08 偉い人の命令は絶対
迷宮の中だった。
特徴のない迷宮の中。
そこを見た俺の頭にはそんな能天気な感慨が浮かんできた。
エレベーターが上がって来る音がする。
ガタゴト ガタゴト
いやに古臭い音を立てて、音はこちらに近づいてきた。
すると、エレベーターは何処からともなく現れて、俺の前でその口を開けた。
中から血と腐食した死体があふれ出て来た。
お前のせいだ お前のせいだ
死体は繰り返し何度も恨み言を口から吐き出す。
「やめてくれ!」
俺はしりもちをついて、腰を抜かしてしまった。
それを狙っていたかのように死体たちは俺の顔面に、顔を擦りつけてくる。
お前のせいだ お前のせいだ
よく見ると、その顔は、トリシュとアルテマイヤの顔だった。
そこで目が覚めた。
汗をかいているせいで、じっとりと服が肌に張り付く。
いやな夢を見てしまった。
事故から初めて見る夢だ。
最近は、疲労で消えていた気がしただけでトラウマは生きていたのだろう。
よくない傾向だが、こちらとしても見たくて見ているものではない。
このまま、俺はトラウマを一生抱えたままなのか。
悪夢に出て来た亡霊たちは俺を許すわけがない。
死ぬまで絶対俺の前に現れる。
トラウマの事はわからないが、それだけは確実だと分かった。
「久しぶりの眠りで悪夢に遭遇かよ、勘弁してくれ……」
エルフの森で行き倒れと思ったらこれだ。さすがに弱音が口からこぼれてしまった。
このまま鬱屈するのは良くない。
俺は意識は切り替えるために外気を吸うことにすることにした。
外の空気を吸うために窓を探すと、見知らぬ部屋だと気づいた。
ここは何処だろうか?
俺は眠る直前、確かにエルフの森のド真ん中にいたはずだ。
だというのに小奇麗な天井に、白亜の壁、金の装飾であしらわれた調度品。
魔王の邸宅に似たところがあるので、おそらくここは身分の高い人間の屋敷だと思うのだが……。
部屋の中を見まわしたり、聞き耳を立てていると、空気を裂くような音が外から聞こえてきた。
窓から外を見ると、庭でどこかで見たような覚えのある少年が剣を振っていた。
朝から勤勉なことだ……。
少し見ていると少年は剣の素振りをやめた。
それから少年がこちらを見上げたせいで、目が合う。
ギクリとする。
もしかして、気配を感知するスキルとか持っているのだろうか?
スキル所持者はこの世界にほとんどいないのでそんなわけはないはずだが。
「おはようございます!リード殿。少し下で話しませんか?」
少年は穏やかな声で俺に話さないかと、誘ってきた。
その仕草は異様にさわやかだ。
少年の所作を信頼して、誘いに乗ることにしよう。
エルフたちのような邪念は感じないので罠ではないと思いたい。
一つ懸念として、名前をなんで知っているのか気になったが、おそらく二人が教えたのだろう。
逆に世話をしてくれる人に名乗らなかったら奴らの品性を疑う。
相手は自分より高貴な身の上の人間だ。
余り待たせてはいけない。
そそくさと、柔らかい絨毯を踏み占める。
―|―|―
短く刈り込まれた芝生に朝露が張り付いて、光輝く。
その芝生の中央で少年が素振りをしていた。
汗をかいて、剣を振る姿はとてもさまになっている。
まるで絵画が現実に飛び出てきたような光景だ。
俺は芝生を踏みしめ、少年に歩み寄る。
少年は気づいたようで、素振りをやめた。
「すみません、待たせましたね」
少し遅れたことに対して、謝罪を入れる。
「いえいえ、気にすることはありません。どうせここで素振りをしていたのですから」
少年はさわやかな笑みをたたえて、こちらに語り掛けてくる。
笑みからは人好きのするオーラがあふれ出ていた。
エルフと遭遇する前なら、好印象を抱いただろうが、今の俺はその笑みが怪しいとしか感じられない。
所詮、笑顔など嘘を信じ込ませるためのスパイスに過ぎないのだ。
奴らエルフどもが証明してくれた。
何がイケメンになる薬だ。
ただの水じゃねえか!
「リードさん、早速ですが本題に入っていいでしょうか?」
心に暗い感情を浮かべていると、少年が単刀直入に切り込んできた。
「ええ、いいですよ。そのために俺を呼んだのでしょう」
少年は俺の言葉を聞くと笑みを深めた。
「貴族のように迂遠でなくて助かります」
そういって、相好を崩す。
少年の言動に少し食えない奴なんではないかと感じた。
エルフで異様に俺の警戒心が高まっているだけなのかもしれないが。
「申し遅れました。僕は、デューク・メビウス侯爵の息子、ダウニー・メビウスと申します」
少年――ダウニーはちゃっかり、自分の父が侯爵であると言ってきた。
したたか奴だ。
悪い奴ではないが、いい奴でもなさそうだ。
俺たちを拾ったのは何か理由がある。
そう確信した。
「リード殿!
いや、誉れ高き魔王直属、迷宮改築師殿!
中級迷宮『騎士の栄光』の修繕と攻略の供を依頼したい」
ふざけるなよ!俺に中級迷宮に入れて事は、死ねといってるようなものだぞ。
ダウニーは依頼と述べたが、それは依頼などではなく命令だ。
少年の権力、エルフの森という危険地帯にいること。
それらを考えれば、そのことは明白。
つまり俺に、このことに対する拒否権は存在しないのだ。
依頼を断り、侯爵ににらまれ、エルフの森に放逐される道など選べるはずがない。
「次期侯爵様、その依頼、丁重にお受けしましょう」
当たり前のように俺は恭しく頭をたれ、受諾の意を示す。
「ふざけるなよ、チクショウ……」
奴に聞こえないほどの小さな声でそうつぶやくと、俺は地面を睨めつけ、歯噛みした。