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市野萱友維が綴さんに連絡をしなかったのは
「心配されすぎても困るから」
と言い訳すると、魔女達から揃って
「お前が言うな」
と突っ込まれていた。
三原紹実が「疲れてうちで寝ているから」と言ってくれたお陰で
綴さんは安心して迎えに来てくれた。
マリ・エル・ハヤセとの一連を話すと
「このまま姫のとこに行きましょう。」
と橘家に向かった。
かなり深刻な表情をしていたので
俺の行為はやはり誤りだったのだろうか。
「それって凄くない?ねえ結姉。」
「ちょっと待って。詳しく教えてもらえるかな。」
教えるも何もありません。
滝沢伊紀から教わった事は初歩の技術だと聞きました。
橘佳純が御厨理緒に対する施術と同じ。
乱れた部分を「視て」「整える」。
それを使い少し調整と言うか、ヴァンパイアである要素を脇に置いて
渡良瀬葵から習った暗示を上乗せしただけです。
「どう?姫。技術的に可能だと思う?」
「ええ。そのマリ・エル・ハヤセさんは気付いていないんでしょ?」
おそらく。
少なくとも俺には彼女がヴァンパイアである事を示す「黒い霧」は見えませんでした。
でも確認で頭の中を「視る」とまだそこにソレはありました。
いつか消えてしまうのか、何かの拍子に現れるのか、どちらの可能性も捨てられません。
なので彼女の表層心理に暗示をかけて「自分がヴァンパイアである」自覚を薄めました。
記憶の操作とかそこまでの魔法は教わっていませんので「ヴァンパイアであった」事実は残ります。
自覚を薄める事で「一般人」との境界を曖昧にさせる。
同時に保険的な意味合いで身体にもリミットを掛けました。
「どうやって?」
敷島楓から聞いた話です。
通常、人間は常にセーブしている状態で筋肉を動かすと言っていました。
ヴァンパイアや狼男みたいな一部の「継ぐ者」の常人とは異なる身体的特徴は
筋肉や骨格に寄るものではなく、ドーパミンだとかアドレナリンとかホルモンの作用が原因らしいです。
それが脳に働いてセーブしている部分の幅を減らしている。のではないか。と。
ただそれは自律神経とか多分そちらの問題なので俺にはどうにもできません。
なら、最初から「誤差」を与えればそのはみ出している幅で補うのではないかと。
以前、俺は自分の成長に頭が付いてこなくてもどかしい思いをしました。
その感覚を与えたんです。
表層心理ではなく、深層心理に「慎重さ」を植え付けました。
今まで「こうできた」事に対してもう一度「考える」ように指示したのです。
ただの慎重さですからこれは慣れてやがて誤差も解消するでしょう。
実際に小室絢に解決法を教わって、俺がそうでしたから。
「やっぱり凄いって。」
興奮気味の橘佳純を脇に、橘結は考え込んでいる。
「技術的には可能だと思う。私も佳純ちゃんも調整は出来るから。」
「ワタシもそう思う。でも倫理的にどう思う?」
倫理。俺がマリ・エル・ハヤセを騙している事実。
「判らない。私には判らないよ綴ちゃん。」
「私個人としては綸君の行為は素晴らしいと思う。」
「私があの時、それを知っていれば同じようにした。」
「でも。」
勝手な事をしてもうし
「待って。謝らないで。何も悪い事なんてしていない。」
「違うのよ。ちょっと戸惑っているだけなの。」
「私はそんな事が出来るなんて考えもしなかったから。」
「知っているのは私達と魔女ね?」
そうです。
「マリ・エル・ハヤセさんは「戻れる」事は知らないのよね?」
はい。
橘結は三原紹実に連絡を取り
俺の「本当の行為」を口外しないように魔女達に伝えさせた。
「皆も。いいわね。」
「綸君。貴方がその技術を使うのを私は止められない。」
「でもお願い。「元にも戻れる」とは言わないで欲しいの。」
「理由も判っているでしょうから細かい事は言わない。」
「だから」
判っています。勝手なことをして申し訳ありませんでした。
「ううん。綸君は何も悪くないわ。」
ありがとうございます。
俺の行為は安易だ。安直だ。
そうできるからと、それだけでそうしてしまった。
俺は橘結の話を聞いていたのに、そこから何も学ぼうとしなかった。
「違うわ。綸君はそれでも背負う覚悟があったのよ。」
「尊敬するわ。綸君は私に出来無かった事をした。」
「私はあの日以来ずっと逃げてきた。」
橘結は泣き出してしまった。そして俺を抱きしめた。
「ありがとう綸君。」
あ、いや。そんな。
橘結はあの日からその力を「継ぐ者」に使ったことはない。
橘佳純はそれを知っている。だからあの日も少女に何もしなかった。
「私のした事はもう戻せない。でもこれから先は変えられるかも知れない。」
「綸君は私に新しい道を示してくれたのよ。」
継ぐ者への新しい可能性。
だが橘結が口止めをしたのはそれなりの理由がある。
この技術を安易に利用されるべきではない。
「元に戻せる」事実を広めてはならない。
橘結は俺を守るために「箝口令」を敷いた。
簡単な話、俺の使った方法はただの「嘘」なのだから。




