第1話 神父代理
俺は魔法が使えない。
おかげで人生二十年間、苦労ばかりの毎日だ。
この世界の魔法とは、手足を扱うレベルで必須なものだ。
それ故に、生活面での不便はもちろんのこと、社会的地位もほぼ無いといっても過言じゃない。
冒険者ギルドに入ることはおろか、まともな職に就くことも難しい。
そんな俺にも幸運だったことは、親代わりのマザーの教会で、神父代理として職に就けたことだ。
「神父様、私たち一家は借金で苦しんでいます。そんな私たちにも神の御加護はあるでしょうか?」
「はっきり言えば、無いでしょう。」
「そ、そんな…。一体何がダメなのでしょうか。」
「一方的に見返りを求める者に、手を差し伸べる神はいません。あなたがそれ相応の覚悟と行動を持てば、一家は救われるでしょう。」
「では、一体何をすれば良いのでしょうか。」
「何かをすれば良い、ではありません。目的の為にはどんなことでもするのです。その時初めて、神はあなたに手を差し伸べるでしょう。」
「…私は甘えていました。これからはどんなことをしても家族に尽くしたいと思います。神父様、ありがとうございました。」
仕事が終わると、食卓で晩御飯の時間だ。
マザーを始め、孤児達が卓を囲んで祈りを捧げている。
「シラス、祈りの時間には遅れないように。」
マザーがキッとこちらを睨む。
「悪い悪い。つい本がいいところで。」
急いで卓に座って祈り始める。
「アンナ知ってる!シラスってエッチな本ばかり読んでるから祈り方も知らないんだよね!」
食卓に笑い声が響く。
普段はしかめ面のマザーですら、少し下を向いて笑いを堪えている。
「お、アンナは物知りだな。ご褒美としてアンナの大嫌いなセロリをあげよう。代わりに俺の好きな鶏肉は貰うが。」
そう言って、アンナの鶏肉を食べると、大声で泣き始めた。
「あーあ、シラスが悪いんだ。ほら、私のあげるから泣き止んで。」
「僕のもあげる。」
俺の次に年長者のカリンと、一番年下のコリーが自分の皿から、鶏肉をアンナに分ける。
これじゃ完全に俺が悪者だ。
「…シラス?」
マザーからとてつもない圧を感じる。
「悪かったって。ほら、半分やるから。」
「…セロリもいらない。」
「それは俺もいらない。」
生意気なガキ達だが、俺はこの教会が嫌いじゃない。
「ところでシラス。食後に話がありますので、私の部屋にきなさい。」
「説教なら勘弁。」
「大事な話です。」
「はいはい。」
マザーにしては珍しく言葉がピリついている。
説教以外に考えられないが、それよりも重要な話とは何だろうか?
飯を食べ終わると、早速マザーの部屋に向かった。
ノックすると、お入りなさいと声がする。
部屋に入ると、マザーの隣にカリンも座っていた。
いつもは凛とした態度のカリンだが、その様子はどこかおかしい。
「話って何だ?」
「単刀直入に言うと、カリンの貰い手が見つかりました。」
「貰い手だって?どっかの家の養子にでもなるってのか?」
「…いいえ、彼女はモールス家に嫁ぐことになります。」
一瞬静寂が漂う。
「ふーん。俺の次に年長者とはいえ、十四の小娘に何ができるのやら。ましてや、あのモールス家で。」
モールス家。他の名家に劣るが、庶民とは格が違う魔法の才を持った家系。
兄弟喧嘩で今は弟しかいないらしいが、そいつらからは悪い噂しか聞かない。
町で見かけた好みの女や、気に食わないやつがいれば、権力と魔力をちらつかせて自分の家に連れ去り弄ぶ。
そこから帰ってきた奴は、人が変わったように憔悴し切っているという話を聞いたことがある。
そして、そんな庶民をゴミとしか思っていないモールス家が、わざわざ辺鄙な村の教会の小娘を名指しで嫁がせるということは異常な事態だ。
「カリンのやつ、外で何かやらかしたな。概ね、次男坊のお誘いを無視したとか。」
「引っ叩いたのよ。」
その言葉を聞いて俺は声を出して笑ってしまった。
「予想の斜め上をいくとは、流石カリンだな。」
俺の笑い声につられてか、カリンの強張っていた表情が少し和らいだ。
「…マザーに話した時は怒られたのに、笑うなんてシラスらしいや。」
マザーは溜息を吐くと、言葉を続ける。
「笑い事ではありません。教会は貴方達を預かっている身。貰い手がいれば引き渡すことが義務なのです。」
「それをわざわざ俺に言うってことは、引き渡したくないんだな?」
マザーは黙ったまま深く頷く。
教会の規則に反するということは、神に反するということ。
マザーの覚悟は相当なものではないことが分かる。
「オーケー。ちょっと準備するから、神父代理は暫し休みということで。」
そう言って俺は部屋を出て行った。
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「…マザー、魔法すら使えないシラスに何ができるんですか?危険に晒すだけで死んじゃうかも知れないんだよ!?私が嫁げば良いだけの話でしょ!?」
「…そうですね。彼は魔法が使えない上に性格も気まぐれで掴めない。そんな彼を家族の一員として迎えた私に間違いはありませんでした。」
「じゃあ尚更…!」
「いいえ、違いますよ、カリン。私は独りぼっちだった彼が恐ろしかった。彼の行く末が恐ろしかった。魔法すら使えない、ひ弱な少年とは思えないあの底の無い笑みがとても…とても…。」