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11話

 騒動を聞きつけたのかどうかは分からない。だが、気づけばショウゴがそこに立っていた。ショウゴは私たちの方を静かに見ている。


「なんだか、騒がしくて来てみたんだが、なんかあったのか?」


 その声は、いつもより低く、慎重に様子を伺うようだった。


「魔族が病院に出たらしい」


 喉の奥が、ざらつくように痛んだ。言葉にするのも、どこか躊躇われた。かつて、私が魔王だった頃とはもう違う。今の魔族は、理屈ではなく恐怖を植えつける存在で、人間たちの語る“敵”そのものだ。魔族の事を悪く言いたくはなかったが、起こった事実をありのまま伝えた。


「とりあえず、カホには目立った外傷はない。でも意識が戻らないんだ」


 私は彼女の顔を見た。眠っているように見えるその横顔には、しかしどこか緊張が残っていた。


「怖い思いをしたんだろうな。とりあえず、城までは俺が運ぶよ」


 ショウゴは自然な手つきで、カホの身体を背負った。彼の背中に預けられた彼女は、小さく、そして壊れそうに見えた。


「ユーカも戻るぞ。魔族がまだ近くにいるかもしれない」

「その前に、少しだけ寄りたいところがあるの。先に戻っていてくれる?」


 私の声は、自分でも驚くほど穏やかだった。


「あ、ああ。……気を付けろよ」


 ショウゴは一瞬だけ私を見たが、それ以上は何も訊かなかった。ただ静かに、カホを背負って夜の町へと消えていった。


 私はその背を見送ってから、ゆっくりと踵を返した。誰にも気づかれないように、病院の扉へと近づく。


 中では、既に片づけが始まっていた。魔導士たちと町の人々が協力して、散らばった破片や、壊された家具などを運んでいる。部屋の隅には白布をかけられた遺体が並べられていた。壁の至るところには、鋭い爪でひっかいたような斬撃の痕が残されていた。


 私はしばらく、誰にも声をかけられず、ただその場に立ち尽くしていた。鼻をつく血の匂いに吐き気を催しながら。


「……やっぱり、おかしい」


 吐き出すように呟いた。


 ブラッドウルフ――あれは闇属性の魔族だ。けれど、どうやって病院の中に現れた?闇属性の魔法では、転移するような魔法は存在しない。転移魔法には風属性のものと光属性の物があるいずれにせよ、非常に高度な魔法であることは間違いないが、適性を持たないブラッドウルフが転移できるはずがないのだ。


 誰かが手引きした。そう考えるほかない。


 その瞬間、背筋を撫でるような冷たい風が吹いた。何かが、見ている――。


 言葉にならない悪寒が、喉から胸へと這い上がってくる。私は思わず振り返った。けれど、そこには誰もいなかった。ただ、暗く沈んだ廊下と、静けさだけが残っていた。


「……気のせいか」


 そう呟いて、私は病院を後にした。


 やがて、自室に戻ると、そこにはショウゴとハルトがいた。カホはベッドの上に横たえられ、薄い毛布がかけられている。


「ユーカ、カホなんだけどときどき、苦しそうな顔をするんだ。とりあえず、薬?みたいなのを渡されたから、それを飲ませたんだけど」


 ショウゴが困ったような顔で言った。ハルトも沈黙したまま、カホの事を見ている。


「この国の病院は……あそこだけらしい」


 私の言葉を最後に、部屋が静かになった。重い空気が天井から垂れてくるようで、誰も何も言えなかった。今言うべきことではなかった気もするが、後々分かるよりはいいだろう。


 すると、唐突にドアをノックする音が響いた。


 私は立ち上がり、ゆっくりとドアを開けた。


 そこにいたのは、転移初日に私たちを起こした、あの女だった。変わらぬ落ち着いた態度で、しかしどこか疲れた表情をしていた。


「この度は、本当に申し訳ございません。あなた方を元の世界へと戻す方法も分かっていないというのに、このような事態を招いてしました」


 彼女は深々と頭を下げた。背中に緊張が走るほどの、心からの謝罪だった。


「この国で回復魔法を扱える者は、もう残っていないのです。もし、どこか怪我をしているというのであれば隣国のアメシスト王国が一番近いでしょう」


 アメシスト王国――魔族領に隣接する国。それだけに備えも厚く、回復魔法が使える者もおおくいるのだろう。


「それでは……失礼いたします」


 彼女は再び頭を下げ、足音も立てずに去っていった。私はベッドに近づき、静かにカホの顔を覗き込んだ。


 もし、目覚めなかったら。その考えが脳裏によぎった。不安は息をするたびに形を変え、胸の奥に沈殿してゆく。重く、冷たく、言葉にできないものとして。


 その夜、私はカホが眠る横で眠ることができなかった。灯りを消し、無音の空間に沈んでも、まぶたの裏に浮かぶのはカホの顔だった。


 私は静かに立ち上がると、窓辺に寄った。外を見ると、そこには雲が立ち込めて月を覆い隠していた。私が魔王の時は人間族と魔族が、いつか分かり合えると信じていた。その信念を持てたからこそ、私は刃を収めた。血を流す争いの末に残るものが、失われる命でしかないのなら、誰かがその連鎖を断ち切らなくてはならい。だからこそ、戦うのを辞めた。



「あああああああ」


 突き刺すような悲鳴が、沈黙を切り裂いた。


「カホ!?」


 私はベッドへ駆け戻った。ベッドの上で、彼女は苦悶に身をよじらせていた。その身体を包むように、どす黒い靄が現れる。まるで生き物のように蠢き、彼女を呑み込もうとしていた。


「こんな……魔法、知らない……」


 息を呑む。私はかつて数え切れぬほどの魔法を操ってきた。六属性のあらゆる魔法を。唯一、私にできなかったのは、回復や浄化の類。だがそれでも、他の全てには精通していた。


「カホ!」


 靄が晴れたとき、彼女の体温は恐ろしく低くなっていた。額に触れた指が、凍りつくように震える。生きてはいる。だがその命は、今にも消え入りそうだった。胸がチクリと音を立てるように痛んだ。


 ――私に、彼女を守れる力があるのか。

 ――今、この世界で、私の味方など残っているのか。


 四天王の顔が浮かぶ。私が死んだとき、彼らはまだ生きていた。忠義に篤く、誰よりも私に従っていた者たち。だがそれは、私が魔王だったからだ。今の主は、私ではない。もし彼らがまだ生きていたとして、私は、彼らから見ればただの人間の一人なのかもしれない。


「アメシスト、か……」


 翌朝。夜明けは静かに訪れたが、私の中に夜は明けなかった。カホを一人にするのが怖かった。

 だが、いつまでも膝元に縋っているわけにもいかない。私は、内心のためらいを押し殺し、城に仕えている人間にカホの世話を頼み、外へ出た。


 町は、異様なほど静まり返っていた。昨日の襲撃があったからだろう。人の姿、人の声。何もかもが無かった。まるで人々がいなくなったかのように、寂れた空気が漂っていた。私の中に、言いようのない不安が広がっていた。それでも私は自分の身体に鞭打つように足を動かした。


「カホを助けないと」

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