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小指  作者: 次郎
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第二話

 明くる日、伝三郎は評定のために朝早く登城した。

 広間にはまだ、数人しか集まっていなかった。伝三郎は末席に座り、時を待つ。

「早いではないか。珍しいのう」

「これは、御家老……」

 入って来た倉田政方に、伝三郎は頭を下げる。

「いつも居眠りをしておるのなら、もっとゆっくり来ればよかろうものを」

「これは、厳しいお言葉……」

「良い、おぬしの役目はそこにはないからの」

 政方はそう小声で言って席についた。

 倉田政方は信成の舅であり、信成派の中心である。

 長年藩主政信に仕え、近年は筆頭家老として重きをなしてきた。家中の人望も厚く、次男の信成に派閥が存在するのも、この男の力による。

 かつて人斬りをしていた伝三郎は、長年仕官を求めて浪人していたが、果たせずに信州の宿場で用心棒まがいのことをしていた。

 人づてにその噂を聞きつけて推挙したのが、この政方である。実質的に伝三郎の役割は、信成派の用心棒と言ってよかった。

 時間が経つにつれ、広間に人が集まってくる。

 やがて一人の初老の男が姿を現した。

 藤巻長広。先代から藩主に仕える、龍山藩の長老とも呼べる男である。現在は筆頭家老の座を政方に譲っていたが、今も家中に大きな影響力を持っていた。この長広が、長男孝信派の中心である。

 その長広の後ろから、伝三郎が待ち構える男が姿を現した。

(やっと来たか)

 その男、片山陣之介は堂々たる体躯の武士であった。その涼しげな表情からは、特に変わった様子は見受けられない。

 伝三郎は目を凝らし、陣之介の手を見つめた。しかしその両手はしっかりと握られ、小指のことは分からない。

(あれは、片山陣之介ではなかったのか?)

 陣之介の様子は堂々として、とても前夜に小指を斬り落とされた人間には見えなかった。その様子は、評定が始まっても変わらない。

 評定では、表立って後継者の話をするわけではなかった。

 細々とした藩政の話をわざわざ連日行っていたのは、両派がお互いの手の内を探っていたからである。

 どちらにしろ、普段しばらくして居眠りをする伝三郎にはどうでもよい話ではあったが、この日は目を凝らし、評定の間中ずっと、陣之介の一挙手一投足を見つめていた。

 しかし結局、その小指を見ることはできなかった。


 評定が終わり、伝三郎はまだ陽の高い城下町をぶらぶらとしていた。

 伝三郎は、片山陣之介の小指が確認できた時点で、すぐに倉田政方に報告しようとしていた。

 しかしそれも結局、できずじまいであった。

 何かの間違いか、陣之介が我慢強いのか。何も分からぬまま、伝三郎は時間を持て余すことになった。

「神谷殿」

 呼ばれて振り向いた伝三郎は、己の迂闊さを悟った。そこに陣之介がいたからである。

「これは、片山殿。如何なされたかな?」

 伝三郎はあくまで平然と応じた。まともに会話を交わすのは、今日が初めてであった。

「如何も何も……貴殿こそ、某に用があるのではないか?」

「……某が?」

「評定の間、某の様子をうかがっていたようだが?」

「……」

 伝三郎は二の句が継げなかったが、そもそもまどろっこしいことが嫌いな男である。返す言葉がないのも手伝って、隠し立てをする気もなくなっていた。

「貴殿の小指を見せていただきたい」

 伝三郎は、単刀直入に尋ねた。 

 腕に自信のある伝三郎は、家中随一の達人と言われる陣之介を斬れたのか、それだけが気になっていたのだ。

 陣之介は首を傾げたが、伝三郎の表情を見て両の手を差し出した。真面目に言っていることが分かったらしい。

 陣之介の大きな手は多数の傷があったが、指はすべて揃っていた。しつこく確認することもなく、伝三郎は顔を上げる。

「結構でござる。手数をおかけ致した」

「何、お安い御用だ。しかし、訳をお話し願えるかな」

 陣之介の疑問は当然であった。伝三郎は素直に答える。

「……昨晩、貴殿を斬った。いや、斬ったと思っていた」

「ほう!」

 面白そうだ、と言わんばかりに陣之介が目を輝かせた。

「詳しく話を聞かせてもらおうか。もちろん、某の奢りでな」

 二人の足は自然と、近くの小料理屋に向かった。


 小料理屋で酒を酌み交わしながら、伝三郎は昨晩の出来事を陣之介に話した。

 陣之介は半信半疑の面持ちで話を聞いていたが、伝三郎が物証として懐に入れていた片山家の家紋が入った布を出すと、表情を一変させた。

「この手ぬぐいは、確かに某の物だ。これは先日、若とその稲荷神社に行った時に無くした物でな。探しておったのだが」

 陣之介は、しげしげと受け取った手ぬぐいを見つめた。若とは孝信のことに違いない。

「貴殿を襲撃して、わざわざこれを現場に落としていくか……某の襲撃に見せかけて、どういう狙いがあるのか……」

「手ぬぐいだけではない。奴は小指まで落としていった。動かぬ証拠なのだが」

 伝三郎は連日の酒に、もう酔いがまわっていた。長い禁酒で、酒に弱くなったらしい。

「昨日の今日だ。小指を落とされて、平気な顔ではおれまい。だから貴殿の顔色をうかがっていたのだ」

「なるほどな。合点がいった」

「貴殿でないのは分かった。しかし、貴殿ら孝信君の派閥の人間であることは間違いなかろう」

「さて、それはどうかな」

 陣之介は顎に手をやる。

「事態はまだ、相手を襲撃するほど切迫してはおらぬ。それに某の襲撃に見せかけようとしている意図があるとすれば、話は変わってくるのではないか?」

「それこそ理解できぬ話だ。何故、某が襲撃されねばならんのか」

「それは、そちらの都合であろう。某には分からぬよ。しかしな……」

 陣之介はそこで一息つき、杯を一気にあおり、飲み干す。

「立場が違う以上、ここで言い合っても答えは出まい。それより、物は相談なのだが……」

「相談?」

「神谷殿、貴殿のことよ」

 陣之介は、伝三郎を見つめる。

「古来より長子を排し次子を立てるは、国が乱れるもとだ。神谷殿、孝信君にお仕えする気はないか?」

「……まさか」

「まあ聞かれよ。貴殿が、倉田殿の推挙で仕官してきたことは承知している。しかし、貴殿の主は倉田殿か? 病に伏せっておられる大殿ではないのか。ならば、御長男の孝信君に仕えているも同然。倉田殿に忖度して、御次男を推すのは筋違いというものだ。

 陣之介の言葉は一見強引ではあったが、長子存続という大義があるだけに強かった。次男を立てようとする信成派にこそ、避けることのできない強引さがあった。

「……片山殿、今の話は聞かなかったことにしておく。倉田殿には恩義がある」

 伝三郎ははっきりそう言った。

「ふむ……まあよかろう。その気になったら、いつでも言ってくれ。今日はその襲撃者のおかげで貴殿と酒が飲めた。それで良しとしよう」

 陣之介はそう言って笑った。

 

(面白い男だ)

 家に帰った伝三郎は、畳で大の字になりながら今日の事を思う。

 片山陣之介は好漢であった。

 龍山藩に来てから出会った人物の中でも、とびきりと言っていい。そもそも長男を跡継ぎにという論拠には後ろ暗いところがなく、その歯切れの良さが陣之介を際立たせていた。酒を奢ってくれたことを差し引いても、好印象である。

(さて、どうするかな)

 倉田政方に恩義があると言ったものの、元来無頼であるこの男が義理堅いとは言い難い。身の振り方は、よくよく考えねばならない。

(ん?)

 何となく視線を上げた伝三郎は、ふと神棚の変化に気づいた。立ち上がり、顔を近づける。

「……何としたことか」

 伝三郎は目を丸くした。驚いたことに、そこにあったはずの小指が石に変わっていたのである。

 石をつまんで持ち上げた伝三郎は、しげしげとその塊を見つめる。

「これは……狐の耳か?」

 その形には見覚えがあった。稲荷神社にある、狐の石像のそれであった。

「時緒か、辰吉か……いや、わざわざこんなことをするとは思えぬが」

 伝三郎は一人そう呟きながら、いつまでも首を捻っていた。

 せっかくの酔いも、冷めていた。

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