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小説置き場  作者: たま
創作居酒屋『entreprise noire (アントルプリーズノワール)』
3/8

その3


「お、お待たせしましたぁ!」


 少しテンパった様子で現れた綾ちゃんと呼ばれた女の子…まぁ、何となくだけど予想はできてたよ。


 けど、今度は事務員の制服ですか…。


 隣に並んだ佐藤さんより小柄で明るめの茶髪をボブカットに切り揃え、クリクリとした大きな瞳が小動物を思わせる女の子。あっ、おでこと鼻の辺りがちょっと赤くなってる。そうか、顔面からコケたかぁ…なんて、テンプレなドジっ娘なんだ。


「綾ちゃん、私は帰るから引き継ぎをお願いね」

「そ、その、私も今日は用事があって…」


 オドオドしながら小さな声で答える綾ちゃんに佐藤さんはチラリと僕の方を見てスマイルを浮かべると--。


「梶山さま、引き継ぎをして参りますので少し席を外させていただきますね。綾ちゃん、ちょっと来て」

「はいっ…」


 怯えた様子でビクッと体を震わせながら綾ちゃんは佐藤さんに連れ(連行)られて厨房へと消えていく………。


 えぇー!?なにこれ……恐いんだけど?


 何だか、この店の闇を見た気がする。


 お客のはずなのに綾ちゃんが心配になる。


 手持ちぶたさで挙動不審気味に周囲を見渡していると綾ちゃんが虚ろな瞳で口許だけ笑みを浮かべたTHE営業スマイルで生ビールとお通しを持ってきた。


 何だか彼女の背後にどす黒い負のオーラが見えますが?そこだけ、どんよりと絶望が集まってますが?


「あ、あのぅ大丈夫なんですか?」

「……大丈夫ですよぉ~、仕事ですからぁ~」


 僕の問いに綾ちゃんってば遠くを見つめちゃったよ!いやいやいや、止めてぇ!そんな遠くを見ないで!!物凄い罪悪感だよ?えっ、なに?僕が悪いの?


「梶山さま、ご依頼の『社長の格言、部下は生かさず殺さず生殺し』とサービス残業の『勇気の印』になります。コース料理は順次お持ちいたしますので、それでは失礼いたします………はぁ、今日も残業かぁ」


 ガックリと肩を落とし、小さなため息と共にトボトボと厨房へと戻っていく綾ちゃんの後ろ姿に僕の罪悪感が半端ないんですが?


 豆腐メンタル、いやお粥メンタルの僕の胃がキリキリと痛み出す。しかも、綾ちゃんってば心の声が漏れてましたよ?しかも、何気にお通しをサービス残業って言ってましたよね?


 何故か、申し訳ない気持ちになりながら生ビールを痛む胃に一気に流し込む。あっ、胃の痛みがある人は刺激物やアルコールは控えてね。


 さてと…『勇気の印』と言っていたお通し、どこからどう見ても普通のだし巻き玉子。


 いったい、どこが『勇気の印』なんだ?


 小首を傾げながら、とりあえずフワフワのだし巻き玉子を一口大に切り分けてみると内側に海苔が巻かれており、そのコントラストを見て気が付いた。


「あぁ、だから勇気の印…」


 黄色と黒…頭の中で二十四時間働くビジネスマンの姿が過る。しかも、あの歌と共にね。


 この店の趣向が何となく分かってきた。


 壁に書かれたお品書きに目を向ける。


 意味不明だったお品書きを改めて眺めてみて--つまりはそう言うことだ。


 そうなってくると佐藤さんと綾ちゃんのやり取りも若干、胡散臭く感じ始めてしまう。


 まさかね…。


「コース料理をお持ちしましたぁ」


 おっ、綾ちゃんがやって来た。


 その手には馬の姿に飾り付けされた生肉の刺身…うん、馬刺ですよね?でもね、馬のフォルムが…リアルなんですけど?


 生皮を剥がされて筋肉むき出しの馬、ゾンビ映画に出てきた犬のようだ……。


 しかも、馬肉と(たてがみ)が妙にリアルな躍動感を作り上げて……血走った瞳でこっちを見つめてますよ?


 これを食えと?いや、食うけどね。好物ですから。とりあえず、馬のフォルムを解体して赤身と鬣を重ねて擦り下ろした生姜をのせて口の中に運ぶと鬣の油と赤身が口の中で溶けていく。


 それに合わせて冷えた生ビールを流し込む--うん、普通に旨い。悪趣味な見た目さえなければだけどね。


 とりあえず、これが『馬車馬のごとく』だな。


 お品書きに目を向ける。


 さぁ、次は何が来るのかな?


 何だかんだで楽しくなってきた。


「続いては『死んだ魚の瞳の社員たち』、『中間管理職』、『社畜の徹夜明け』の三種になります」


 次々に運ばれてくる料理、どれもこれも美味しそうなんだけど…。


 なんだろうねぇ、このネーミングセンスは?


 とりあえずは『死んだ魚の瞳の社員たち』


 うん、間違ってないよ。お刺身三点盛りだからね?でもさ、なんで活け作りみたいにお頭を添えるかね?お刺身だけでよくない?


 確かに死んだ魚だけ…表現がストレート過ぎやしないかい?もうちょっと、オブラートに包もうよ?


 まぁ、ネーミングセンスはともかくとして刺身自体は物凄く新鮮で程よい歯応えと溢れ出る本来の甘味が口の中で広がる。うん、美味しい。ビールがどんどん進んでいく。


 次の『社畜の徹夜明け』は豚・鳥・牛の鉄板焼。


 社畜と家畜・徹夜明けと鉄板焼をかけてるな。


 まぁ、これも普通に美味しい。それぞれの肉の甘味と絶妙な塩加減は間違いなくビール事案ですな。


 んで、残る『中間管理職』は……板わさかぁ。


 上司と部下からの板挟みってか?


 上手い…いや、普通に旨いよ?


 でも、なんで涙が出てくるのだろう…あっ、わさびを入れすぎたからか--あはははっ、はぁ~。


 小さなため息をつきながらも食べるペースは変わらない。ネーミングセンスに関して言いたいことはあるけれど料理はどれも僕好みでビールがどんどん進んでいく。それから数分、僕は美味しい料理の数々に舌鼓を打っていたわけだけど---。


「さてと…」


 うっすらと泡だけ残ったジョッキを見つめながら少し考え込むことになる。えっ?何故かって?


 ほら、生を頼むのに言わなきゃいけない台詞があったでしょ?生ビールは飲みたい!けど、あの台詞は恥ずかしい。さあ、どうする?


 思案する僕のもとに更なる料理を持って厨房から出てくる綾ちゃんの姿、決断の時が迫る!


「お待たせしましたぁ。『はた迷惑な社長の視察』になりますぅ。うんっ?どうされましたかぁ?」


 空のジョッキを見つめながら考え込む僕の姿に小首を傾げながら訪ねてくる綾ちゃん。


「あぁっと、生のお代わりをお願い」

「生ですか?それは『社長の格言、部下は生かさず殺さず生殺し』でよろしいですね?」

「はいっ、お願いします」


 その言葉に満面の笑顔で頷きながら空になったジョッキを手渡す。グッジョブだよ、綾ちゃん。

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