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12話

 私は街の中心に位置する石造りの建物へと足を運んだ。外壁には長年の風雨に晒された痕跡があり、時の重みを物語っている。そこは、冒険者たちが依頼を求めて集う場所、ギルドと呼ばれる場所だった。


 重く軋む扉を押し開けると、かすかに濃く淹れられた麦酒の香りが鼻を突いた。分厚い革の鎧に身を包んだ男たちが言葉を交わしている。


 私が魔王だった頃、一度だけ擬態の魔法で人間族の地を訪れた際、この場所の存在を知った。冒険者たちは魔力量と魔法適性に応じてランク付けされ、そのランクによって魔族領を散策する範囲が厳しく規定されている。ギルド側としては、無謀な死者を出さぬための最低限の対策なのだろう。


「少し、時間を頂けるか?」


 重々しい声をかけた私に、カウンターの内側にいた若い職員は目を瞬いた。清潔な真紅のチュニックに身を包み、まだ二十歳そこそこと見えるその青年は、かすかに警戒した目でこちらを見上げた。


「はい、どうされましたか?」

「アメシスト王国まで、最短でどれほどの道のりだ?」

「徒歩であれば、そうですね、七日ほどでしょうか。ただし街道を外れず、天候が崩れなければの話ですが」

「七日か……」


 呟いた声は、低く自分の胸の内に沈んだ。カホを抱え七日間も歩き続けることを想像する。


「ありがとう」


 私は礼を述べ、カウンターから身を離す。無機質な石壁に沿って設置された掲示板には、依頼が書かれた木の板が掲げられていた。


 ふと目に留まったのは、アメシスト王国のギルドが出したという討伐依頼だった。大規模なものらしく、内容は曖昧だが、Bランク以上の冒険者を求めていることからも相当な魔族なのだろう。


「アメシストに行きたいのですか?」

 声がした。柔らかいが、どこか鋭さを含んだ響き。私は振り返る。そこにいたのは、昨日魔族を討伐した男だ。


「昨日は……ありがとう。えっと――」

「フウです。冒険者をしています。あなた様は?」


 フウと名乗ったその男は、薄く黄緑がかった髪に同じ色の瞳でまっすぐ私を見据えていた。その眼差しには揺らぎがなかった。曇りのない真緑の光。それが却って、仄かに不気味でもあった。


「ユーカだ」


 私が名乗ると、フウはわずかに目を細めた。


「ユーカ様、ですね。私はこのアメシスト王国での大型討伐のために向かうつもりなので、もしよろしければ、ご一緒にどうでしょう?」


 彼はそう言って、掲示板の一枚を指差した。他が木の板に書かれているのに対し、この依頼書だけは羊皮紙に紫色の印が押されている。よく見れば報酬も他の依頼と比べてかなり高い。


「……私は、一刻も早くアメシストに向かいたい」


 言葉に滲んだ焦燥に、フウは頷いた。彼の身なりは簡素だが、昨日、瀕死のカホや子供たちを救ったのは彼だ。その事実だけで、彼への疑念をすべて捨てることはできないが、少なくとも敵意はないだろう。


「転移魔法が使えますので、徒歩なんかよりずっと早く着きますよ。私がこの国に来たのも、アメシストのギルドで緊急指令を受けて、転移してきたからなんです」

「転移魔法、か……」


 この地からアメシストまでは、歩いて七日。だが転移なら、一瞬でそれを飛び越えられる。


「頼めるか?と言いたいところだが、転移魔法は重量や距離に応じて魔力量を消費すると聞いたことがある。四人を運ぶのは可能か?」

「ええ。アメシストまでならば十分可能です。さすがにダイヤモンド帝国のような広大な国全域を跨ぐとなると難しいですけどね」


 そう言って、彼は微笑んだ。それは昨日の病院で見せた顔とは異なる、ほんのわずかに緩んだ表情だった。その声の奥に、何かを隠すような静けさがあった。


「金は……いくら出せばいい?」


 私の声は、どこか硬かった。フウがこちらに穏やかな目を向ける。


「大丈夫ですよ。私も、ちょうどアメシストに向かうところだったんです。準備ができたら、ギルドにお越しください。」


 淡々とした口調だった。見返りを求める様子はなく、その眼差しは曇り一つない。――それが、かえって奇妙だった。だが今はそれにすがるしかない。私はその厚意に甘える形で、アメシストへの同行を決めた。


 そう決めたからには急がねばならない。ショウゴとハルトに伝えよう。城の石畳を急ぎ足で駆け抜け、自室へと戻る途中、冷たい風が、背筋をなぞる。扉を開けると、部屋の中はざわついていた。


「……これは、魔法なのか?」


 誰かが呟いた。声の主は城の神官か、あるいは魔導士だろう。カホの寝台を囲むようにして、数人の人々が佇んでいる。


「ユーカ!カホが……っ!」


 ショウゴが掠れた声で言った。頬は強張り、目は恐怖に揺れていた。


「分かってる……」


 私は短く返した。見れば、ハルトもいた。立ち尽くす彼の傍らで、黒い靄が薄く空気を揺らしている。どうやら――私が外に出ていた間に、また昨夜と同じような現象が起きたのだろう。


「ショウゴ、ハルト。一度支度をしてきて。この国じゃ、もう何もできない」


 私は静かに言った。その言葉には諦念があった。信頼ではなく、見切りとしての言葉。もはや、ここは安全でも平和でもないのだから。二人は戸惑いながらも頷き、部屋を後にする。


 私は深く息を吸い込んだ。

「アメシストに向かうことにした。運よく、冒険者が転移魔法で連れて行ってくれるらしい。そこで、ひとつ頼みがある。……私たちは異邦人だ。ガーネット王国の後ろ盾があると良いのだが。何でもいい。証を用意してくれ。それぐらいはできるだろう?」


 沈黙が落ちた。ほんの数秒、石造りの壁がその言葉を反響させてから、女が震える声で答えた。


「……言葉、通じていたのですか?」

「まあ、詮索はやめてくれ。こちらとしては、一刻も早く、元の世界に戻りたいだけだからな」


 それは本音だった。私はカホが購入した服を簡素な布袋に詰めた。またこの服を着たカホが見たい。カホが喜んでいる姿を心から見たいのだ。


「……分かりました」


 やがて一つの小箱を取り出し、私に手渡した。


「こちらは、ガーネット王国の紋章が刻まれたブローチです。これは、王家が認めた者にのみ与えられる印。このブローチをお使いください。それと……心ばかりですが、金貨も。アメシストは冒険者の国。この国よりは、遥かに守りは強固なはずですから」


 私は黙って頷き、王女からブローチと金貨の袋を受け取った。指先から伝わるその重さに、妙な現実味があった。その後、ショウゴとハルトと合流した。カホの身体を慎重に背負い直したショウゴが、前を歩く。私は後ろからその姿を見守る。


「それにしてもよくアメシストまで転移させてくれる冒険者を見つけたな。案外、切羽詰まってたら、伝わるもんなのかもな」


 ショウゴが、そんなことを呟く。


「……たぶん、そうだと思う」


 その言葉に、どれほどの意味が込められていたか。私は答えず、ただギルドへの道を踏みしめた。ギルドの扉を開けると、フウが待っていた。


「これで全員ですか?」


 私は小さく頷いた。


「転移魔法」


 次の瞬間――。室内であるにも関わらず、風が渦を巻いた。衣服が膨らみ、髪が宙を泳ぐ。空気がねじれ、重力が歪む感覚。息をする暇もなかった。気づけば私たちは、まったく知らぬ場所に立っていた。

第1章、これにて完結です。

ガーネット王国とはさよならをして一行はアメシスト王国に向かいます!

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