったのか。何が「正しい言葉」だったのか。いまだに答えは見つからない。だけど一つだけ、確かなことがある。俺は後悔した。胸が潰れるような後悔をした。……だから、もう二度と、あんな気持ちにはなりたくなかった。悔いのない人生を、歩みたいと願った。


「俺にとって、やるべきことが残ってるんだ。だから、戻らないといけない」

「それが普通だよ。もう夜遅いし、おやすみ」


 ハルトはそう告げると、布団をかぶった。



 そんなことを思い出しながら、俺は目の前に座る佐藤の話を聞く。


「え……?」

「その間、カホのこと、よろしくお願いします」


 このままだと、俺たちはバラバラになる。カホのように、また誰かが襲われて――取り返しのつかないことになるかもしれない。だが、俺には、佐藤の決めたことを無理やり引き止める勇気がなかった。


「ま、まあ……一人の方が落ち着くってこともあるしな」


 まただ。また、俺は自分を守ろうとしてしまった。誰にも嫌われたくなくて、人を傷つけたくなくて曖昧な言葉でごまかした。あのときと、まったく同じだ。「気にしなくていい」「大丈夫」

 そんな無責任な言葉が、どれほど相手を傷つけていたのか――その重さを知っているはずなのに。


「ユーカがそう決めたなら、いいんじゃない。俺らに止める理由もないしさ。でも……これだけは忘れないで。俺らは魔法が使えない。無力だってこと」


 ハルトは優しく佐藤の背中を押した。


 それが正しいのかどうかなんて、分からない。けれど、俺にはハルトのように冷静に話すことすらできなかった。佐藤は、自分なりにこの世界と向き合おうとしているのに。俺はまだ、何ひとつできていない。――誰も、もう失いたくないのに。


 俺らはそのまま解散した。俺はふらりと街に出る気にもなれず、隣接した病院に足を運んでいた。高橋は未だに眠り続けている。魔法とかはよく分からないが、俺もこの世界に向き合わなくてはいけないんだろう。


「こんにちは。あなたは彼女のお友達ですか?」


 その時、俺の背後から背筋が凍るような空気を感じた。その声は耳から伝わる情報ではない。頭に直接語りかけているようだった。


「えっと……そういう感じです」


 何故だか分からないが、俺は振り向いてはいけないような、そんな気がした。

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