008
夏休みも残り僅かなある日。
津久田伴と宮田柚が「夏休みの宿題」の追い込み作業で
橘家で橘佳純と敷島楓の助けを借りている最中だった。
橘結と、その父親がその部屋を訪れた。
「忙しいのにゴメンなさい。少しだけいいかな。」
橘佳純も知らなかった。
だがどうやら「その事情」だけは心得ているようだ。
「少しの間留守にするから。皆、佳純ちゃんをお願いね。」
何処に、何をしに行くのだろうか。
「どうして結姉がそこまでするの?」
橘結は橘佳純の疑問に、穏やかに答えた。
「佳純ちゃんが私の妹だから。それ以外に理由なんてないよ。」
「ってあの人が言ってた。佳純ちゃんも聞いてたじゃない。」
「まあそうだけど。」
「ふふん。」
「ぐぬっ。妹にドヤ顔でノロケるとかっ。」
橘佳純以外の俺達全員の認識として
「橘結が旅行する」程度でしかない。
だが
「綴ちゃん借りるね。」
橘結は俺に了解を求めた。そんな必要はない。
綴さんは橘結に仕える。それは何より優先される。
その日の夜。俺と綴さんは改めて橘家に呼ばれた。
大人達が客間でそこそこ長い打ち合わせの間
橘佳純と共に居間で待たされた。
こんな時、気の利いた事が言えると救われるのだろうか。
津久田伴のように気楽にお喋りすれば救われるのだろうか。
橘佳純は何も語らず、ただ待っていた。
音がして、声が聞こえる。どうやら帰りの挨拶。
入れ替わるように俺と橘佳純が客間に呼ばれる。
橘結と同行するのは南室綴。
綴さんは本当に申し訳なさそうに俺に謝った。
「結局押し付ける事になってゴメンね。」
そうするのが南室綸としてのあるべき姿なのだと知っている。
「帰ったら改めて綸の本意を聞くからね。」
「それまで御爺ちゃんと御婆ちゃんの言う事ちゃんと聞くのよ。」
「って言い聞かせたいけど綸は言う事ちゃんと聞くのよねー。」
「しっかりしてるから何に心配していいのか判らないわ。」
心配する必要はない。
「うーん。少しは心配したい。親として。」
「ホレ綸。出発前にママって呼んでやれ。」
小室絢は何を言っている。
「ちょっと絢ちゃん。」
「何だよ。気にしてるくせに。」
「いいのよ。綸がその気になったらで。」
多分、その気にはならないだろう。
「そうよ。これっきり会えなくなるわけでも無いんだから。」
橘結のこのセリフは自分の妹にも伝えているのだうろ。
「そりゃそうだけどさー。綸は何で綴をママって呼んでやんないんだよー。」
あ、いや。
「何だ?恥ずかしいのか?一回呼んでみ?そしたら大丈夫だから。」
大丈夫って何だ。
綴さんを「母親」と呼ばない理由はたった一つ。
「何?理由あったの?直せるなら直すから教えて。」
綴さんは本気だ。だが
「何だよ。勿体ぶらずに言えよ。」
母親と呼ぶには歳が近い。
お互いが橘姉妹と同じ年齢なのに「親子」は変だ。
綴さんは驚いている。
驚いて、そして笑った。
「いいわ南室倫。たった今からアナタは私の弟よ。」
俺も驚いた。
彼女はあっさりと解決策を見出し受け入れた。
こんな事を言ったらまた捨てられる。とさえ思ったのに。
「ワタシに弟ができたわ。」
「まあその方がしっくりくるな。」
じゃあ綸。私が留守の間お父様とお母様の言うことを」
それはもうイイから。
「何よ。もう弟風吹かせてるの?」
綴さんは俺の頭を撫でて、抱きしめてくれた。
「じゃあ行ってくるね。」
行ってらっしゃい。それで何処に?
「何処って言ってた?」
「何かイイ温泉あるところって。」
何だそれは。
「えーっ私も行くーっ。」
「仕事が終わったらね。」
橘結は俺の手を取り
「お姉さん借りるね。」
俺は黙って頷く。
「それと、私の留守中佳純ちゃんをお願いね。」