SS/富士の樹海の■■さま
——例えば、それは或る樹海のお話。
自殺願望。自らを殺したい、という願い。望み。自分を殺すと言う行為にさえ罰が与えれていたとするなら、私はこの選択を取らなかったのだろうか。そんな事を今更考えながら、私は樹海を歩く。
樹海、というのは富士の樹海。まあ正しくは青木ヶ原樹海なんだけど、そちらの方が馴染み深いし、何より有名だし。
富士の樹海といえば、『自殺の名所』なんて悪評が特徴だろう。……特徴というと、悪いかもしれないけど。
ここはいろいろと『曰くつき』の場所なのだ。コンパスが狂うだとか、首を吊ってる人間がいただとか、さっきまで人間だったモノの残骸があったとか。あまりいい噂は聞かない。
まあ、これから自殺する私にとっては、どうでもいいこと極まりないが。
私が自殺する理由。生きる希望を失った経緯。
溜まりに溜まった不満が爆発したというか……私のことを虐める奴らが一線を越えたというか……。
これから死ぬ私が、独白なんてしても仕方がない。
大人しくどこで首を吊るかとか、考えよう。
樹海の空気は美味しい。腐り切ったあの学校とは大違いだ。腐ったみかんが一つあると、他のみかんも腐っていく。私の通っていた学校は、そんな腐敗物で満ちていたんだと思う。
……ふと、立ち止まる。死ぬことに怖気ついたからじゃない。ちょっと、気になるものが視界に映った。
私はその、『気になるもの』が視界の中央に来るように、身体の向きを変える。
「ほんとに、いるんだ」
首吊り死体。顔は歪んで、もはや男か女かすらもわからない。片手には———写真だろうか、幸せそうな4人家族が映っている。足元には土で汚れた紙が一枚、無造作に置かれている。私はそれを手に取って、土を払う。
『身勝手な父さんでごめん』
汚れが染みついたルーズリーフには、誰にも届かないのに、誰かに届けようとした懺悔が記されていた。
私はそっと紙を足元に戻して、その場を立ち去る。
私は、遺書を書くつもりはない。どうせ誰にも伝わらない。
遺したって何が変わるわけでもない。何より、そんなこと求めていない。———自己満足じゃん、と悪態をついて歩みを進める。
首吊り遺体。孤独な父親の元を去ってから数分経ったぐらいだろうか。私はある違和感に気づいた。
「……誰か、みてるの?」
誰かに見られているような、視線を感じるのだ。何回も周りを見渡したりもしたが、人間や動物も見当たらない。気配もない。
「まさか……幽霊」
そう思って、思いっきり振り返る。
私がこれまで歩いてきた道。足跡が残る土の地表。
さっきまで誰も、なにもいなかったはずのそこには。
妙な生き物がいた。基本造形こそ蜘蛛のように見えるけど、細部が明確に違う。
まず、目がおかしい。4対8つ眼が基本のはずなのに、人間みたいに眼が二つしかない。しかも焦点があってない。脚の部分……はどうみても人間の脚だ。曲線美が美しい脚。男の鍛えられた、剛毛な脚。子どものような細く、白い脚。……統一感がなくて、気持ち悪い。あまりにもアンバランス。
「ひっ……!」
思わず声が漏れて、一歩後退りしてしまう。その動揺を嘲笑うように、『蜘蛛』がキキ、キキッ、と飛び跳ねる。
地球上の生物とは思えない造形。目の前の怪物は、ゆっくりとこちらに近づいてくる。その距離10m。その差を埋めるべく、未知の脅威はこちらへ進撃してくる。
「———ッ!」
反射的に脚が動く。
———あれに捕まってはいけない。死にたいという理性を、生存本能が上回った。私はその本能に便乗して、蜘蛛から逃げる。標のない森の中をあてもなく、ひたすらに、走る。走る。走る。
「———あっ!」
どしん! と樹の棒でつまずいた私は、思い切り地面に身体をぶつける。受け身なんて取れるほど、精神的余裕がない。
私はヤツとの距離を計ろうと後ろに振り返ろうとする。
けど。
「………え?」
足が動かない。それどころか、感覚がない。テレビの電源を消したかのように、プッツリと。私の身体は、私の命令を聞かなくなっていた。
息が荒くなる。これじゃ、あいつから逃げられない。
「———」
視線を感じる。確かめたくない———私は最後の力を振り絞って、ゆっくりと振り返る。そこには、
ワタシの アタマに ■を当てた 怪物が——
ボキっと、私の首が折れる音を、確かに聞いた。
★★
「いやあ難儀ですよねえ、この国は。救いなんてあったもんじゃない。殺してもらうのもダメ、殺すのもダメ。そんなんじゃあ、どん詰まりってもんです」
黒い髪のオールバックの男は、苦笑を浮かべながら言葉を紡ぐ。
「仕方ないだろう。国の方針だ。……いや、偉大なるお方の方針と言った方が、正しいか」
その呟きに、黒いコートに身を包み、顔を帽子で隠した細身の男が言葉を返す。男は、隣で■■に貪られる■■だったものに、視線を向ける。
「今の日本国民は『あのお方』の所有物だ。自死は許されん。天命を享受するのであれば、その最期は『あのお方』の慰みものとして。自死するのであれば、『あのお方』の眷属の餌として。人間は、意思決定の権利すら、あの日奪われたのさ」
「言うなら、これは罰なのさ。『あのお方』の意向に逆らった、ね」
細身の男はポケットから取り出したタバコを口に咥えて、ライターで火をつけようとしながら語る。
「偽装工作は必要ねえな。この前の男は、眷属様がお気に召さなかった。一般人にバレないように、と隠蔽が必要だったわけだが———今回のは、特段うまいらしい」
——キキ、キキ、と不気味な笑い声が樹海に響く。その鳴き声は、久しぶりにやってきた高級品に対する興奮を表すように。『眷属様』の樹海での昼食は、こうして幕を閉じた。