019
道場では敷島楓にボコボコにされる。
敷島楓は強い。
組手の殆どは小室絢と行うのだが、これには理由がある。
1つは俺の身長。
同年代の連中より「長い」俺はそのリーチで有利になる。
もう1つ。
橘佳純を守るために、自分より大きな相手との対峙に備える。
その相手としての小室絢だ。
ひとしきり小室絢に弄ばれると相手は敷島楓に代わる。
敷島楓は女子高校生。身長は俺より低い。
そんな事は無関係に殴られ極められてしまう。
敷島楓は宮田柚にも負けない。
道場の門下生の誰よりも強い。
何が違う?
「小学生の頃からここにいるから。」
経験の差。
俺は小学生の頃から喧嘩では負けた事がない。
南室綴に拾われるまで俺は強いと思っていた。
南室家の祖父母は柔術の達人だった。
粋がっていた子供はポンポンと投げられる。
およそ4年それを習い、再び自惚れが生じた。
小室絢にも敷島楓にも俺の4年間は通用しない。
俺に足りないのは本当に「経験」だけなのか?
それなら敷島楓と同年代の連中はどうして彼女に勝てない?
「楓は小さい頃から自分のスタイルを見付けたからな。」
小室絢は続けた。
「自分の体格とか性格とか目的とか。アイツ頭イイから。」
今の言葉と「スタイル」がどうにもしっくりと当てはまらない。
「楓は身体をロジカルに動かすのが得意なんだ。」
「基本の型は同じでも活かし方は人によって違う。」
よく判りません。
「そのうち判る。こればかりは自分で気付くしかないからな。」
理論的に動く。つまりそれは「技」の事だと思う。
ただ小室絢はいつも言っている。
「考えるな。感じろ。」
敷島楓本人に聞いたのだがその答えもよく判らなかった。
俺や津久田伴のような「継ぐ者」の一部には
一般人以上の身体的能力を備える者がいる。
敷島楓にはそれがない。だが宮田柚にはある。
敷島楓は宮田柚を観察(あるいは実験)対象に仮説を立てていた。
「骨格とか筋肉とか体格ってそんなに違わないじゃん?」
「だから多分セーブする幅なんだと思うのな。」
「人間て、普段は怪我しないように身体が勝手に動きに制限かけるらしいの。」
「それを超えると間接外したり肉離れ起こすって事だ。」
「んで柚ちゃんとかお前らがイザって時にバカ力発揮するのって」
「そのセーブの幅が普通の人より狭くなるんじゃないかって。」
この仮説は後に事実と判明する。
中学を卒業するまで合気柔術を習った。
本格的に、とは言わないまでも基礎からかなり厳しく4年間。
小室道場では空手。だがこの道場は「かなり」特殊らしい。
そもそも武術とは。的な話になりそうなので無視する。
入門初日、小室絢に言われた。
「基本はみっちり仕込まれたみたいだな。」
「私が許すまで攻撃はするなよ。」
理由は判らないが言われるままそれに従った。
橘佳純の護衛を「正式に」依頼されても
攻撃許可は下りていない。
あの時、俺がハイキックを繰り出したのは小室絢の真似をしたのであって
攻撃の型そのものは今まで教えてもらっていない。
(だからこそ道場では毎回ボコボにされ続ける)
俺は強くなりたい。敵を倒す力が欲しい。
時間の無駄だった。
落胆する俺にその人が言った。
「事情があるなら話せ。」
俺は強くなりたい。ただそれだけです。
この日から、週一回このジムへ通う事になった。
両親(元祖父母)には全て話した。
2人は反対しなかった。それどころか交通費もジムの会費も払うと言ってくれた。
俺は強くならなければならない。
この曜日はとても忙しい。
学校が終わり、橘佳純を送り届け、バスと電車を乗り継ぎ
終電までジムで汗を流す。
手足が長いから。とキックボクシングを基本にとした訓練だった。
「先に当てる」
遠い間合いから、相手が届く前に蹴り、倒す。
前蹴り、ロー、ミドル、ハイ。
躱され、中に入られたら肘を使う。
フェイントを交えながらのコンビネーション。
ミットの音は心地良かった。
相手が俺の手足を邪魔に感じ
無理矢理突っ込むところにカウンター。
そんなシミュレーションまでさせてくれた。
遅い時間になるとジムの雰囲気は変わる。
子供と女性は姿を消し、何と言うかとても暑苦しくなる。
出張ったお腹を引っ込めようと会社員がサンドバッグと格闘しているその脇で
全身入れ墨の青年が黙々と腹筋を鍛えている。
リングの上では試合を控えたプロのレスラーがスパーを行い、
その隣では事故で左腕を失くした男性がミット目がけて蹴りを入れている。
皆、必死に汗を流し続けている。
何かを手に入れようとしているのか、何かを忘れようとしているのか。
練習が終わると、不思議な事に皆が笑顔になっていた。
何度か「一緒に飲みに行こう」と誘われたりもした。
「ホストにならないか」と就職させられそうにもなった。
トモダチではないが、「仲間」になった。




