009
2人の女性がこの街からいなくなった。
しかもいずれ帰ってくる。ちょっとした旅行だ。
それでもこの街は明らかに変わった。
「橘結がいない」
街の住人達はこの事実を受け入れるだけ。
通学途中、ふと箱田佐代が零した。
「姫様ってスゴイ人なのね。」
「何だよ突然。」
そう答えた宮田柚はそれを知っている。
「伴はガンスだから判るだろ。何つーかこの空気。」
ガンスてなんだ?
「まあな。何かこう、ピリッと辛口。」
俺にはよく判らない。昨日までと「違う」がこの感じは知っている。
「綸は他所から来たからな。」
「そうね。逆に今の私達はまるで知らない土地にいるような感覚なのよ。」
「そうっそれっ。」
敷島楓の指摘を宮田柚も同意した。
でもそれは橘結個人の資質ではないだろう。
「お?何だ?どういう事だ?」
(面倒だな)橘家と言うかあの神社の加護ではないのか。
橘家には天狗の親父さんもいるし
何よりここに橘佳純がいる。
「うえっ!?私?」
正式では無いだろうが橘家の神巫女だ。
その象徴としての役割は果たしていると思うが。
「それは綸君が南室綸だからね。」
よくわからないな。
「綸君の言った「正式」っていのが重要なの。」
ああ、つまりこの空気は橘結の不在を嘆く街の連中の仕業って意味か。
昨日までの空気を「橘結が作り出した」のではない。
橘結のいる安心感から街の連中が醸し出した雰囲気。
橘佳純が「正式」に継いだのであれば何の変化も無かったのかも知れない。
「でもそれで空気以外に何か変わったりするんか?」
津久田伴の疑問はもっともだ。
2人の女性が旅行に出掛けただけ。何が変わるとも思えない。
学校は何も変わらない。
箱田佐代は俺たちが海で燥いでいた事を知ると憤慨し、責める。
他の連中は彼女を誘ったのだが「道場に通っていないから」と本人が断った。
「だいたいお前家族と旅行行ってたんだろうがっ。」
「お土産は?お土産は無いの?」
「あんた達こそお土産寄越しなさいよ。」
「遊びに行ったんじゃないし。」
「一番燥いでた奴が何を言う。」
「一番は伴君だったよ。」
俺達は何も変わらない。
何も変わらない。
雰囲気が「異なる」のは肌で感じる。
それを変化と呼ぶには大袈裟だ。
街の人は変わらず橘佳純に挨拶をする。
同行する俺達にもその姿勢は変わらない。
きっと橘結が相手でも同じような挨拶なのだろう。
この街の人達は「橘結」を特別な存在である事は知っていても
本人を特別扱いしたりしない。
橘結の人となりがそうさせているのだろうか。
元々「橘家」に対してこうなのだろうか。
「それがねー。」
橘佳純は姉の昔話をするのが好きなようだ。
「小さい頃は本っ当に人見知りで大変でね。」
「父が街の人に頼んで何とかしようって事になったんだって。」
「普通に話せるようになったのって結姉が高校生くらいになってからだって言ってたよ。」
それはそれでどうかと思うが
「この街の人達が皆に挨拶するのもそんなに前からの事じゃ無いんだよ。」
そうなのか?
「何年か前にこの街にオカシナ人達が現れてね。」
継ぐ者達への誹謗中傷のビラが撒かれた。
「あ、それ知ってる。アタシら登下校で手を繋がされた。」
「あったねー。毎日柚ちゃんと手繋いでたなぁ。」
なんだそれ。
「この街の住民はそんな誹謗中傷には屈しないって意思表示なんだってよ。」
宮田柚は当時「何故そうするのか知らなかった」が
何かの折に「当事者の一人」だった姉の宮田桃からその意味を聞いた。
「お前の王子様が言い出したんだよなー。」
「王子様って何。お前のって何。」
箱田佐代は顛末を宮田柚に問い詰めるが
橘佳純が必死に抵抗する。
だが敷島楓が簡単に全てを暴露する。
こいつらも何も変わらない。