第六話
翌日から、城の中は蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。
まず倉田政方、藤巻長広の両名は蟄居謹慎となった。
信成派であった重臣たちも、悉く政治の中枢から遠ざけられた。中には禄を削られ、武家としてはやっていけない者もいた。
変わって要職についたのは孝信派の家臣であったが、その先導者であった長広が退場したあとは、自然と若手が中心となった。
まとめるのはやはり、片山陣之介である。その功績は絶大であった。
ここまでの道筋をつけた政信は、間もなく内外に触れを出し、孝信に家督を譲り隠居した。
精神的な衝撃も大きかったのだろう、その体調は芳しくなかった。
家督を継いだ孝信は、信成を許さなかった。
新しい藩主は信成を剃髪させ、寺に蟄居謹慎させた。
初めは強硬に切腹させようとしたところを、父、政信の助命嘆願を渋々受け入れたというのだから、人が変わったようである。案外今回の事で、肝が据わったのかも知れない。
目まぐるしく変わる藩のなかで、伝三郎には何事もない。
「いずれは功に報いる。しばらく待ってくれ」
そう言った陣之介とは、しばらく会う時間はなかった。
伝三郎は日々、酒浸りであった。
「倉田政方が、腹を切った」
伝三郎が、久しぶりにあった陣之介からそう知らされたのは、いつもの小料理屋であった。
自宅で蟄居していた政方は、従容としてこれに従っていたが、ある日の朝、妻が様子を見ると、静かに割腹して果てていたそうだ。
伝三郎は暗鬱とした気分になった。どうあれ恩人には違いない。やはり、後味は良くなかった。
「殿は此度の事の詳細を、包み隠さず公儀に届け出るおつもりらしい。政方の首を添えてな」
「……結構なことだ。殿は名君になるのではないかな」
特に感慨もなくそう答えた伝三郎は、先日初めて話した主君の言葉を思い出した。
「おぬしが神谷伝三郎か。陣之介から話は聞いておる。此度の働き、まことに大義であった。おぬしがあの稲荷神社で何者かと斬り合わねば、陣之介との出会いはなかったやも知れぬ。儂は不思議と子供の頃から、あの稲荷神社が気に入っておってな。今でもよくあの神社で手を合わせておるのだ。ああ、そうだ。そなたさえよければ、あの耳は狐に返してやってもらえぬか。何なら儂が代わりに、金を出してももよいぞ」
「とんでもないことでござる。吉日を待って、狐殿にお返しいたす」
伝三郎は、恐縮しきりであった。
陣之介は伝三郎の杯に酒を注ぎながら、一息つく。
「まだまだ藩政が落ち着くには時がかかるだろうが、取りあえず道筋はついた。万事解決というわけだな」
「勝手に終わらせないでもらおうか。某を襲った黒装束の正体が分かっておらぬぞ」
「そうは言ってもな……倉田政方がもうこの世におらぬ以上、終わった話ではないのか?」
そう言った陣之介は、興味なさげな表情であった。
「ならばおぬしは、倉田政方の差し金だったと考えているのか?」
「で、あろうな。もしくは……」
「もしくは?」
「案外本当に、狐に化かされていたのではないか?」
陣之介は杯を重ねながら、豪快に笑った。
小料理屋で陣之介と別れた伝三郎は、その足で龍山の奉行所に向かった。
「最近、男の死体は出ておらぬか?」
知り合いの下男を見つけた伝三郎は、開口一番そう尋ねた。
あの日以来、辰吉は行方不明のままであった。
何となくふらっとここにやって来たのは、もし辰吉に裏があるのならば、もう消されているのではないかと感じたからであった。特に確証があるわけではない。
「これは神谷様……はあ、男の死体でございますか? 先月も含めると数十人おりますが……」
「今月だ」
「ああ今月なら、男は一人でございます。失礼ながら、御身内をお探しで?」
「いや、うちの使用人が行方知れずでな。奉公がいやで国に帰ったのならいいのだが、何かに巻き込まれていては憐れでな」
「ああ、そうでございましたか。しかし上がった死体は、御武家様の使用人のようなまともな輩ではございませんよ」
「何故分かる?」
「入れ墨の入った指のない、罪人でございますよ。流れてきたやくざ者でございましょう。見ていかれますか?」
「そうか……いや、よい。手間をかけたな」
奉行所を出た伝三郎は、何となく思いを巡らす。
(此度の黒幕は、片山陣之介ではないのか)
すべてが陣之介の思い通りになった今、何となくそんな疑念が浮かぶ。
そもそも伝三郎は、陣之介のことをよく知っているわけではない。
元々は伝三郎と同じ浪人で、家中随一の剣の腕を持ち、色男だが未だに妻帯もせず、女の噂も絶えない。
そんな他愛のない噂だけが、伝三郎の知るすべてであった。
政方は陣之介を公儀の犬だと言った。疑念が疑念を呼び、浮かんでは消えていく。
結局、陣之介は新参者で忠誠の低い伝三郎に近づいて、間者のように使おうとしただけではないのか。
あの黒装束の男が、陣之介であったとしたら……。
(もしそうであれば、俺は面子にかけても陣之介を斬らねばならぬ)
伝三郎は、鞘を押さえる左手に力をこめた。
城下町に戻ってから橋に差し掛かった頃、伝三郎はその男を見つけた。
「あっ! 旦那様……こ、これは……」
慌てて逃げる辰吉の先に、伝三郎が回り込む。
「申し訳ございません。何とぞ、お許しを……」
「別に怒ってはおらぬ。何故姿を消していたのか」
その問いに、辰吉はおずおずと答える。
「……飲み屋でうっかり狐の耳の話をしたんです、神棚の。旦那様を笑い者にするつもりはなかったんですが、酔っておりまして。そしたらその、すぐに話が広まってしまって……」
「それで?」
「こ、怖かったんですよ。旦那様は腕の立つ御方と聞いておりましたし……恥をかかされたと御手討ちになるのでは、と」
「……小指と狐の耳を取り換えたのは、お前ではないのか?」
「え?……何のお話で?」
伝三郎が顎に手をやり視線を落とした瞬間に、辰吉は逃げ出した。
「こら、辰吉!」
「申し訳ございません、旦那様。長の暇をいただきとうございます。御免!」
そう言った辰吉は、橋から空堀に逃げ、あっという間に逃げ去った。
家に帰った伝三郎は、改めて神棚の耳を見つめた。
もちろんいくら見つめても、石の耳は答えない。
「お帰りなさいませ、あなた。どうされたのです?」
妻の時緒が、伝三郎の隣にやって来る。
「お前はいつ気がついた? 小指がこの狐の耳に変わっていたことを……」
時緒は、小首を傾げた。
「小指?」
「人間の小指だ。この耳の前にあっただろう」
「嫌ですよう、あなた。からかって……」
そう言って時緒は、ゆっくりと笑みを浮かべる。
その瞬間、何故か伝三郎の背筋に、ぞくりとした悪寒が走った。
「だってあの夜、あなたが持って帰った物は……初めからその狐の耳だったじゃありませんか」