生きてるだけで公害
そこは荒廃した夜の街倉庫―――
ひとりの男が血に染まったナイフを片手に、血だらけの死体を見つめている。
「これは…、俺がやったのか…?」
男は金髪のポニーテールに、ゴツゴツした堀の深い顔をしていて、レザージャケットにレザーのパンツ、革靴、といった身なりだった。
そして、男が対峙している血だらけの死体もまた、男と全く同じ容姿・服装・姿・かたちをしていた。
――
時を遡ること一時間前、その男(名をクリスと言う)はあるコーヒーチェーン店でマスターであるベスと談笑していた。
ベスは上機嫌で、
「クリス、お前ががもう一人いれば、お前さんの殺しの仕事も少しはラクになるのにな」
クリスは昔ながらの雰囲気を持った、このコーヒーチェーン店の店内を見渡して、
「俺を殺したがる奴らの人数が倍に増えるだけだ」
と、軽くあしらった。
大笑いするベス。
「じゃあ、勘定はツケといてくれよ」
と、クリスはこの店から出るようだ。
「待て、クリス」
クリスは不審そうに、
「なんだ?ベス」
ひそひそ声で、
〝あの窓際に座っている背の高い、黒ずくめの、サングラスの男がいるだろう?〟
クリスもひそひそ声で、
〝ああ、気づいてた。ずっと俺らを監視してたな〟
〝そうか、お前のことなら大丈夫だと思うが、殺し屋稼業には敵が多い、十分気をつけろよ、じゃあな〟
〝ああ〟
と、言って、クリスは店を出た。
外は雪が降り始めていた。この港町もそろそろ白銀の世界を迎える時だな、とクリスが感慨にふけり始めていた、その時だった!
「動くな」
振り返らなくても分かる。さっきの怪しい黒ずくめのサングラス野郎だ。分かりやすく、銃を背中にくっつけてきた。
「何の用だ?」
男は、
「振り返るなよ、そして口を開けろ、今すぐにだ」
クリスは何の抵抗もできないので、大人しく口を開けた。
綿棒のような物で口の唾液を採取された。
「用は済んだ。じゃあな」
男は瞬く間に雪の降る繁華街に消えていった。
クリスは茫然としていた。
「俺のDNAでも取ろうってか?」
先ほどまで飲んでたコーヒーショップの扉が開き、
「クリス、何された?」
ベスは心配でたまらないように言った。
「唾液採取、かな」
「ああ?」
「殺し屋も、もう引き際かな」
「ああ、あんなワケの分からん奴にワケの分からんことされるくらいなら辞めちまえ」
「就職は斡旋してくれるのかな?」
「それはまた別のはなしだ」
二人は大笑いした。
「まあ、俺はこれからは殺しをやらねぇ。決めたよ、ベス」
「そうか」
そうして、クリスは妻のトローンの待つ自宅へと向かった。
その建物の構造は約3LDKで、部屋の中は、妻の趣味の、クマのぬいぐるみで埋め尽くされている。
「お帰り、クリス」
「ただいま、トローン」
「俺は明日からは無職だ。新しいカタギの仕事を探す」
トローンは意外にも驚いた様子を見せず、
「そう、分かったわ。いつか耐えられなくなってやめるって言いだすと思ってたわ。だって、あなたはほんとうは優しい人。」
「優しい奴が500人も殺せると思うか?」
トローンは笑って、
「でも、私にとってはいつまでもどこでも優しい人。」
そして、トローンはクリスのほっぺにキスをした。
そのあと、クリスは何の気なしに、テレビのスイッチをつけた。するとーー
〝連続殺人事件発生!連続殺人事件発生!犯人は、殺し屋のクリス・ノーマンだと思われます!繰り返します!連続殺人事件発生!連続殺人事件発生!〟
二人は仰天した。
「クリス、これ、やったの?」
「いや、おれは知らない。だがー」
「この映像に映っているのは紛れもなく俺だ!」
「どういうこと?!」
「俺が知りたい。今からこいつを止めてくる!!」
「クリス~」
クリスは建物から飛び出て、殺人事件の解明に動き出した。真っ先に向かった場所はそう、ベスのコーヒーショップだ。
「ベス!べス!開いてるか?」
返答はない。
「入るぞお」
クリスは目を疑った。そこにはーー
血だらけのベスの姿が!
急いで駆け寄ったクリスは、
「おい!べス!しっかりしろ、ベス!誰にやられた」
ベスは銃弾を何発か食らった模様で、もう喋れない状態のようだったが、最後のチカラを振り絞って、指に着いた血で、床に、こう書いた。
〝お前〟
そして、ベスは息をひきとった。
「べスーーーーー!」
クリスは叫べる限りの大声で叫んだ。ベスは、人見知りの一匹狼の殺し屋であるクリスにとって、妻のトローンの次に信頼できる人間だったからだ。
「しかし、〝お前〟と書いたということは、例の俺と全く同じ容姿をした殺人鬼かっ。」
するとーー
〝ジリリリリン!〟
店の電話が鳴った。
クリスは少しためらったが、電話に出た。
〝ほ~ほほほほほ。どうだね、君が今までしてきたことの酷さ、冷酷さに気付いたかね?〟
「誰だ?!」
〝黒ずくめの男、とでも名乗っておこうかな。もう薄々お気づきかとも思うが、殺人を犯してるのは、君のクローンだ〟
「あの時の!唾液を採取したワケが分かった!お前、今どこにいる?姿を現せ!」
〝私は殺し屋である君に、過去に私の友を何十人も殺されて、心が痛いのだ。謝ってくれればクローンを止めよっかな~?〟
「謝る!謝るからクローンを止めろ!」
〝その言葉、忘れるなよ。クローンは街外れのB区画倉庫の中にいる。これ以上君に降りかかる罪が大きくならぬうちに殺せ〟
〝では、また。ほ~ほほほほほ。〟
電話は切れた。
しゃにむに倉庫へ向かうクリス。早く行かなければ!焦る気持ちだけが先行して足がからまったように鈍足に感じられた。
そして倉庫に着いた。
ギィィィ~っと倉庫の扉を開けると、
もう一人の〝クリス〟が立っていた。
「言葉はいらない。俺はお前を殺さなければいけない」
と、なんとクローンである〝クリス〟が言った。
意味が分からない。
「こいつは自分が本物で、本物である「俺」が、偽物だとでも言うのか。白々しいッ!!」
そして、クリスと〝クリス〟が銃を刺し違いに撃ち合った。
結果は――
二人とも全く同じ軌道、速度で同じ拳銃を同じタイミングで撃ったので、弾が互いの銃に当たり、互いの銃が吹き飛んだ。
こうなれば肉弾戦だ――
クリスと〝クリス〟は持っていた携帯ナイフを取り出し、お互いに切りつけようとした。
しかし、クリスと〝クリス〟はいったん動きを止め、冷静になった。
〝さっきの銃の撃ち合いからみて、これは刺し違いになり、お互い死ぬんじゃないかと〟
そう、クリスと〝クリス〟はお互い、思考まで一緒だったのだ。
しかし――
ある一点が〝クリス〟とは違う、と思い付いたクリスはためらわず、切りかかりにかかった。
結果――
相打ち。かに見えたが、
クリスには〝クリス〟にはないバディが居た。
それが妻のトローンだった。なんと、クリスが自宅を出た後、倉庫まで追いかけてきていたのだ。そして、クリスが〝クリス〟と対峙している間、クリスは横目に倉庫の二階で拳銃を構えているトローンを横目でちらりと確認していたのだ。
結果、刺し違いにはならずに、トローンによる発砲により、〝クリス〟のナイフが吹き飛び、クリスのナイフが〝クリス〟の脇腹を突き刺した。
「ありがとう。マイハニー、トローン」
「お安い御用よ」
そして、冒頭に戻る――
「これは…、俺がやったのか…?」
血だらけの〝クリス〟の死体を見て彼はそう言った。
そこに、黒づくめの男のアナウンスが聞こえた。
〝君は生きているだけで「公害」なんだよ。君の死こそ、この世の平和。さあ、自害したまえ〟
「ふざけるな!」
「俺は俺のために生きる!殺しも、…今ので最後にする」
〝ふざけてなどいないさ。どっちみち君の唾液から取り出したDNAは無限に増殖可能だから、私は君が死なない限り、安全な場所で君、クリスの殺人鬼コピーを無限増殖させるつもりだ。さて、どうする?〟
二階のトローンは、
「だめっ!!聞かないで!!」
クリスは、顔をしわくちゃにして。
「俺は、…俺は、…!」
クリスはナイフを見つめた。
トローンは絶叫して、
「クリス~~~ッ」
「さよなら、世界。このろくでもなく素晴らしい世界」
クリスは自害した。
自分がやってきたことのツケはいつか必ず返ってくる。
――それが〝この世の法則〟だ――