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一度だけ大会に出場したことがある。
キックボクシングはアマチュアの大会そのものが少ないが
一度だけなのはそれが理由ではない。
彼女が参加したのは
ヘッドギアを着用する初心者のクラス。
(事実彼女はまだ小学1年生だった)
一回戦は同じ歳相手。ジャブに相手が泣き出し勝利。
二回戦。
参加人数の少ないクラスで早速準決勝。相手は5年生。
カウンター気味に入った左ハイキックが相手の顎に直撃。
ヘッドギア越しに、相手の顎の骨にヒビを入れてしまった。
箱田一家が逃げるようにこの街に越してきたのはその直後。
転校してすぐ
「柚と楓が私に声を掛けたの。」
「今度お祭りがあるから一緒に踊らないかって。」
「嬉しかったわ。」
「盆踊りとかの事言っているのだと思っていたら」
「神楽殿で舞うって言うから。」
「でも私ヴァンパイアの血が入ってるから。」
「って言ったら。」
「私も日本の吸血鬼だよ。柚ちゃん猫娘だし。」
「って笑われた。」
(この舞で身分を隠し帰郷していた橘佳純と同じ舞台に立っているが
箱田佐代はそれを知らない)
転校生に気を使っただけなのは判っていた。
それでも自分は「受け入れられた」のだと実感した。
それが橘結のお蔭である事を知り、いつか恩を返そうと決意した。
中学生になり、この街に越してきた橘佳純の存在を知る。
友人にはなったが恩返しの決意を秘めたまま三年間無為に過ごしていた。
「だからこそ。私は佳純を守るのよ。」
俺が建前のつもりで橘佳純を守ると言った理由は、彼女にとってそれは本心だった。
「吸血鬼が引っ越してきたって言うから冗談で誂っただけなのに」
「ボコボコにされた。」
「頭に来て仕返ししようとしたら」
「楓と柚にボコボコにされた。」
それが津久田伴が小室道場に入門したきっかけ。
そして宮田桃に憧れたと。
「はあ?バッカお前そんなんアレじゃん。アレだろ。」
コイツに宮田桃の話をするのは面白いな。
そうか。彼女達と津久田伴の間には
もうとっくに上下関係が成立していたのか。
津久田伴が剣道を選んだ本当の理由は
「剣道の段位は空手の三倍とか言うじゃん。」
「7月頃何か良からぬ事が起きる」
この情報は当然魔女達の元にも届いている。
(俺はこの時勘違いをしていたのだが
元々の情報は欧州の魔女が仕入れたものだった)
御厨理雄が知らない筈はない。
だが彼は橘佳純との直接の接触を避けた。
ネットや電話さえも使わなかった。
信頼する魔女を介し、語るのは市野萱友維。
「コマシ兄から伝言だ。」
市野萱友維がオカシナポーズをとる。
「傍にいられなくて、ゴメン。」
「本当にそんな言い方したのかよっ。」
「要約するとこんな感じだ。」
橘佳純は御厨理雄が何を言おうとしているのか理解した。
こんな伝言で?
「安心して囮になれって事でしょ。」
かつて御厨理雄自身がそうであったように?
「おっと。速まるな」
市野萱友維が不穏な笑顔を浮かべる。
「囮はお姫様じゃあない。」
「姫って言うなっ。え?」
御厨理雄が橘佳純の傍にいられないのなら
そうしなくても済む状況を作ればいい。
「最強の魔女」と呼ばれる青年ならば可能なのだろう。
「狙われるのはお前だ。南室綸。」
その日の夜。関係者が橘家に呼ばれる。
橘親子と滝沢伊紀。
小室絢、南室綴。
そして宮田柚、敷島楓、箱田佐代。
「それじゃあ最初から説明するぞ。」
市野萱友維は終始ニヤニヤしていた。
「うちのコマシの兄ちゃんがさ。」
自らの「ほぼ我儘」で始めた脅迫。
それは結果的に「悪魔のような」連中を地下に潜らせる事となった。
「脅しが予想以上に効いたんだな。」
市野萱友維はこの時嘘を付いていた。
御厨理雄の脅迫は、橘佳純に対して更なる脅威となっていた。
橘佳純は、御厨理雄の弱点になる。
この事実が露呈しただけの事だったのだ。
御厨理雄は自ら橘佳純の傍で彼女を守りたい。
だが魔女のリーダーとしての責務がある。
まして今回は個人的な理由で始めた喧嘩。
苦悩する御厨理雄を見兼ねた高校教師が作戦を立案。
その界隈では「策士」と呼ばれている魔女。
今までに仕入れたいくつかの情報を元に弾き出した答え。
「他に囮を用意する。」




