062
彼は「加減」て言葉を知らないらしい。
いや言葉は知っていた。
「知ってマース。イイ湯だなーですねー。」
意味も判っていたと思う。思いたい。
それは学校の武道場で行われた。
留学先に現れたヒーロー。を魔女による演出。
そこで出会う「はぐれ吸血鬼」。
狼男は吸血鬼を呼び出し、川原の橋の下で決闘。
なんだこの茶番。
「これくらいバカバカしいほうが説得力がある。」
市野萱友維は言うが後にとある雪女の脚本でただの趣味だと判明する。
筋書きは
「橘結の妹に仕える吸血鬼を懲らしめる」狼男との対面から始まる。
「格闘シーンはアドリブで頼む。」
タックルをくらって、倒れ込む前に膝を立てて引き剥がし
回り込んで打撃に持ち込もうとしたが
それより速く再び捕まれ、倒され、乗られ、
「このくらいでイイですかね。」
ダメですね。俺はまだ何もしていない。
彼もまだ何もしていない。きっと人なんて殴った事のない「イイ人」なのだろう。
卑怯な真似をするので離れてください。と
彼に許しを請うたような芝居をして、離れた瞬間太い腕に飛びつき
逆十字を極めた。のだが彼は俺をそのまま地面に叩きつけた。
タックルもこの攻撃も腹部なので「ただ痛い」だけなのが辛い。
頭部へのダメージならきっと簡単に意識を失っただろうに。
有り難いのは、この人が今まで組手をした誰よりもタフで打たれ強いことだ。
単純な喧嘩ならあの小室絢にでも勝てるんじゃなかろうか。
まあ一般女性とNFLの現役選手を比較するってのもどうかとは思うが。
「何がオカシイですかー。」
何もおかしくは無い。
「アナタさっきからニヤニヤしっぱなしねー。」
そうなのか。俺は笑っているのか。
この人なら、俺の全力を受け取ってくれるのかも知れない。
現実はそんなに甘くない。
突っ込み過ぎず、冷静に打撃から組み立てよう。なんて計算は通用せず
ただただ彼の圧力に圧倒され続け
タックルされては引き起こされを繰り返された。
駄々っ子を躾ける方法としては拷問的ではあるが効果的だ。
最後は足の力が抜け、崩れかけた俺に彼の丸太のような腕でラリアートを喰らい意識を失った。
「随分と粘ったな。」
「ほんとよ。とっとと降参すればいいのに。」
目覚めた枕元には市野萱友維と橘結がいた。
簡単に屈したら説得力がなくなると思って。
ただやはり気になったのは
エーリッキ・プナイリンナとの関係性についてだった。
「あ?お前殴られ続けたくせにそんな余裕あったのか?」
王女は現地で魔女と共闘していますよね。
でも彼は俺の側にいる。矛盾していませんか。
「してるよ。」
「だからってお前まで騙されてんじゃねえよ。」
はい?
「元々は王女様から始まった話だろうが。」
「それに王子様はロゼの野郎と仲良しだからな。」
言っている意味がよく判りません。
「センドゥ・ロゼは知ってるよな。」
はい。
「アイツは今理緒をスパイしている設定なんだよ。」
「お前事情全部知ってるから何がどうなってるか混乱してるな。」
「魔女はプナイリンナに騙されている事になっているんだよ。」
ダメだ。頭の中には大きなクエスチョンが占めている。
どうしてそんな面倒な事を
「薫ちゃんがややこしいの好きなのもあるけど。」
「魔女のボスと橘佳純が恋人同士ってんならそれくらいしないと。」
また説得力ですか。
「ごめんね。私達のためにこんな事までさせて。」
貴女が謝る理由も必要もありません。
俺が南室の者でなくともその機会があれば同じ事をしています。
橘結は俺の頭を撫でてくれる。
それで身体の傷が癒えたりなんかしない。
だがどうしてだろう。実に穏やかに、そして決意する。
この人達は何があっても守らなければならない。
ボロボロではあったが祭りの準備はしないと。
これはこれ。それはそれ。
「お前見かけに寄らずタフだなぁ。」
ヴァンパイアは傷の治りが速い。いやヴァンパイアに限らないか。
グンデ・ルードスロットが顔を殴らなかったのも幸いした。
「お祭り。何のお祭りだですか。」
昼と夜の長さが同じ日。
この日を境に夜が長くなる。闇夜も幸せに過ごせますように。
こんなところだうろ。
「本来の」ヴァンパイアであっても祝日になるかも。
「ニコラは浴衣持ってる?」
「ユカタ?それは何だです。」
ホームステイ先の人も、橘姉妹も他の連中も
誰かに貸すほどの余分も持ち合わせもなく、またサイズが合わなかったり。
浴衣が「祭りのユニフォーム」だと知ったニコラ・ルナプリアはとても残念そうだった。
レンタル出来るようなお店に心当たりはありませんかと
綴さんに相談すると
「その子連れて来なさい。」
とニコラ・ルナプリアを招待するように言った。




