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俺は正式に「南室綸」になっていない。
俺が「南室綸」と名乗っているのはただの既成事実。
簡単に言えば偽名だ。
考えてもみれば
「母になる」と拾った人が「今日から姉よ」と名乗っている。
こんな適当に済むはずがない。
戸籍上、俺は自分では既に忘れ去った名前の存在。
「それ誰から聞いたの。」
昨日調べました。住民課に行って謄本を見ました。
「ごめん綸君。私もアナタの話預かる。」
「すぐに答えを出そうとしないで。」
橘結は慌て立ち引き上げようとする。
「進路について1つだけアドバイス。」
はい。
「私が悩んでいる時に紹実ちゃんのママが教えてくれたの。」
「何ができるか。じゃなくて先ず何をしたいのかを決めるの。」
「それが決まったらそのためには何をするべきかを考える。」
「何が出来るのか考えるのはその後でいいのよ。」
「って。」
出来る事ではなく、したい事。
出来る事を探すより大変そうだな。
今の俺には何の目的も無い。
橘結がその足で小室絢と話す。
小室絢には俺が市野萱友維の魔法講義を休むと話してある。
順番を遡り三原紹実に連絡を取るのは当然の流れだろう。
「私達で想像膨らませてイライラするより直接聞き出そう」
とその日の午後には三原家に呼び出された。
「どうして突然進路について悩むようになったのか」
「名前を返すと言ったのと関係があるのか」
と詰め寄られた。
仕方なく、綴さんに言われたそのままを伝えた。
ゆっくり考えろと言うのはつまり1年ほどの猶予を与えたと解釈した。
大学を入れて5年ではゆっくりににも程がある。
あと1年しかない。正確にはもっと短い。
俺はずっと南室としての仕事をするつもりでいた。
橘佳純が正統後継者では無いから
橘家の守護者としての役割は終わる。
それでも南室家の者として「継ぐ者」に携わる職を探すつもりでいた。
だが俺は「南室綸」ではなくなってしまう。
その時俺に何が残されているのかが全く思い浮かばなかった。
南室綸では無い俺は、一体何者なのかさえも
「判った。もういい。」
「これから綴呼び出すから。」
「お前地獄耳だよな。上の部屋で黙って聞き耳立ててろ。」
俺は三原家の二階の客室に1人放り込まれた。
綴さんも旧知の3人がどうして怖い顔で迎え待っているのか不思議だろう。
到着早々、三原紹実は綴さんに相当キツク当たっているのが聞こえた。
橘結でさえも綴さんを責めている。
綴さんも負けずに「家庭の事情よ」と言うだけだったが
「どうして嘘まで吐いて綸を突き放すんだっ。」
嘘?
「あの時お前が名乗らなかったらあの施設は無くなっていたんだろ。」
俺の起こした「事件」は「子供の喧嘩」のレベルを超えていた。
幸い全員回復したものの
それは「惨状」と呼べる現場だったらしい。
当然管理者の責任が問われる。
南室綴は、
自分が南室家に引き取られるまでの数日間を過ごした施設を守った。
自分を産んだ女性から見捨てられ、南室家に養女として引き取られるまでの数日間。
南室綴は、俺と同じ施設で過ごしていた。
「綸にはワタシと同じ思いをして欲しくない。」
「同じ思いって何よ。綴ちゃんは今の綴ちゃんに後悔してるの?」
「そうだっ。ご両親のこと恨んでいるなんて言わせないぞ。」
「私達と一緒にいた時間も全部イヤイヤだったの?」
親友2人は、誰よりも頼りにしていた親友から裏切られた気分だろう。
南室綴の言葉はいつも正しかった。
「それは結果論よ。」
「南室の両親に拾われて、2人に、紹実ちゃんにも出会えて。」
「イヤイヤどころか毎日楽しかった。」
「でもだからって輪がワタシと同じとは限らない。」
「本人がイヤだって言ったか?」
「あの子がそんな事言うわけないじゃない。」
「どうしてそう思う。」
「義務感とか責任感が強いのよ。だから紹実ちゃんのとこに預けたって絢ちゃんから聞いたわよ。」
「確かにアイツはバカみたい真面目でイイ奴だけどな。」
「イヤな事はちゃんとイヤって言えるぞ。」
「そうよ。綴ちゃんだって見たでしょ。」
「サーラがニコラの母親に処罰を言い渡す時」
「綸君震えながらサーラに立ち向かったのよ。」
「それこそ義務感じゃない。正義感って言ってもいいわ。」
「そうよ。トモタヂを守るためには王女様にだって歯向かうのよ。」
「それが正しい事でも」
「イヤな事はイヤって言えるのよ。」
実際は言葉も出せず震えていただけだ。
「あの子は南室の名前に囚われてはいけない。」
「南室である事やその責務が枷になってはならないのよ。」
「ごめんね姫。綸はこの狭い世界じゃなくてもっと広い場所にいて欲しいの。」
「違うぞ綴。アイツは南室綸だからこそ自由に羽ばたけるんだ。」
「お前がしているのはアイツの帰る場所を奪っているだけだ。」
「私の両親も、理緒も、キズナだってそうだ。皆帰る場所があるから旅に出るんだ。」




