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小指  作者: 次郎
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第五話

 この日は城の大広間に、重臣の多くが集められた。

 家臣だけではない。上座には孝信と信成の兄弟も並んで座っていた。

 孝信はやや緊張した面持ちで、信成は意気揚々であった。

 この兄弟が二人とも評定に出るなど、伝三郎が仕官してからは初めてであった。何かが起こるであろうことは、誰もが感じ取っていた。

「恐れながら、言上仕る」

 倉田政方がわずかに進み出る。

「大殿が病にお倒れになり、早半年。意識が混濁されてからも、もう三月になり申す。もはやこれ以上、江戸への参勤を遅らせることはできませぬ。ここは、公儀が介入してくる前に若君に後継としてお立ちいただき、江戸に参勤いただくべきと存じまするが、方々如何か?」

 その政方の言葉に、一同は顔を見合わせるだけであった。

 信成が、ぱちりと扇子を鳴らす。

「政方の申すこと、もっともである。で、そなたは誰を跡継ぎにすべきと考えているのか?」

 政方は躊躇する素振りを見せ、ちらりと孝信の様子をうかがう。

「……良い、申せ」

 孝信の震えた声に、政方は頭を下げる。

「恐れながら、申し上げまする。目下、我が藩の財政は危機的な状況にござる。残念ながら大殿は、某の倹約令には御賛同いただけなかった。もはや身内をも切る修羅の如き覚悟がなければ、龍山藩は立ち行かぬ。御二方に、その覚悟がおありか?」

 その言葉に、孝信は答えない。対して信成は、身を乗り出した。

「できる。儂はできるぞ、政方。龍山藩のために、修羅となろうぞ」

「これは頼もしいお言葉じゃ。この政方、信成君こそ後継者にふさわしいと存ずるが……御一同、如何か」

 一同は一気に騒めいた。動揺する孝信派の家臣たちの視線は、自然と藤巻長広に注がれる。

「……藤巻殿、御存念や如何に?」

「……」

 詰め寄る政方に、目を閉じて腕を組む長広は、しばらくの沈黙のあと口を開く。

「……異存はござらぬ」

 広間は一気にどよめいた。しかし長広に対して声を上げる者はいなかった。

「では、孝信君。そのように取り計らって、よろしゅうござるか」

 孝信は、その政方の不敬な言葉に苦悶の表情を浮かべた。

 しかし事前に長広に説得され、外堀を埋められた今、もはや抗う術もない。恥辱に耐え、藩のためならばと諦めを口にしようとした。

「待たれよ、若!」

 広間中に、大音声が響き渡る。声の主は、片山陣之介であった。

「げにも恐ろしき謀かな。このような下衆が長年、藩政を牛耳っておったとは……己の不敬を恥じ入る心はないのか?」

「片山陣之介! 譜代の臣でもない貴様が、出過ぎた口を叩くな。引っ込んでおれ!」

 立ち上がった政方は、鬼の形相で陣之介を睨みつけた。広間に緊張が走る。

「顔色が変わったな。後ろ暗いことがあると言っているようなものだぞ!」

 陣之介は嘲笑うように叫び、孝信に語り掛ける。

「若、何も遠慮することはございませぬぞ。大殿の御意思は、孝信君の継承でござる。奸臣の言うことなどお聞きあそばすな」

 孝信は陣之介の言葉にわずかに視線を泳がせたが、意を決して政方を見上げた。

「政方、儂は龍山政信の長子じゃ。龍山家の正統な後継者である。弟に家督は譲れぬ」

 孝信は最後の最後で、踏ん張った。

「冗談ではない!」

 そう叫んで立ち上がったのは、信成である。

「何が長子か、何が兄か! 俺はずっと我慢してきたのだ。わずか数日遅れて生まれただけで、器量に劣る奴の風下に一生立たねばならぬ。貴様は一度でも文武で俺に勝ったことがあるか? 龍山家のため、俺が家督を継ぐべきなのだ」

 そう言った信成が孝信に詰め寄ろうとした時、広間に誰もが予想だにしない人物が現れた。

「信成、いい加減にせぬか」

「ち、父上……!」

 信成はそう言って絶句した。広間の一同もその視線の先を見て驚く。

 そこには病に伏して、生死の境をさまよっていると思われていた、藩主政信がいたのである。

 一瞬の間を空けて、一同が平伏した。その中で政信は、倉田政方に目を向けた。

「儂の目も節穴であったということか。まさか、股肱の臣が結託しての裏切りとはのう……」

(あの深編笠は、大殿であったのか)

 伝三郎は政信の歩き方を見て、何時ぞやの深編笠の男が政信であったことを確信した。

 激しく動揺する長広に対し、政方は表情を変えない。

「大殿……我らをたばかられましたな」

「病は事実よ。しかし獅子身中の虫を誘い出すなら、死にかかるのが良い。そこな片山に言われたのでな」

 政方は陣之介を一瞥したが、何も言わない。信成は膝から崩れ落ちた。

「儂は病になった後、遺言状をしたためるつもりであった。儂の死後は孝信が後を継ぎ、政方と長広がこれを助けよとな。危ういところであったわ」

 政信は肩を落とした。二人を信じていた分、その落胆は大きい。

「政方、何ぞ申し開きはあるか」

 視線を落としていた政方は、ゆっくりと面を上げた。

「……公儀は虎視眈々と、諸藩の取り潰しを狙っておりまする。藩政を顧みない大殿は御存じでなかろうが、某が今までどれだけその公儀から、龍山藩を守ってきたことか。鷹月の姫など受け入れては、長くは持ちませぬぞ」

「鷹月の姫を迎え入れたのは、龍山家のためだ。おぬしが考えることではない」

「龍山家のため、でござるか……大殿は、我らをお見捨てになるのか」

 その政方の言いようを陣之介が断罪する。

「言いたいことはそれだけでござるか、倉田殿。おぬしは娘婿の信成君を藩主にして、藩政を牛耳りたかっただけであろうが!」

 政方は一度天を仰ぎ、深く平伏した。長広もそれに従う。

 政信は、悲しみに満ちた目で二人を見つめた。

「これまでの功績に免じて、命までは取らぬ。その方らは蟄居いたせ。倉田家と藤巻家にも、相応の罰を受けてもらうぞ」

 政信が合図をすると、数名の家臣が立ち上がり二人を拘束した。

 政方は陣之介の隣を通る時、初めて感情をあらわにした。

「公儀の犬めが」

 陣之介は、どこ吹く風であった。

 信成は這って父の膝にすがったが、政信はその頬を叩く。

「愚か者め……おぬしの処遇が、孝信の最初のまつりごとじゃ」

 政信は、再び肩を落とした。

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